長短経 / 量才
〔漢文帝問陳平曰、「君所主何事?」對曰、「陛下不知臣駑下、使臣待罪宰相。宰相者、上佐天子燮理隂陽、下遂萬物之宜、外鎮撫四夷、内親附百姓、使公卿大夫各得其職。」上曰、「善!」
新字:〔漢文帝問陳平曰、「君所主何事?」対曰、「陛下不知臣駑下、使臣待罪宰相。宰相者、上佐天子燮理陰陽、下遂万物之宜、外鎮撫四夷、内親附百姓、使公卿大夫各得其職。」上曰、「善!」
書き下し
〔漢の文帝、陳平に問いて曰く「君の主る所は何事ぞ」と。対えて曰く「陛下、臣の駑下を知らずして、臣をして宰相に待罪せしむ。宰相なる者は、上は天子を佐けて陰陽を燮理し、下は万物の宜しきを遂げ、外は四夷を鎮撫し、内は百姓を親附せしめ、公卿大夫をして各々其の職を得しむ」と。上曰く「善し」と。
現代語訳
〔漢の文帝が陳平に尋ねた。「あなたの職務は何か」。陳平は答えた。「陛下は私の駑馬のような凡庸さをご存じないまま、私を宰相の位に置いてくださっています。宰相というものは、上では天子を助けて陰陽を調和させ、下では万物がそれぞれ適したところを得るようにし、外では四方の異民族を鎮め、内では民が親しみ従うようにし、公卿大夫がそれぞれの職分を得るようにする者です」。文帝は「よろしい」と言った。〕
解説
宰相の職務を問われた陳平が、具体的な業務を一つも挙げずに答えたという有名な場面です。上下内外の四方向を並べ、最後に公卿大夫が各々その職を得るようにする、と締める。つまり自分の仕事は、人がそれぞれの仕事をできる状態を作ることだ、と言っています。管理職が自分の職務を説明するとき、担当案件を並べてしまうなら、まだ陳平の位置に立っていません。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
宰相役割陳平漢文帝職分任せる
関連する章句
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十八史略・『十八史略』漢・文帝・宰相の仕事は何か帝、益ます国家の事に明習し、朝して右丞相勃に問いて曰く、天下一歳に獄を決すること幾何ぞ、と。勃、謝して知らず。又問う、一歳の銭穀の出入は幾何ぞ、と。勃、又謝して知らず。惶愧して汗出で背を沾す。上、左丞相平に問う。平曰く、主る者有り。陛下即し獄を決するを問わば、廷尉に責め、銭穀を問わば、治粟内史に責めよ、と。上曰く、君の主る所の者は何事ぞ、と。平、謝して曰く、陛下、臣をして罪を宰相に待たしむ。宰相なる者は、上は天子を佐けて陰陽を理め四時を順にし、下は万物の宜しきを遂げしめ、外は四夷を鎮撫し、内は百姓を親附せしめ、卿・大夫をして各おの其の職を得しむ、と。帝、善と称す。勃、大いに慙じ、病と謝して免ぜらる。
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史記 陳丞相世家平曰く、「陛下即し獄を決するを問はば、廷尉に責めよ。銭穀を問はば、治粟内史に責めよ」と。上曰く、「苟も各々主者有らば、而して君の主る所の者は何事ぞや」と。平謝して曰く、「主臣。陛下其の駑下なるを知らず、罪を宰相に待たしむ。宰相は、上は天子を佐けて陰陽を理め、四時に順ひ、下は万物の宜しきを育み、外は四夷諸侯を鎮撫し、内は百姓を親附し、卿大夫をして各々其の職に任ずるを得しむ」と。孝文帝乃ち善しと称す。右丞相大いに慚ぢ、出でて陳平を譲めて曰く、「君独り素より我に対ふることを教へず」と。陳平笑ひて曰く、「君其の位に居りて、其の任を知らざるか。且つ陛下即し長安中の盗賊の数を問はば、君彊ひて対へんと欲するか」と。是に於て絳侯自ら其の能の平に如かざること遠きを知る。居ること之を頃くして、絳侯病と謝して相を免ぜられんことを請ふ、陳平専ら一丞相と為る。孝文帝二年、丞相陳平卒し、謚して献侯と為す。子共侯買代はりて侯たり。二年にして卒し、子簡侯恢代はりて侯たり。二十三年にして卒し、子何代はりて侯たり。二十三年、何人の妻を略するに坐し、棄市せられ、国除かる。始め陳平曰く、「我陰謀多し、是れ道家の禁ずる所なり。吾が世即し廃せられなば、亦た已みなん、終に復た起こる能はず、吾陰禍多きを以てなり」と。然れども其の後曾孫陳掌衛氏の親貴戚なるを以て、陳氏を続封するを得んことを願ふ、然れども終に得ず。太史公曰く、陳丞相平少き時、本黄帝・老子の術を好む。其の肉を俎上に割くの時に方りて、其の意固より已に遠し。楚魏の間に傾側擾攘し、卒に高帝に帰す。常に奇計を出だし、紛糾の難を救ひ、国家の患ひを振ふ。呂后の時に及び、事故多し、然れども平竟に自ら脱し、宗廟を定め、栄名を以て終はり、賢相と称せらる、豈に始めを善くし終はりを善くするにあらずや。知謀に非ずんば孰か能く此に当たらん者ぞ。
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『長短経』量才漢の魏相の書に曰く「臣聞く、易に曰く『天地は順を以て動く、故に日月過たず、四時忒わず。聖人順を以て動けば、則ち刑罰清くして人服す』と。天地の変化は、必ず陰陽に由る。陰陽の分は、日月を以て紀と為す。各々常職有りて、相干すを得ず。明王は天を尊ぶに謹み、人を養うに慎む。故に羲和の官を立て、以て四時に乗じ、敬みて人事を授く。君の動静、道を以てし、陰陽に奉順すれば、則ち日月光明、風雨時節、寒暑調和す。三者叙を得れば、則ち災害生ぜず、人は夭疾せず、衣食余り有り」と。此れ陰陽を燮理するの大体なり。事は洪範篇に具わる。〕
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廟堂忠告・調燮第五人皆曰う、陰陽を燮理(しょうり)するは宰相の事たり、と。然れども世を挙げて苐(た)だ能く其の辞を道うのみにて、迄(つい)に陰陽何の術を以て燮理すべきかを知らず。書の周官(しゅうかん)を按ずるに、三公は道を論じ邦を経(おさ)め、陰陽を燮理すと。蓋し周の三公は即ち今の宰輔(さいほ)なり。而して漢の丞相丙吉(へいきつ)も亦た曰く、宰相は上は天子を佐(たす)け、陰陽を理(おさ)め、四時に順(したが)う、と。厥(そ)の後又灾異(さいい)に三公を免ずるの制有り、世俗の云う所、蓋し諸(これ)を此に本(もと)づく。切(せつ)に嘗て即ち是を以て思うに、宰相の調燮(ちょうしょう)する所以の者は、能く旱(ひでり)にして之を雨らしめ、雨にして之を暘(は)らしむるに非ず。要は人事を尽くして以て天地の和を来たすを越えざるのみ。夫れ天の人に与(お)けるや、判然たるが若くにして実は相表裏す。蓋し政事順なれば則ち民心順なり、民心順なれば則ち天地の気順なり、天地の気順なれば則ち陰陽従いて序す。若し廼(すなわ)ち勢いを怙(たの)みて威を立て、権を挟みて欲を縦(ほしいまま)にし、人を悪(にく)みて己に異ならしめ、謟佞(とうねい)是れ親しみ、言う所の者に言わず、救う所の者を救わず、上下相蒙(あいおお)いて惟だ命に従うことを務む。此くの如くにして民心の順、陰陽の気の和を望まんと欲するも、難きかな。大氐(たいてい)天道の災祥(さいしょう)は民心の苦楽を視、民心の苦楽は政事の失得を視、政事の失得は宰相の賢と不賢とを視る。昔丙吉、死人を舎(お)きて牛の喘(あえ)ぐを問う。自ら以て体(たい)を得たりと為すも、殊に天道の逆順は当に政事に於いて之を観るべく、固より区区(くく)たる一牛の喘ぐと喘がざるとに在らざるを知らざるなり。晋の庾冰(ゆひょう)相と為るや、或るひと、天文錯度(さくど)すれば宜しく消禦(しょうぎょ)の道を尽くすべしと謂う。冰曰く、玄象(げんしょう)豈に吾が側(かたわ)らにする所ならんや、正に当に人事を勤め尽くすべし、と。冰の此の言、蕳眀切要(かんめいせつよう)にして、深く宰相の体を得たる者と謂うべし。苟(いやし)くも政事脩整(しゅうせい)ならば、陰陽の和応ぜずと雖も、乃ち天道の変なり、又何をか慊(あきた)らざらん。苟くも政事龐焉(ほうえん)棼焉(ふんえん)として理(おさ)まらざれば、禎祥(ていしょう)集まりて風雨時に若(したが)うと雖も、顧(かえ)りて敢えて以て治まると為さんや。嗚呼、凡そ相為(た)る者、誠に能く是を以て之を求むれば、則ち天人の理瞭然(りょうぜん)たり。
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『長短経』量才孫武曰く「主は孰れか道有る」と。〔昔、漢王滎陽に囲まるるを見て、陳平に謂いて曰く「天下紛紛たり、何れの時にか定まらん」と。平曰く「項王の人と為り、恭敬にして人を愛す。士の廉節礼を好む者は多く之に帰す。功を行い爵邑を賞するに至りては、之を重んず。士も亦た此を以て附かず。今、大王は人に嫚りて礼少なし。士の頑鈍にして利を嗜み恥無き者は、亦た多く漢に帰す。誠に宜しく各々両短を去り、其の両長を集むべし。天下は指麾すれば即ち定まらん」と。
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『長短経』量才四時を失わず、地利に通じ、能く通ぜざるを通じ、能く利あらざるを利す。是くの如き者は、挙げて以て九卿と為す。故に九卿の事は常に徳に在り。