長短経 / 三国権
遂稱病篤、權乃露檄召蒙還、隂與圖計。侯果信之、稍徹兵赴樊。權遂行遣蒙在前、伏其精兵於□□中、使白衣揺櫓作商賈服、晝夜兼行、至羽所置江邉屯候盡縛之、是故侯不聞知。蒙入據城、盡得侯及將士家属、皆撫慰、之約令軍不得干歴人家、有所求取。侯還在道路、數使人與蒙相聞、蒙輒厚遇其使。侯使人還、咸知家門無恙、見待過於平時、故侯吏士無闘心、皆委侯而降、即父子俱獲。
新字:遂称病篤、権乃露檄召蒙還、陰与図計。侯果信之、稍徹兵赴樊。権遂行遣蒙在前、伏其精兵於□□中、使白衣揺櫓作商賈服、昼夜兼行、至羽所置江邉屯候尽縛之、是故侯不聞知。蒙入拠城、尽得侯及将士家属、皆撫慰、之約令軍不得干歴人家、有所求取。侯還在道路、数使人与蒙相聞、蒙輒厚遇其使。侯使人還、咸知家門無恙、見待過於平時、故侯吏士無闘心、皆委侯而降、即父子倶獲。
書き下し
遂に病篤しと称す。権乃ち露檄して蒙を召し還し、陰かに与に計を図る。侯果たして之を信じ、稍く兵を徹して樊に赴く。権遂に行き、蒙をして前に在らしめ、其の精兵を□□の中に伏せ、白衣をして櫓を揺らし商賈の服を作さしめ、昼夜兼行して、羽の置く所の江辺の屯候に至り、尽く之を縛す。是の故に侯は聞知せず。蒙入りて城に拠り、尽く侯及び将士の家属を得て、皆撫慰し、軍に約令して人家を干歴し、求取する所有るを得ざらしむ。侯還りて道路に在り、数々人をして蒙と相聞せしむ。蒙輒ち厚く其の使いを遇す。侯の使いの人還り、咸な家門の恙無く、待たるること平時に過ぐるを知る。故に侯の吏士に闘心無く、皆侯を委てて降り、即ち父子俱に獲らる。
現代語訳
そこで呂蒙は病が重いと称した。孫権は公然と文書を出して呂蒙を呼び戻し、ひそかに一緒に計画を練った。関羽は果たしてこれを信じ、しだいに兵を引き上げて樊に向かわせた。孫権は出陣し、呂蒙を先頭に立て、精兵を船の中に伏せ、白い服の者に櫓を漕がせて商人の格好をさせ、昼夜兼行で関羽が長江のほとりに置いた見張り所に至り、すべて縛り上げた。だから関羽は何も知らなかった。呂蒙は城に入り、関羽と将兵の家族をすべて押さえ、皆を慰め、兵には民家に押し入ったり物を求めたりしてはならないと命じた。関羽は引き返す途中、何度も使者を呂蒙のもとに送った。呂蒙はそのたびに使者を厚くもてなした。使者たちは戻って、家族が無事で、普段以上に大切に扱われていると皆に伝えた。そのため関羽の役人や兵は戦う気をなくし、皆関羽を見捨てて降伏し、関羽は子とともに捕らえられた。
解説

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『長短経』掩発呂蒙、西のかた陸口に屯す。関侯樊を討ち、兵を留めて公安・南郡に備う。蒙上疏して曰く「関侯樊を討ちて多く備兵を留むるは、必ず蒙の其の後ろを図らんことを恐るるが故なり。蒙は常に病有り。乞う、衆を分かちて建鄴に還り、病を治むるを以て名と為さん。某之を聞かば、必ず備兵を徹し、尽く襄陽に赴かん。大軍江に浮かび、昼夜馳せ上りて、其の空虚を襲わば、則ち南郡取るべくして、某擒にすべし」と。遂に病篤しと称す。権乃ち露檄して蒙を召す。侯果たして之を信じ、稍く兵を徹して樊に赴く。権之を聞き、遂に行く。先ず蒙を遣わして前に在らしめ、其の精兵を□□の中に伏せ、白衣をして櫓を揺らし、商賈の服を作さしめ、昼夜兼行して、侯の置く所の江辺の屯候に至り、尽く収縛す。是の故に羽は聞知せず〔太公曰く「偽りて使者と称するは、糧食を絶つ所以なり。令・号を謬りて敵と服を同じくする者は、走北に備うる所以なり」と。此に由りて之を言えば、衣服・号令の中、審らかにせざるべからざるなり〕。
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『智囊』詭道・呂蒙・馬隆呂蒙既に漢昌太守を領し、関羽と土を分かち境を接す。羽に並兼の心有り、且つ上流に拠るを知り、乃ち外には倍々好みを修む。後に羽、樊を討ち、兵を留めて公安・南郡を備えしむ。蒙、疏を上りて曰く、「羽、樊を討つに、而るに多く備えの兵を留むるは、必ず蒙の其の後を図るを恐るるが故なり。蒙、常に病有り。乞う、士を分かちて建業に還り、病を治むるを以て名と為さん。羽これを聞かば、必ず備えの兵を撤して尽く襄陽に赴かしめ、昼夜馳せ上らん。其の空虚に襲わば、則ち南郡下すべくして、羽も擒にすべきなり」と。遂に病篤しと称す。権乃ち檄を露にして蒙を召し還し、陰かに与に計を図る。蒙、陸遜の才の重きを負うに堪うるも未だ遠名有らざるを以て、乃ち遜を薦めて自らに代えしむ。遜、書を羽に遺り、極めて其の推讓を為す。羽の意大いに安んじ、稍々兵を撤して以て樊に赴かしむ。権これを聞き、遂に行く。先ず蒙を遣わして前に在らしむ。蒙、潯陽に至り、尽く其の精兵を艚艫の中に伏せ、白衣をして櫓を揺がしめ、商賈の人の服を作し、昼夜兼行す。羽の置く所の江辺の屯候は、尽くこれを収縛す。故に羽は聞知せず、直ちに南郡に抵る。傅士仁・糜芳は皆降る。
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『長短経』掩発遂に南郡に到る。士仁・糜芳皆降る。蒙入りて城に拠り、尽く侯の将士の家属を得て、皆撫慰し、軍中に約令して人家を干歴するを得ざらしむ。道に遺ちたるを拾わず〔昔、秦伯は鄭を襲うの利を見て、崤函の敗を顧みず。呉王は斉を伐つの功を矜りて、姑蘇の禍を忘る。故に曰く「尽く兵を用うるの害を知らざる者は、則ち尽く兵を用うるの利を知ること能わず」と。此の謂いなり。経に曰く「諸侯を役する者は業を以てす」と。語に曰く「其の強きに因りて之を強くすれば、敵乃ち折るべし」と。関侯の樊を討つは、人に計られずと雖も、亦た自ら役し自ら強くする者なり〕。侯還りて、道路に在り、数々人をして蒙と相聞せしむ。蒙厚く其の使いを遇し、城中に周旋せしめ、家家に致問し、或いは手書して信を示す。
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『智囊』詭道・呂蒙・馬隆蒙入りて城に拠り、尽く羽及び将士の家属を得て、皆撫慰す。民の一笠を取りて以て官の鎧を覆う者有り。其の人は蒙の郷里に係るも、涕を垂れてこれを斬る。是に於いて軍中震え栗れ、道に遺ちたるを拾わず。蒙は旦暮に親近をして耆老を存恤せしめ、足らざる所を問い、病む者には医薬を給し、飢え寒ゆる者には衣糧を賜い、府蔵の財宝は、皆封閉して以て権の至るを待つ。羽還り、道路に在りて数々人をして蒙と相い問わしむ。蒙は輒ち其の使を厚く遇し、城中を週遊せしめ、家家に致問し、或いは手書して信を示す。使い還りて、私かに相い参信し、咸な家門恙無く、待たるること平時に過ぐるを知る。故に吏士に鬥心無く、羽遂に擒と成る。太康の初め、南虜の成奚、毎に辺患と為る。西平太守の馬隆、軍を帥いてこれを討つ。虜は険に拠りて拒守す。隆、軍士をして皆農器を負わしめ、将に田する者の若くせんとす。虜は隆に征討の意無しと以い、衆を御すること稍々怠る。隆、其の備え無きに因りて兵を進めてこれを撃破し、隆の政を畢るまで、敢えて寇を為さず。
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『長短経』三国権其の後、呉の孫権、関侯を襲いて荊州を取る。〔范曄曰く「劉備、関侯をして荊州を鎮守せしむ。呉の将呂蒙、漢昌太守を拝し、関侯と土を分かちて境を接す。侯の梟雄にして兼并の心有り、且つ上流に居るを知り、其の勢い久しくし難し。蒙乃ち密かに計策を陳べて曰く『今、征虜をして南郡を守らしめ、潘璋をして遊兵万人を将いて江を循りて上下し、敵の所在に応ぜしむ。蒙は国家の為に前んで襄陽に拠らん。此くの如くんば、何ぞ操を憂えん。何ぞ侯に頼らん』と。将に之を図らんとす。会々侯、樊を討ち、兵を留めて将に南郡に備えんとす。蒙上疏して曰く『某、樊を討ちて多く備兵を留むるは、必ず蒙の其の後ろを図らんことを恐るるが故なり。蒙は常に病有り。乞う、衆を分かちて建業に還り、病を治するを以て名と為さん。某之を聞かば、必ず備兵を徹し、尽く襄陽に赴かん。大軍江に浮かび、昼夜駆け上りて、其の空虚を襲わば、則ち南郡下すべくして、某擒にすべきなり』と。
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『長短経』掩発侯の使い人還り、私かに相参訊し、咸な家間の恙無く、相待つこと平時に過ぐるを知る。故に侯の士卒闘心無し。権至りて侯を獲、遂に荊州を定む。此れ掩発の変なり。故に曰く「始めは処女の如く、敵人戸を開く。後には脱兎の如く、敵距ぐに及ばず」と。此の謂いなり。