長短経 / 覇図
賊盧循據南海、因髙祖北伐乗虚下襲建業。髙祖還、乃平之。劉毅據荆州、貳於髙祖。髙祖遣將征、誅毅〔裴子野曰、「義旗同盟、莫有能全其功名者、何也?相與見疇日之趫捷、不知王業之艱難。彼則褰裳濡足、唯利是視、我則芟夷羣醜、寧或負人。劉希樂、諸葛長民皆人傑也、豈其暗於天命、亦勢使然歟?假如何孟齡石長、道庶其有血食、善哉!武王之作周也、八百諸侯皆同㑹、曰、「紂可伐矣。」尚還師於孟津、豈不知順人行戮、惡欲速多禍也。髙祖東方之師、疾則疾矣、而僥倖之釁於是乎繁。嗚呼、仁義之弊至於偷薄、而況竒功哉。〕
新字:賊盧循拠南海、因高祖北伐乗虚下襲建業。高祖還、乃平之。劉毅拠荆州、貳於高祖。高祖遣将征、誅毅〔裴子野曰、「義旗同盟、莫有能全其功名者、何也?相与見疇日之趫捷、不知王業之艱難。彼則褰裳濡足、唯利是視、我則芟夷羣醜、寧或負人。劉希楽、諸葛長民皆人傑也、豈其暗於天命、亦勢使然歟?仮如何孟齢石長、道庶其有血食、善哉!武王之作周也、八百諸侯皆同会、曰、「紂可伐矣。」尚還師於孟津、豈不知順人行戮、悪欲速多禍也。高祖東方之師、疾則疾矣、而僥倖之釁於是乎繁。嗚呼、仁義之弊至於偸薄、而況奇功哉。〕
書き下し
賊盧循、南海に拠り、高祖の北伐するに因りて虚に乗じて下りて建業を襲う。高祖還りて、乃ち之を平らぐ。劉毅、荊州に拠り、高祖に貳す。高祖、将を遣わして征し、毅を誅す。〈裴子野曰く「義旗の同盟、能く其の功名を全うする者有る莫きは、何ぞや。相い与に疇日の趫捷を見て、王業の艱難を知らざればなり。彼は則ち裳を褰げ足を濡らし、唯だ利のみ是れ視る。我は則ち群醜を芟夷し、寧んぞ或いは人に負かんや。劉希楽・諸葛長民は皆な人傑なり。豈に其れ天命に暗きか、亦た勢いの然らしむるか。仮如し何孟の齢石の長ずるがごとくんば、道に其れ血食有らんか。善いかな。武王の周を作すや、八百諸侯皆な同じく会して曰く『紂は伐つ可し』と。尚お師を孟津に還す。豈に人に順いて戮を行うを知らざらんや。悪、速やかならんと欲すれば禍多ければなり。高祖の東方の師、疾きは則ち疾し。而して僥倖の釁、是に於て繁し。嗚呼、仁義の弊は偸薄に至る。而るに況んや奇功をや」と。〉
現代語訳
賊の盧循が南海に拠り、高祖が北伐している隙に乗じて下って建業を襲った。高祖は帰ってこれを平らげた。劉毅が荊州に拠り、高祖に二心を抱いた。高祖は将を遣わして征伐し、劉毅を誅した。〈裴子野はこう言った。「義旗の同盟で、功名を全うできた者がいないのはなぜか。互いに昔日の身軽さを見ていて、王業の困難を知らないからである。彼らは裳をからげて足を濡らし、ただ利益だけを見る。我々は醜い者どもを刈り取るのだから、どうして人に背くことがあろうと思う。劉毅と諸葛長民はどちらも人傑である。天命に暗かったのか、それとも勢いがそうさせたのか。もし朱齢石のように長じていれば、その道にも祭祀が続いたかもしれない。武王が周を作ったとき、八百の諸侯がみな集まって『紂は伐てる』と言った。それでも軍を孟津から返した。人に従って誅を行うことを知らなかったのか。悪を早く除こうとすれば禍が多いからである。高祖の東方の軍は、速いことは速かった。しかし僥倖による亀裂がここから多くなった。ああ、仁義の弊害は薄情に至る。まして奇功であればなおさらだ」。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図今、陛下、豊沛に起こり、卒三千人を収め、之を以て径ちに往きて蜀漢を巻き、三秦を定め、項籍と滎陽に戦い、成皋の口を争う。大戦七十、小戦四十。天下の民をして肝脳地に塗れ、父子、骨を中野に暴さしむること、勝げて数う可からず。哭泣の声、未だ絶えず、傷夷の卒、未だ起たず。而るに隆きを成康の時に比せんと欲す。臣、竊かに以て侔しからずと為す。
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『長短経』覇図裕等の心を叩き血に泣き、啓処するに遑あらず、夕に寤め宵に興き、忠烈を奨めんことを思い、潜かに崎嶇を構うること、虎を履むに過ぐる所以なり。機に乗じて奮発し、義は全きを図らず。輔国将軍劉毅・広武将軍何無忌等、忠烈は金を断ち、精誠は日を貫く。袂を投じ戈を荷い、志は命を畢うるに在り。義衆既に集まり、文武争いて先んず。咸な謂う、一統有らずんば、事、以て輯むる無しと。辞して已むを獲ず、遂に軍要を総ぶ。庶わくは上は祖宗の霊に憑り、下は義夫の力を罄くし、逋逆を翦馘し、華夏を盪清せん。公侯諸君、或いは世々忠貞を樹て、或いは身ら爵禄に寵せらる。而して並びに眉を俛して猾豎にし、自ら効す由無し。周道を顧瞻するに、寧んぞ弔せざらんや。今日の事、良に其の会なり。裕、虚薄を以て、才は古人に非ず。任を既に傾くの運に受け、勢いを已に替わるの機に接す。丹誠未だ宣べず、感奮填激す。霄漢を望みて以て永懐し、山川を顧みて佇を増す。檄を投ずるの日、神は賊廷に馳す」と。
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『長短経』覇図高祖武皇帝、姓は劉、名は裕、字は徳輿、彭城の人なり。桓玄、晋を簒う。〈偽楚の桓玄、字は敬徳、譙国龍亢の人なり。形貌瓌特なり。江州刺史と為り、荊州刺史殷仲堪を襲い殺す。会稽王の世子元顕、政を専らにす。玄の跋扈するを以て、軍を遣わして之を征す。玄、討たるるを聞き見て、即ち衆を率いて下りて京師に至り、元顕を殺す。詔して玄を以て丞相と為し、楚王に封ず。遂に位を禅る。〉高祖、劉毅・何無忌等と潜かに匡復を謀り、兵を起こして玄を平らぐ。〈時に桓玄、桓弘をして広陵に鎮せしむ。劉道規、弘の中兵参軍と為る。道規をして弘を襲わしむ。桓修、丹徒に鎮す。高祖、修の中兵参軍と為り、自ら修を襲う。期を克して同に発す。劉毅・道規等、既に広陵を襲い、桓弘を斬り、其の衆を以て南のかた渡る。高祖・何無忌、京師を襲い、桓修を斬る。二州の衆千二百人を率いて、進みて竹里に舎り、檄を京師に移す。曰く、
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『長短経』覇図天子を奉じて反正し、因りて将相の任に居り、豫州郡公に封ぜらる。蜀の賊譙縦、王と称す。高祖、将を遣わして征して之を平らぐ。〈高祖、朱齢石をして衆二万を率い、江陵より蜀を伐たしむ。高祖、誡めて曰く「劉敬宣、往きて黄武に出で、功無くして退く。今者、師出づるに、応に青衣に道すべし。賊、我が当に其の不意に出づべく、復た内水に従うと料らん。此くの如くんば、則ち涪城の戍に必ず重兵有らん。若し黄武に逼らば、正に其の計に堕つ。今、軍、外水より出でて城都を取り、疑兵を黄武に向かわしめよ。此れ敵を制するの上策なり」と。書を函に為り、署して曰く「白帝に至りて発け」と。諸将、行くと雖も、未だ趨く所を知らず。白帝に至るに及び、乃ち書を発く。言う、衆軍は悉く外水に由り、臧熹は中水より出でて広漢へ、と。羸弱をして高檻千余に乗じて黄武に向かわしむ。譙縦、果たして譙道福の重兵を涪城に守るに至る。朱齢石、彭模に次し、成都を拒つこと二百里。
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『長短経』覇図沛人、其の令を殺し、高祖を立てて沛公と為す。時に項梁、薛に止まる。沛公、往きて之に従い、共に義帝を立つ。〈范増、項梁に説きて曰く「秦は六国を滅ぼすに、楚最も罪無し。懐王、秦に入りて反らざるより、楚人之を憐れむ。故に語に曰く『楚は三戸と雖も、秦を亡ぼすは必ず楚ならん』と。今、陳勝、事を首むるも、楚の後を立てず。其の勢い長からず。今、君は江東に起こり、楚の蜂起の将、皆な争いて君に附く者は、君の代々楚の将たるを以て、将た復た楚の後を立つればなり」と。梁、因りて懐王の孫心を求めて之を立つ。〉約して曰く、先ず咸陽に入る者は之に王たらん、と。
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『長短経』覇図論じて曰く、干宝称す「帝王の興るは、必ず天命を俟つ。苟くも代謝有るは、人事に非ざるなり。堯舜の内禅は、文徳に体するなり。漢魏の外禅は、大名に順うなり。湯武の革命は、天人に応ずるなり。高光の争伐は、功業を定むるなり。各々其の運に因りて天下を得たり。時に随うの義、大なるかな」と。范曄曰く「古自り大業を喪い、宗禋を絶つは、其の削弱禍敗を致す所以の者、蓋し漸く由る有るなり。三代は嬖色を以て禍を取り、嬴氏は奢虐を以て災いを致す。西京は外戚より祚を失い、東都は閹尹に縁りて国を傾く」と。成敗の来たるは、先史、之を商ること久し。秦漢自り周隋に迄るまで、其の興亡を観るに、亦た数有りと雖も、然れども大抵之を得る者は、皆な賢豪を得て、人の為に利を興し害を除くに因る。其の之を失うや、群小を任用し、奢汰度無きに因らざるは莫し。孔子曰く「約を以て之を失う者は鮮し」と。又た曰く「佞人を遠ざけ、僻悪を去れ」と。旨有るかな。