長短経 / 懼戒
嵩曰、「夙夜在公、心不忘忠、何故不安?」忠曰、「不然。〔議曰、《記》有之、親母為其子扢秃出血、見者以為愛子之至。使在于繼母、則過者以為悮也。事之情一矣、所以從觀者異耳。當今政理衰缺、王室多故、將軍處繼母之位、挟震主之威、雖懐至忠、恐人心自變。竊為將軍危之!且吾聞之、勢得容姦、伯夷可疑、茍曰無猜、盗跖可信。今擁兵百萬、勢得為非、握容姦之權、居可疑之地、雖竭忠信、其能喻乎?此田單解裘、所以見忌也。願將軍慮之。」閻生合將此類以破其志、便引韓信喻之、實不解公不忘忠之意、談説之意漏于此矣。〕
新字:嵩曰、「夙夜在公、心不忘忠、何故不安?」忠曰、「不然。〔議曰、《記》有之、親母為其子扢秃出血、見者以為愛子之至。使在于継母、則過者以為悮也。事之情一矣、所以従観者異耳。当今政理衰欠、王室多故、将軍処継母之位、挟震主之威、雖懐至忠、恐人心自変。窃為将軍危之!且吾聞之、勢得容姦、伯夷可疑、苟曰無猜、盗跖可信。今擁兵百万、勢得為非、握容姦之権、居可疑之地、雖竭忠信、其能喩乎?此田単解裘、所以見忌也。願将軍慮之。」閻生合将此類以破其志、便引韓信喩之、実不解公不忘忠之意、談説之意漏于此矣。〕
書き下し
嵩曰く「夙夜公に在りて、心忠を忘れず。何の故にか安からざらん」と。忠曰く「然らず。〔議に曰く、記に之有り、親母其の子の為に禿を扢きて血を出だせば、見る者以て子を愛するの至りと為す。継母に在らしめば、則ち過ぐる者以て悮りと為す。事の情は一なり。観る者に従うこと異なるのみ。当今、政理衰欠し、王室故多し。将軍は継母の位に処り、主を震わすの威を挟む。至忠を懐くと雖も、恐らくは人心自ら変ぜん。竊かに将軍の為に之を危ぶむ。且つ吾之を聞く、勢い姦を容るるを得れば、伯夷も疑うべく、苟も猜無しと曰えば、盗跖も信ずべし、と。今、兵百万を擁し、勢いは非を為すを得、姦を容るるの権を握り、疑うべきの地に居る。忠信を竭くすと雖も、其れ能く喻らんや。此れ田単の裘を解きて、忌まるる所以なり。願わくは将軍之を慮れ」と。閻生合に此の類を将いて以て其の志を破り、便ち韓信を引きて之を喻うべし。実に公の忠を忘れざるの意を解せず。談説の意、此に漏る。〕
現代語訳
皇甫嵩は言った。「朝から晩まで公務に励み、心は忠を忘れていない。なぜ安泰でいられないことがあろう」。閻忠は言った。「そうではありません」。〔論じて言う。『礼記』にこういう話がある。実の母が子のできものを掻いて血を出しても、見る者は子を深く愛しているからだと思う。継母が同じことをすれば、通りがかりの者は虐待だと思う。事の実情は同じでも、見る者によって違って見えるのだ。いま政治は衰え王室には事件が多い。将軍は継母の立場にあって、主君を震え上がらせる威を持っている。この上ない忠誠を抱いていても、人の心は自然に変わって疑うだろう。ひそかに将軍のために危ぶむ。しかも、悪事をはたらける勢いがあれば伯夷でさえ疑われ、疑いがないと言えば盗跖でさえ信じられる、と聞く。いま百万の兵を擁し、勢いは悪事をはたらけるほどで、悪を許す権力を握り、疑われる地位にいる。忠信を尽くしても、わかってもらえようか。これが、田単が衣を脱いで人に着せただけで疑われた理由である。どうか将軍、よく考えてほしい。閻忠はこうした例を挙げて皇甫嵩の志を崩し、韓信を引いて諭すべきだった。皇甫嵩の、忠を忘れないという思いを本当には理解していなかった。説得の意図がここで漏れてしまっている。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・慎果の二字、明哲の二字士君子大事に當たる時、人に先んじて任ずるは、當に慎果の二字を知るべし。人に從ひて行ふは、當に明哲の二字を知るべし。明哲は難を避くるに非ず。事に裨無くして只だ自ら沒するのみなればなり。
-
『呻吟語』内篇・應務・卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばず謙忍は皆な尊に居るの道なり。儉樸は皆な富に居るの道なり。故に曰く、卑は恭を學ばず、貧は儉を學ばずと。
-
『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
-
『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
-
孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
-
『正法眼蔵随聞記』巻一亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、