長短経 / 臣行
由此觀之、商鞅深刻弃信、非霸者之佐明矣。然孝公欲速、不從鞅言、孝公過也。商鞅牽于世、迫于君、不得行其志耳。劉向以鞅無霸王之術、謬矣。〕
新字:由此観之、商鞅深刻弃信、非覇者之佐明矣。然孝公欲速、不従鞅言、孝公過也。商鞅牽于世、迫于君、不得行其志耳。劉向以鞅無覇王之術、謬矣。〕
書き下し
此に由りて之を観れば、商鞅の深刻にして信を棄つるは、霸者の佐に非ざること明らかなり。然れども孝公は速やかならんことを欲して、鞅の言に従わず。孝公の過ちなり。商鞅は世に牽かれ、君に迫られ、其の志を行うを得ざるのみ。劉向の鞅に霸王の術無しと以えるは、謬れり。〕
現代語訳
ここから見れば、商鞅が厳しく刻んで信を棄てたのは、覇者の補佐でないことが明らかである。しかし孝公は速さを求めて、商鞅の言葉に従わなかった。孝公の過ちである。商鞅は世に引きずられ、君に迫られて、自分の志を行えなかっただけである。劉向が商鞅に覇王の術がなかったと考えたのは、誤りである。〕
解説
趙蕤がここで劉向に反論します。商鞅には帝道も覇道も見えていた。それを退けたのは孝公のほうだ、と。実行された策は、必ずしもその人の最良の策ではない。通ったものだけを見て人物を評価すると、誤ります。商鞅は世に牽かれ、君に迫られ、其の志を行うを得ざるのみ。組織の中で人が実際にやっていることは、その人の能力の下限を示すにすぎません。
この章句が説くこと
臣行商鞅秦孝公劉向趙蕤志
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