長短経 / 運命
按、孫卿、墨翟、尉繚之說、言吉凶祸福在於人矣。周公誡成王曰、「昔殷王中宗、治人祇懼、弗敢荒寧、享國七十年。其在髙宗、嘉靖殷邦、至於小大、無時或怨、享國五十九年。其在祖甲、爰知小人之衣食、能保惠於庶人、弗侮鰥寡、享國三十有三年。自時厥後、立王生則逸、惟耽樂之從、亦罔或克夀。或十年、或七、八年、或三、四年。嗚呼!嗣王其鑒於茲。」
新字:按、孫卿、墨翟、尉繚之説、言吉凶祸福在於人矣。周公誡成王曰、「昔殷王中宗、治人祇懼、弗敢荒寧、享国七十年。其在高宗、嘉靖殷邦、至於小大、無時或怨、享国五十九年。其在祖甲、爰知小人之衣食、能保恵於庶人、弗侮鰥寡、享国三十有三年。自時厥後、立王生則逸、惟耽楽之従、亦罔或克寿。或十年、或七、八年、或三、四年。嗚呼!嗣王其鑒於茲。」
書き下し
按ずるに、孫卿・墨翟・尉繚の説は、吉凶禍福は人に在ることを言うなり。周公、成王を誡めて曰く「昔、殷王中宗は、人を治むるに祇懼し、敢えて荒寧せず、国を享くること七十年。其の高宗に在りては、殷邦を嘉靖し、小大に至るまで、時に或いは怨むこと無く、国を享くること五十九年。其の祖甲に在りては、爰に小人の衣食を知り、能く庶人を保恵し、鰥寡を侮らず、国を享くること三十有三年。時れより厥の後、立王は生まれて則ち逸し、惟れ耽楽に之れ従い、亦た克く寿なる或る罔し。或いは十年、或いは七八年、或いは三四年。嗚呼、嗣王其れ茲に鑒みよ」と。
現代語訳
考えてみると、荀子・墨子・尉繚の説は、吉凶禍福は人にかかっていると言っている。周公は成王を戒めて言った。「昔、殷の中宗は人を治めるのに慎み恐れ、怠けて安楽に過ごすことをしなかったので、在位七十年であった。高宗は殷の国をよく安らげ、身分の上下を問わず恨む者がいなかったので、在位五十九年であった。祖甲は庶民の衣食の苦労を知り、民を保護して恵み、身寄りのない者を侮らなかったので、在位三十三年であった。それ以後の王は生まれながらに安楽で、ただ楽しみにふけるばかりで、長く位を保てた者はいなかった。十年、七八年、三四年という者ばかりである。ああ、跡を継ぐ王よ、これを鑑とせよ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
-
『正法眼蔵随聞記』巻四示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
-
尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。
-
徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
-
尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
-
『十善法語』巻第八・不貪欲戒孟子ニ。葛伯猟ス。童子餉ヲ餽ル。葛伯見テ。童子ヲ殺シテ其餉ヲ奪フ。此ニ由テ湯初テ征スル葛ヨリ始トアル。民家ノ餉ハ。国君ノ口ニ適フベキデハナケレドモ。畢竟シテ戯レト慢心トノ長セルヨリ起タコトシヤ。民庶嬰孩ヲモ侮ラヌガ十善ノ心シヤ。又左伝ニ。斉ノ懿公庸織カ妻ヲ奪フ。是ニ由テ終ニ身ヲ亡シタシヤ。人ノ妻ヲ奪フマシキハ知レタコトナレドモ。臣僕ヲ侮ル故ニ出来ツタコトシヤ。臣僕ノ類ニモ謹ヲ失ハヌカ十善ノ心シヤ。不貪欲戒ハカウシヤ。