長短経 / 品目
所謂聖者、徳合天地、變通無方、窮萬事之終始、協庶品之自然、敷其大道而遂成情性、明並日月、化行若神、下民不知其徳、覩者不識其隣。此聖者也。」
新字:所謂聖者、徳合天地、変通無方、窮万事之終始、協庶品之自然、敷其大道而遂成情性、明並日月、化行若神、下民不知其徳、睹者不識其隣。此聖者也。」
書き下し
所謂聖なる者は、徳は天地に合し、変通に方無く、万事の終始を窮め、庶品の自然に協い、其の大道を敷きて情性を遂成し、明は日月に並び、化行われて神の若く、下民は其の徳を知らず、覩る者は其の隣を識らず。此れ聖者なり」と。
現代語訳
聖人というのは、徳が天地と合致し、変化に応じて決まった形がなく、あらゆる事の始めと終わりを窮め、あらゆる物の自然のあり方に沿い、その大いなる道を広めて人の情と性を育てあげ、明るさは日月と並び、教化のはたらきは神のようで、それでいて民はその徳に気づかず、見ている者にもその境目が分からない。これが聖人である」。
解説
五儀の頂点である聖人は、はたらきが見えないことで定義されます。民はその徳を知らず、見ている者にもどこからどこまでがその人の力なのか分からない。庸人から賢者までは行いや言葉で測れましたが、聖人だけは痕跡のなさで測られます。よく回っている組織ほど、誰のおかげで回っているのか分からない。名前が出ないことを成果の証拠と考えられるかどうかが、上に立つ人の最後の関門になります。
この章句が説くこと
人物鑑識五儀聖人無為痕跡教化
関連する章句
-
説苑・君道斉の宣王、尹文に謂いて曰く、「人君の事は何如」と。尹文対えて曰く、「人君の事は、無為にして能く下を容る。夫れ事寡なければ従い易く、法省ければ因り易し、故に民は政を以て罪を獲ず。大道は衆を容れ、大徳は下を容れ、聖人は寡為にして天下理まる。書に曰く、『睿は聖を作す』と。詩人曰く、『岐に夷の行有り、子孫其れ之を保たん』と」と。宣王曰く、「善し」と。
-
論語・陽貨篇子曰く、飽食終日、心を用うる所無きは、難いかな。博弈なる者有らずや。之を為すは、猶お已むに賢れり。
-
論語・衛霊公篇孔子曰わく、無為にして治むる者は、その舜なるか。夫れ何をか為さん。己を恭しくして南面するのみ。
-
説苑・君道晋の平公、師曠に問いて曰く、「人君の道は如何」と。対えて曰く、「人君の道は、清浄無為、務めて博愛にあり、趨りて賢を任ずるにあり、広く耳目を開きて以て万方を察し、流俗に固溺せず、左右に拘繋せられず、廓然として遠く見、踔然として独立し、屡々考績を省みて、以て臣下に臨む。此れ人君の操なり」と。平公曰く、「善し」と。
-
老子・第37章道は常に無為にして而も為さざる無し。侯王若し能く之を守らば、万物は将に自ら化せんとす。化して作らんと欲すれば、吾れ将に之を鎮むるに無名の樸を以てせんとす。無名の樸は、夫れ亦た将に欲無からんとす。欲せずして以て静かなれば、天下は将に自ら定まらんとす。
-
『信心銘』第十四章智者(ちしゃ)は無為(むい)、愚人(ぐにん)は自(みづか)ら縛(しば)る。法(ほう)に異法(いほう)無(な)きに、妄(みだ)りに自(みづか)ら愛著(あいじゃく)す。心(しん)を將(も)って心(しん)を用(もち)ゐる、豈(あ)に大錯(だいしゃく)に非(あら)ずや。