長短経 / 覇図
田齊以為然、乃聽酈生説、罷歴下兵守。淮陰侯乃夜渡兵平原襲齊。齊王烹酈生、引兵東走。初、酈生見沛公、沛公方倨床、使兩女子洗足、而見酈生。酈生入長揖不拜、曰、「足下欲助秦攻諸侯耶?且欲率諸侯破秦耶?」沛公罵曰、「豎儒!天下同苦秦乆矣、故諸侯相率而攻秦、何謂助秦攻諸侯乎?」酈生曰、「必欲聚徒、合義兵、誅無道之秦、不宜倨見長者。」於是沛公輟洗足、起而謝之。也〕
新字:田斉以為然、乃聴酈生説、罷歴下兵守。淮陰侯乃夜渡兵平原襲斉。斉王烹酈生、引兵東走。初、酈生見沛公、沛公方倨床、使両女子洗足、而見酈生。酈生入長揖不拝、曰、「足下欲助秦攻諸侯耶?且欲率諸侯破秦耶?」沛公罵曰、「豎儒!天下同苦秦久矣、故諸侯相率而攻秦、何謂助秦攻諸侯乎?」酈生曰、「必欲聚徒、合義兵、誅無道之秦、不宜倨見長者。」於是沛公輟洗足、起而謝之。也〕
書き下し
田斉、以て然りと為し、乃ち酈生の説を聴き、歴下の兵守を罷む。淮陰侯、乃ち夜に兵を平原に渡して斉を襲う。斉王、酈生を烹て、兵を引きて東に走る。初め、酈生、沛公に見ゆ。沛公、方に床に倨り、両女子をして足を洗わしめて、酈生に見ゆ。酈生入りて長揖して拝せず、曰く「足下、秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且た諸侯を率いて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く「豎儒。天下、同じく秦に苦しむこと久し。故に諸侯相い率いて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂うか」と。酈生曰く「必ず徒を聚め義兵を合わせ、無道の秦を誅せんと欲せば、宜しく倨りて長者に見ゆべからず」と。是に於て沛公、足を洗うを輟め、起ちて之に謝せり。〉
現代語訳
斉王はもっともだと思い、酈食其の説を聴いて、歴下の守備を解いた。淮陰侯韓信は夜に兵を平原から渡らせて斉を襲った。斉王は酈食其を釜ゆでにし、兵を率いて東へ走った。はじめ酈食其が沛公に会ったとき、沛公は寝台に足を投げ出し、二人の女に足を洗わせながら会った。酈食其は入って長く会釈しただけで拝礼せず、言った。「あなたは秦を助けて諸侯を攻めようとするのか。それとも諸侯を率いて秦を破ろうとするのか」。沛公は罵って言った。「こわっぱ儒者め。天下がともに秦に苦しんで久しい。だから諸侯が連れ立って秦を攻めている。どうして秦を助けて諸侯を攻めると言うのか」。酈食其は言った。「本当に人を集め義の軍を合わせ、無道の秦を誅そうとするなら、足を投げ出して年長者に会うべきではない」。そこで沛公は足を洗うのをやめ、立ち上がって詫びた。〉
解説

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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
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『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
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『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
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『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
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『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。