長短経 / 正論
〔司馬談曰、“儒者、博而寡要、勞而少功、是以其事難盡從、然其叙君臣父子之禮、列夫婦長幼之别、不可易也。夫儒者、以六藝為法、經傳以千萬數、累世不能通其學、當年不能究其禮、故曰、‘博而寡要、勞而少功’。若夫列君臣父子之禮、叙夫婦長幼之别、雖百家勿能易也。”
新字:〔司馬談曰、“儒者、博而寡要、労而少功、是以其事難尽従、然其叙君臣父子之礼、列夫婦長幼之別、不可易也。夫儒者、以六芸為法、経伝以千万数、累世不能通其学、当年不能究其礼、故曰、‘博而寡要、労而少功’。若夫列君臣父子之礼、叙夫婦長幼之別、雖百家勿能易也。”
書き下し
〈司馬談曰く「儒者は博くして要寡なく、労して功少なし。是を以て其の事は尽くは従い難し。然れども其の君臣父子の礼を叙し、夫婦長幼の別を列するは、易う可からざるなり。夫れ儒者は、六芸を以て法と為す。経伝は千万を以て数え、世を累ぬるも其の学に通ずる能わず、当年も其の礼を究むる能わず。故に曰く『博くして要寡なく、労して功少なし』と。夫の君臣父子の礼を列し、夫婦長幼の別を叙するが若きは、百家と雖も能く易うること勿きなり」と。
現代語訳
〈司馬談はこう言った。「儒者は広いが要点が少なく、苦労が多くて功が少ない。だからその主張をすべて従うのは難しい。しかし君臣父子の礼を述べ、夫婦長幼の別を並べたところは、変えられない。儒者は六芸を規範とする。経書と注釈は千万を数え、何代かけてもその学問に通じられず、生涯かけてもその礼を究められない。だから『広いが要点が少なく、苦労が多くて功が少ない』という。だが君臣父子の礼を並べ、夫婦長幼の別を述べたところは、百家といえども変えられない」。
解説
司馬談の評は容赦なく、そして公平です。儒者の学問は広すぎて生涯かけても究められず、苦労のわりに功が少ない。しかし人間関係の序列を整理したところだけは、どの学派にも変えられない。全否定でも全肯定でもなく、使える部分を名指しで切り出しています。ある思想を評価するときの手つきとして、この精度は学ぶに値します。

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正論儒家司馬談六芸礼評価
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