長短経 / 善亡
〔議曰、世有好善而反亡者。〕《易》曰、「積善之家、必有餘慶。」又曰、「善不積、不足以成名。」何以徵其然耶?孟子曰、「仁之勝不仁也、猶水之勝火也。今之為仁者、猶以一杯水救一車薪之火也。火不息則謂水不勝火、此又與於不仁之甚者也。又、五穀種之美者、茍為不熟、不如稊稗。夫仁亦在熟之而已矣。〔熟、成也。」〕《尸子》曰、「食所以為肥也、一飯而問人曰、『奚若?』則皆笑之。夫治天下、大事也。譬今人皆以一飯而問人『奚若』者也。」
新字:〔議曰、世有好善而反亡者。〕《易》曰、「積善之家、必有余慶。」又曰、「善不積、不足以成名。」何以徴其然耶?孟子曰、「仁之勝不仁也、猶水之勝火也。今之為仁者、猶以一杯水救一車薪之火也。火不息則謂水不勝火、此又与於不仁之甚者也。又、五穀種之美者、苟為不熟、不如稊稗。夫仁亦在熟之而已矣。〔熟、成也。」〕《尸子》曰、「食所以為肥也、一飯而問人曰、『奚若?』則皆笑之。夫治天下、大事也。譬今人皆以一飯而問人『奚若』者也。」
書き下し
〔議に曰く、世に善を好みて反りて亡ぶる者有り。〕易に曰く「積善の家には、必ず余慶有り」と。又た曰く「善積まざれば、以て名を成すに足らず」と。何を以て其の然るを徴せんや。孟子曰く「仁の不仁に勝つや、猶お水の火に勝つがごときなり。今の仁を為す者は、猶お一杯の水を以て一車の薪の火を救うがごとし。火息まざれば則ち水は火に勝たずと謂う。此れ又た不仁の甚だしき者に与するなり。又た、五穀は種の美なる者なり。苟も熟せずと為さば、稊稗に如かず。夫れ仁も亦た之を熟するに在るのみ」〔熟は成なり〕。尸子に曰く「食は肥ゆる所以なり。一飯して人に問いて曰く『奚若』と。則ち皆之を笑う。夫れ天下を治むるは、大事なり。譬えば今の人皆一飯を以て人に奚若を問う者なり」と。
現代語訳
〔論じて言う。世の中には、善を好みながらかえって滅びる者がいる。〕『易』に「善を積む家には必ず余りある喜びがある」とあり、また「善を積まなければ名を成すには足りない」とある。何によってそう証明するか。孟子は言う。「仁が不仁に勝つのは、水が火に勝つようなものだ。いまの仁を行う者は、一杯の水で車一台分の薪の火を消そうとするようなものだ。火が消えないと、水は火に勝たないと言う。これはまた、不仁のひどいものに味方することになる。また、五穀は種の中で最も良いものだが、実らなければ雑草のひえにも及ばない。仁もまた、実らせることにかかっているだけだ」〔熟とは成ること〕。『尸子』に言う。「食事は太るためのものだ。一度食事をして人に『太ったか』と聞けば、皆笑う。天下を治めるのは大事業である。いまの人は皆、一度食事をして人に太ったかと聞くような者だ」。
解説

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『長短経』善亡〔議に曰く、此れ善少なければ以て名を成すに足らざるなり。悪も亦た之の如し。何を以て其の然るを明らかにせん。書に曰く「商の罪は貫盈す。天命じて之を誅す。余天に順わずんば、厥の罪惟れ鈞し」と。是に由りて之を観れば、夫れ罪未だ盈たざれば、仮令中に罪悪有るも、未だ滅びざるなり。今、人は悪の即ち未だ滅びざるを見て、以為えらく悪は懼るるに足らずと。是を以て亡滅する者踵を世に継ぐ。故に曰く「悪積まざれば、以て身を滅ぼすに足らず」と。此れ聖人の誡めなり。〕是に由りて之を観れば、故に知る、善なる者は、積むに在るのみ。今、人は徐の偃王の国を亡ぼすを見て、仁義は仗るに足らずと謂い、承桑の統を失うを見て、文徳は恃むに足らずと謂う〔承桑氏の君は、徳に循い武を廃して、以て其の国を滅ぼすなり〕。是れ猶お杯水もて火を救い、一飯して肥を問うの説のごとし。惑えることも亦た甚だし。
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孟子・告子章句上孟子曰く、「仁の不仁に勝つは、猶ほ水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、猶ほ一杯の水を以て、一車薪の火を救うがごときなり。熄まずんば、則ち之を水は火に勝たずと謂う。此れ又不仁に與するの甚しき者なり。亦た終に必ず亡せんのみ。」
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『講孟余話』告子上 第十八章仁の不仁に勝つは、猶ほ水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、猶ほ一杯の水を以て一車薪の火を救ふがごときなり。熄まざれば則ち之を水火に勝たずと謂ふ。此れ又不仁に与するの甚だしき者なり。亦終に必ず亡はんのみ。此の章大志ある者、日夜朝暮に語誦して志を励ますべし。余囚徒となりて、神州を以て自ら任じ、四夷を撻伐せんと欲す。人に向ひて是を語れば、駭愕せざるはなし。然れども此の章を以て益々自ら信じて断じて疑はず。今神州を興隆し四夷を撻伐するは仁道なり。之を礙ぐる者は不仁なり。仁豈に不仁に勝たざらんや。若し勝たざれば仁に非ず。故に先づ一身一家より手を下し、一村一郷より同志同志と語り伝へて、此の志を同じくする者日々盛んにならば、一人より十人、十人より百人、百人より千人、千人より万人、万人より三軍と、順々進み進みして、仁に志す者豈に寥々ならんや。此の志を一身より子々孫々に伝へば、其の遺沢十年百年千年万年と愈々益々繁昌すべし。今天下の勢は、無事にして多難を伏し、至安にして至危を伏す。伏する者は必ず発す、自然の勢なり。一旦多難至危の発泄するに至りて、潰敗復た収むべからず。此の時に当りて一人より三軍、一身より子孫に伝へたる所が大用をなし、神州興隆、四夷撻伐、功必ず成るべし。而して其の規模は今日に在るなり。
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『五常訓』巻之三・仁之下一およそ人、精力をつひやす者、時にあたりては、其損を知らざれども、時ありて尽きぬ。精力をやしなふものは、時にあたりては、其益を見ざれども、時ありてさかんなり。人の善悪を行ふも、亦かくの如し。徳をつみ、行をかさぬれば、当時は其福を知らざれども、時ありて世に用ひらる。義をすて理にそむくは、当時は其禍を知らざれども、時ありて亡ぶ。易に、積善の家には必余慶あり、積不善の家には、必余殃ありといへるは、此意なり。善は積みかさねて後来るゆゑ、善を行ふ志はおこたるべからず。小善なりとも行ふべし。悪はつもれば必わざはひとなる。故に小悪なりとも行ふべからず。おそるべし。
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荀子・大略篇仁義礼善の人に於けるや、之を辟(たと)ふるに貨財粟米(かざいぞくべい)の家に於けるが若し。多く之を有する者は富み、少なく之を有する者は貧しく、至(すべ)て有ること無き者は窮す。故に大なる者は能はず、小なる者は為さず、是れ国を棄て身を捐(す)つるの道なり。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「三代の天下を得るや仁を以てし、其の天下を失ふや不仁を以てす。国の廃興存亡する所以の者も亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四体を保たず。今死亡を悪みて不仁を楽しむは、