長短経 / 三国権
葛生有云、『事不濟即亡耳、安能復為之下?』壯哉斯言!可以立懦夫之志矣!觀古燕、齊、荆、越之敗、或國覆主滅、或魚懸鳥竄、終能建功立事康復社稷。豈曰天助、抑人謀也。向使懐茍存之計、納譙周之言、何頹基之能搆、令名之可獲哉?禪既闇主、周實駑臣、方之申包胥、田單、范蠡、大夫種、不亦逺乎?」〕
新字:葛生有云、『事不済即亡耳、安能復為之下?』壮哉斯言!可以立懦夫之志矣!観古燕、斉、荆、越之敗、或国覆主滅、或魚懸鳥竄、終能建功立事康復社稷。豈曰天助、抑人謀也。向使懐苟存之計、納譙周之言、何頹基之能搆、令名之可獲哉?禅既闇主、周実駑臣、方之申包胥、田単、范蠡、大夫種、不亦遠乎?」〕
書き下し
葛生云える有り『事済らずんば即ち亡ぶのみ。安んぞ能く復た之が下と為らん』と。壮なるかな斯の言。以て懦夫の志を立つべし。古の燕・斉・荊・越の敗を観るに、或いは国覆り主滅び、或いは魚のごとく懸かり鳥のごとく竄るも、終に能く功を建て事を立て、社稷を康復す。豈に天助と曰わんや。抑も人謀なり。向使し苟存の計を懐き、譙周の言を納れば、何ぞ頽基の能く搆え、令名の獲べけんや。禅は既に闇主にして、周は実に駑臣なり。之を申包胥・田単・范蠡・大夫種に方ぶるに、亦た遠からずや」と。〕
現代語訳
諸葛亮はかつて「事が成らなければ滅ぶだけだ。どうしてまた人の下につけようか」と言った。なんと勇ましい言葉か。臆病な者にも志を立てさせる。昔の燕・斉・楚・越の敗北を見ると、国が覆り君主が滅んだり、魚のように吊るされ鳥のように逃げ隠れしたりしながら、ついには功を立て事を成し、国を立て直している。天の助けと言えようか。いや、人の謀である。もし仮にでも生き延びる計を抱き、譙周の言葉を受け入れていたら、崩れた基盤を築き直し、名誉を得ることができただろうか。劉禅はもともと暗愚な君主で、譙周はまったく鈍い臣下だった。これを申包胥・田単・范蠡・文種と比べれば、なんとかけ離れていることか」。〕
解説
孫盛は諸葛亮の、成らなければ滅ぶだけだ、人の下にはつかないという言葉を掲げます。そして、燕や斉や越が一度は滅びかけながら国を取り戻した例を挙げ、それは天の助けではなく人の謀だったと言う。蜀の降伏は、戦う条件がなかったからではなく、戦う意志を持つ人が上にいなかったからだという結論です。申包胥や范蠡の名は、どん底から国を取り戻した人の系譜として引かれています。
この章句が説くこと
三国権孫盛諸葛亮意志再興人謀
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