長短経 / 懼戒
秦始皇帝遊㑹稽、至沙丘、疾甚。始皇令趙髙為書賜公子扶蘇、未授使者、始皇崩。〔時始皇有二十餘子。長子扶蘇、使監兵上郡、蒙恬為將。少子胡亥、愛、請從、上許之。餘子莫從。丞相李斯以為上在外崩、無真太子、故秘之。羣臣莫知也。〕
新字:秦始皇帝遊会稽、至沙丘、疾甚。始皇令趙高為書賜公子扶蘇、未授使者、始皇崩。〔時始皇有二十余子。長子扶蘇、使監兵上郡、蒙恬為将。少子胡亥、愛、請従、上許之。余子莫従。丞相李斯以為上在外崩、無真太子、故秘之。羣臣莫知也。〕
書き下し
秦の始皇帝、会稽に遊び、沙丘に至りて、疾甚だし。始皇、趙高をして書を為りて公子扶蘇に賜わしむ。未だ使者に授けざるに、始皇崩ず。〔時に始皇に二十余子有り。長子扶蘇は、兵を上郡に監せしめ、蒙恬将たり。少子胡亥は愛せられ、従わんことを請い、上之を許す。余子は従う莫し。丞相李斯以為えらく、上外に崩じ、真の太子無しと。故に之を秘す。群臣知る莫し。〕
現代語訳
秦の始皇帝は会稽に巡遊し、沙丘に至って病が重くなった。始皇帝は趙高に手紙を書かせて公子扶蘇に賜ろうとしたが、使者に渡さないうちに崩じた。〔当時、始皇帝には二十数人の子がいた。長子扶蘇は上郡で兵を監督させられ、蒙恬が将軍だった。末子の胡亥は寵愛され、随行を願い出て許された。他の子は誰も随行しなかった。丞相李斯は、皇帝が都の外で崩じ、正式な太子が定まっていないので、死を秘密にした。群臣は誰も知らなかった。〕
解説
始皇帝は後継者を正式に定めないまま、旅先で倒れました。長子の扶蘇は遠い北の辺境にいて、皇帝のそばにいたのは末子の胡亥と、宦官の趙高と、丞相の李斯だけ。遺言の手紙は書かれたのに、まだ使者に渡されていなかった。李斯は混乱を避けるために死を秘密にしましたが、その秘密こそが、少数の者が国の行方を決める密室を生みました。後継を決めずに権力者が倒れると、手紙一通の行方が国を左右するのです。
この章句が説くこと
懼戒始皇帝趙高李斯後継者密室
関連する章句
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史記 李斯列伝始皇沙丘に崩ず。趙高丞相斯に謂ひて曰く、「上崩じ、長子扶蘇に書を賜ひ、喪と咸陽に会して嗣と立たしむ。書未だ行かず、今上崩ずるも、未だ知る者有らざるなり。長子に賜ふ所の書及び符璽皆胡亥の所に在り、太子を定むるは君侯と高との口に在るのみ。事将に何如せん」と。斯曰く、「安ぞ亡国の言を得ん、此れ人臣の当に議すべき所に非ざるなり」と。高曰く、「君侯自ら料るに能は蒙恬と孰れぞ、功高きは蒙恬と孰れぞ、謀遠くして失はざるは蒙恬と孰れぞ、長子の旧くして之を信ずるは蒙恬と孰れぞ」と。斯曰く、「此の五者皆蒙恬に及ばず、而して君の之を責むる何ぞ深きや」と。高曰く、「長子即位せば必ず蒙恬を用ひて丞相と為し、君侯終に通侯の印を懐きて郷里に帰らざること、明らかなり」と。斯乃ち天を仰ぎて嘆じ、涙を垂れ太息して曰く、「嗟乎、独り乱世に遭ひ、既に以て死する能はず、安くにか命を託せんや」と。是に於いて斯乃ち高に聴く。
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『長短経』懼戒趙高因りて扶蘇に賜う所の璽書を留め、而して公子胡亥に謂いて曰く「上崩じ、詔して諸子を封王すること無くして、独り長子に書を賜う。長子至らば、即ち位に即きて皇帝と為り、而して子は尺寸の地無し。之を為すこと奈何」と。胡亥曰く「固より然り。吾聞く、明君は臣を知り、明父は子を知る、と。父既に命を捐てて、諸子を封ぜず。何ぞ言うべけんや」と。趙高曰く「然らず。方今、天下の権の存亡は、子と高と丞相とに在るのみ。願わくは子之を図れ。且つ夫れ人を臣とすると人に臣とせらるると、人を制すると人に制せらるると、豈に日を同じくして道うべけんや」と。胡亥曰く「兄を廃して弟を立つるは、是れ不義なり。父の詔を奉ぜずして死を畏るるは、是れ不孝なり。能薄く材謭くして、強いて人の功に因るは、是れ不能なり。三者は徳に逆らい、天下服せず」と。
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『長短経』懼戒胡亥既に高の言を然りとし、乃ち丞相斯に謂いて曰く「上崩じ、長子に書を賜い、喪と俱に咸陽に会して、立てて嗣と為さしむ。書未だ行かざるに、今上崩じ、未だ知る者有らず。事将に何如せん」と。斯曰く「安んぞ亡国の言を得んや」と。高曰く「君、自ら料るに、才能は蒙恬に孰与れぞ。功の高きこと蒙恬に孰与れぞ。謀の遠くして失わざること蒙恬に孰与れぞ。天下に怨み無きこと蒙恬に孰与れぞ。長子の旧くして之を信ずること蒙恬に孰与れぞ」と。斯曰く「此の五者は皆蒙恬に及ばず。而るに君の之を責むること何ぞ深きや」と。高曰く「高は故の内官の廝役なり。幸いに刀筆の吏を以て秦宮に進入することを得、事を管すること二十余年、未だ嘗て秦の免罷せし丞相・功臣の封有りて二世に及ぶ者を見ず。卒に皆以て誅亡す。皇帝の二十余子は、皆君の知る所なり。長子は剛毅にして武勇、人を信じて事に奮う。位に即かば必ず蒙恬を用いて丞相と為さん。君侯の終に通侯の印を懐きて郷里に帰らざること、明らかなり。高、詔を受けて胡亥に教習して法を学ばしむ。仁慈篤厚にして、財を軽んじ士を重んず。秦の諸子皆及ぶ莫し。以て嗣と為すべし。君、計りて之を定めよ」と。
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『長短経』懼戒斯曰く「吾聞く、晋は太子を易えて、三世安からず。斉桓は兄弟位を争いて、身死して戮と為る。紂は親戚を残賊し、諫めを聴かずして、国は丘墟と為る。三者は天に逆らい、宗廟血食せず。斯其れ猶お人なり。安んぞ与に謀るに足らん」と。高曰く「上下合同すれば、以て長久なるべし。中外一の若くなれば、事に表裏無し。君、臣の計を聴かば、則ち長く封侯有り、世々孤と称し、必ず喬・松の寿、孔・墨の智有らん。今此を釈きて従わずんば、禍は子孫に及び、寒心するに足らん。善き者は敗に因りて福と為す。君何くにか処らん」と。斯乃ち天を仰ぎて歎じ、涕を垂れて太息して曰く「既已に死すること能わず、安くにか命を託さん」と。乃ち高に聴きて胡亥を立て、改めて璽書を賜い、扶蘇・蒙恬を殺す。
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史記 李斯列伝是に於いて乃ち相与に謀り、詐りて始皇の詔を丞相に受くと為し、子胡亥を立てて太子と為す。更に書を為りて長子扶蘇に賜ひて曰く、「扶蘇人の子と為りて不孝なり、其れ剣を賜ひて以て自裁せよ。将軍恬不忠なり、其れ死を賜ふ」と。使者至り、書を発するや、扶蘇泣き、内舍に入りて自殺せんと欲す。蒙恬扶蘇を止めて曰く、「陛下外に居り、未だ太子を立てず、安ぞ詐に非ざるを知らん。復た請ふを請ふ、復た請ひて後に死するも、未だ暮からざるなり」と。使者数々之を趣す。扶蘇曰く、「父にして子に死を賜ふ、尚ほ安ぞ復た請はん」と。即ち自殺す。二世立ち、趙高用事し、法令の誅罰日に益々刻深にして、群臣人人自ら危ふみ、畔かんと欲する者衆し。
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『長短経』懼戒斯曰く「斯は上蔡の閭巷の布衣なり。上幸いに擢でて丞相と為すは、固より将に存亡安危を以て臣に属せんとするなり。豈に負くべけんや。夫れ忠臣は死を避けずして庶幾し、孝子は勤労せずして危うきを見る。君其れ復た言うこと勿かれ」と。高曰く「蓋し聞く、聖人は遷徙常無く、変に就きて時に従い、末を見て本を知り、指を観て帰するを覩る、と。物固より之有り。安んぞ常法を得んや。方今、天下の権は、命を胡亥に懸け、高は能く志を得たり。且つ夫れ外より中を制する、之を惑と謂い、下より上を制する、之を賊と謂う。故に秋霜降れば草華落ち、水風揺るれば万物作る。此れ必然の効なり。君侯、何ぞ之を見ることの晩きや」と。