長短経 / 三国権
羣臣勸先主稱尊號、先主未許。諸葛亮曰、「昔吴漢、耿純等勸世祖即帝位、世祖辭讓、前後數四。耿純進言曰、『天下英雄喁喁、冀有所望、如不從議者、士大夫各歸求主、無為從公也。』世祖感純言深至、遂然諾之。今曹氏篡漢、天下無主、大王劉氏苗族、紹世而起、即帝位、乃其宜也。士大夫久勤苦者、亦望尺寸之功名、如純言耳。」先主於是即帝位。
新字:羣臣勧先主称尊号、先主未許。諸葛亮曰、「昔呉漢、耿純等勧世祖即帝位、世祖辞譲、前後数四。耿純進言曰、『天下英雄喁喁、冀有所望、如不従議者、士大夫各帰求主、無為従公也。』世祖感純言深至、遂然諾之。今曹氏篡漢、天下無主、大王劉氏苗族、紹世而起、即帝位、乃其宜也。士大夫久勤苦者、亦望尺寸之功名、如純言耳。」先主於是即帝位。
書き下し
群臣、先主に尊号を称せんことを勧むるも、先主未だ許さず。諸葛亮曰く「昔、呉漢・耿純等、世祖に帝位に即かんことを勧む。世祖辞譲すること、前後数四。耿純進みて言いて曰く『天下の英雄喁喁として、望む所有らんことを冀う。如し議に従わずんば、士大夫各々帰りて主を求め、公に従うこと無からん』と。世祖、純の言の深く至れるに感じ、遂に之を然諾す。今、曹氏漢を簒い、天下に主無し。大王は劉氏の苗族にして、世を紹ぎて起こる。帝位に即くは、乃ち其の宜なり。士大夫の久しく勤苦する者も、亦た尺寸の功名を望むこと、純の言の如きのみ」と。先主是に於て帝位に即く。
現代語訳
群臣が劉備に帝位に就くよう勧めたが、劉備は承知しなかった。諸葛亮は言った。「昔、呉漢や耿純らが光武帝に帝位に就くよう勧めたとき、光武帝は四度も辞退しました。耿純は進み出て言いました。『天下の英雄は、望みがかなうことを首を長くして待っています。もしこの議に従われないなら、士大夫はそれぞれ帰って別の主を求め、あなたに従う者はいなくなるでしょう』。光武帝は耿純の言葉が深く切実なのに感じ入り、ついに承諾しました。いま曹氏は漢を簒奪し、天下に主がいません。大王は劉氏の血筋で、その世を継いで立たれた方です。帝位に就くのはまさに当然です。長く苦労してきた士大夫も、わずかでも功名を得たいと望んでいるのは、耿純が言ったとおりなのです」。劉備はそこで帝位に就いた。
解説

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