長短経 / 臣行
〔議曰、商鞅初因景監求見秦孝公、説以帝道、孝公意不入、時時睡、後又與鞅語、不知膝之過席。景監曰、“子何以申吾君?君之歡甚也。”鞅曰、“始吾說公以帝道、而君曰、『久逺安能邑邑待數十百年以子孫成事乎?』吾又說以伯道、其意欲之而未能也。吾又以强國之術說君、君大悅之。然亦難以比徳于殷周矣!”
新字:〔議曰、商鞅初因景監求見秦孝公、説以帝道、孝公意不入、時時睡、後又与鞅語、不知膝之過席。景監曰、“子何以申吾君?君之歓甚也。”鞅曰、“始吾説公以帝道、而君曰、『久遠安能邑邑待数十百年以子孫成事乎?』吾又説以伯道、其意欲之而未能也。吾又以強国之術説君、君大悦之。然亦難以比徳于殷周矣!”
書き下し
〔議に曰く、商鞅、初め景監に因りて秦の孝公に見えんことを求む。説くに帝道を以てす。孝公は意に入らず、時時に睡る。後に又た鞅と語り、膝の席を過ぐるを知らず。景監曰く「子、何を以て吾が君に申べたるか。君の歓ぶこと甚だし」と。鞅曰く「始め吾れ公に説くに帝道を以てす。而るに君曰く『久遠なり。安くんぞ能く邑邑として数十百年を待ち、子孫を以て事を成さんや』と。吾れ又た説くに伯道を以てす。其の意、之を欲すれども未だ能わざるなり。吾れ又た強国の術を以て君に説く。君、大いに之を悦ぶ。然れども亦た以て徳を殷周に比し難し」と。
現代語訳
〔議していう。商鞅は初め景監を通じて秦の孝公に会うことを求めた。説くのに帝道をもってした。孝公は心に入らず、たびたび居眠りした。後にまた商鞅と語り、膝が席を越えるのにも気づかなかった。景監が言った。「あなたは何を我が君に述べたのか。君のお喜びようが並々でない」。商鞅は言った。「初め私は公に帝道を説いた。ところが君は『遠すぎる。どうして悶々として数十年百年を待ち、子孫の代で事を成せようか』と言った。私はまた覇道を説いた。その意は欲しがったが、まだできなかった。私はまた強国の術で君に説いた。君は大いに喜んだ。しかしそれでは徳を殷や周に比べることは難しい」と。
解説

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史記 商君列伝公叔既に死し、公孫鞅秦の孝公の令を国中に下して賢者を求め、将に繆公の業を修め、東のかた侵地を復さんとするを聞き、乃ち遂に西のかた秦に入り、孝公の寵臣景監に因りて以て孝公に見えんことを求む。孝公既に衛鞅に見え、事を語ること良久しきも、孝公時時睡りて、聴かず。罷みて孝公景監を怒りて曰く、「子の客は妄人のみ、安くんぞ用ふるに足らんや」と。景監以て衛鞅を譲む。衛鞅曰く、「吾公に説くに帝道を以てす、其の志開悟せざりき」と。後五日、復た鞅に見えんことを求む。鞅復た孝公に見ゆ、益々愈れり、然れども未だ旨に中らず。罷みて孝公復た景監を譲め、景監も亦鞅を譲む。鞅曰く、「吾公に説くに王道を以てして未だ入らざるなり。請ふ復た鞅に見えよ」と。鞅復た孝公に見ゆ、孝公之を善しとすれども未だ用ひざるなり。罷みて去る。孝公景監に謂ひて曰く、「汝の客善し、与に語るべし」と。鞅曰く、「吾公に説くに霸道を以てす、其の意之を用ひんと欲す。誠に復た我に見えば、我之を知れり」と。衛鞅復た孝公に見ゆ。公与に語り、自ら厀の席より前むを知らざるなり。語ること数日にして厭かず。景監曰く、「子何を以て吾が君に中てたる。吾が君の懽び甚だし」と。鞅曰く、「吾君に説くに帝王の道の三代に比するを以てす、而して君曰く、『久遠なり、吾待つ能はず。且つ賢君なる者は、各々其の身に及びて名を天下に顕す、安くんぞ能く邑邑として数十百年を待ちて以て帝王を成さんや』と。故に吾彊国の術を以て君に説く、君大いに之を説ぶのみ。
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『長短経』臣行或るひと曰く「商鞅は徒歩より起こり、孝公に干め、三術の略を挟み、六国の縦を呑み、秦をして帝業ならしむ。覇者の佐と為す可きか」と。劉向曰く「夫れ商君は、内は耕戦の業を急にし、外は戦伐の賞を重んず。貴寵に阿らず、疎遠に偏らず。書に『偏無く党無し』と云い、詩に『周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し』と云い、司馬法の戎士を厲まし、周の后稷の農業を勧むと雖も、以て此に易うる無し。此れ諸侯を并す所以なり。
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『長短経』臣行此に由りて之を観れば、商鞅の深刻にして信を棄つるは、霸者の佐に非ざること明らかなり。然れども孝公は速やかならんことを欲して、鞅の言に従わず。孝公の過ちなり。商鞅は世に牽かれ、君に迫られ、其の志を行うを得ざるのみ。劉向の鞅に霸王の術無しと以えるは、謬れり。〕
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『長短経』臣行衛鞅、始め自ら以て王霸の徳を知ると為す。其の事を原ぬるに、倫ならざるなり。昔、周の召公、美政を施す。其の死するや、後世之を思う。蔽芾たる甘棠の詩是なり。嘗て樹下に舎る、其の樹を伐るに忍びず。況んや身を害するに於てをや。管仲、伯氏の駢邑三百戸を奪うも怨言無し。今、衛鞅は内は刀鋸の刑を刻み、外は鈇鉞の誅を深くす。身死して車裂かる。其の霸者の佐を去ること、亦た遠し。然れども孝公の之を殺すも亦た非なり。輔けて用う可し。衛鞅をして寛平の法を施し、之に加うるに恩を以てし、之を申ぶるに信を以てせしめば、庶幾くは霸者の佐ならんか」と。
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『長短経』適変孝公曰く「善し」と。甘龍曰く「然らず。聖人は人を易えずして教え、智者は法を変えずして治む。人に因りて教うれば、労せずして功成り、法に縁りて理むれば、吏は習いて人は安んず」と。衛鞅曰く「龍の言う所は、世俗の言なり。常人は習俗に安んじ、学者は聞く所に溺る。此の両者を以て官に居り法を守るは可なり。与に法の外に論ずる所以に非ざるなり。三代は礼を同じくせずして王たり、五覇は法を同じくせずして覇たり。智者は法を作り、愚者は制せらる。賢者は礼を更め、不肖者は拘わる」と。杜贄曰く「利、百ならずんば法を変えず、功、十ならずんば器を易えず。古に法れば過ち無く、礼を修むれば邪無し」と。衛鞅又た曰く「代を治むるに一道ならず、国を便にするに故きに法らず。故に湯・武は古に循わずして王たり、夏・殷は礼を易えずして亡ぶ。古に反する者は非とす可からずして、礼に循う者は多とするに足らず」と。孝公曰く「善し」と。遂に法を変うるなり。〉
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論衡・『論衡』逢遇篇第一・正しい説より相手が求める説商鞅、秦の孝公に三たび説くに、前の二説は聴かれず、後の一説は用いらる。前の二は帝王の論、後の一は霸者の議なればなり。夫れ帝王の論を持して霸者の主に説けば、精なりと雖も距がる。更めて霸説に調えば、粗なりと雖も受けらる。何となれば、精は孝公の欲し得ざる所に遇い、粗は孝公の行わんと欲する所に遇えばなり。故に説く者は善に在らず、説かるる者のこれを善とするに在り。才は賢を待たず、事うる所の者のこれを賢とするに在り。馬圄の説は方無きも、野人これを説び、子貢の説は義有るも、野人聴かず。