長短経 / 三国権
〔時孫權遣使報備、欲共取蜀、曰、「米賊張魯居王巴漢、為曹操耳目、規圗益州、劉璋不能自守。若操得蜀、則荆州危矣。今欲先攻取璋、進討張魯、首尾相連、一統吴楚、雖有十操、無所憂也。」或説備宜報聼許、吴終不能越荆冇蜀、蜀地可有也。主簿殷觀曰、「若為吳先駈進未能克蜀、返為吳所乗、則大事去矣!」備從之、拒荅權曰、「益州民富國強、土地阻險、劉璋雖弱、足以自守。張魯虚偽、未必盡忠於操。今暴師於蜀漢、轉運於萬里、欲使戰克攻取、舉不失利、此吳起不能定其規、孫武不能善其事。今曹操三分天下有其二、將飲馬滄海、觀兵於吴而同盟無故自相攻伐、借樞於操、使敵乗其隙、非計也。」權知備意、乃止也。〕
新字:〔時孫権遣使報備、欲共取蜀、曰、「米賊張魯居王巴漢、為曹操耳目、規図益州、劉璋不能自守。若操得蜀、則荆州危矣。今欲先攻取璋、進討張魯、首尾相連、一統呉楚、雖有十操、無所憂也。」或説備宜報聴許、呉終不能越荆冇蜀、蜀地可有也。主簿殷観曰、「若為呉先駈進未能克蜀、返為呉所乗、則大事去矣!」備従之、拒荅権曰、「益州民富国強、土地阻険、劉璋雖弱、足以自守。張魯虚偽、未必尽忠於操。今暴師於蜀漢、転運於万里、欲使戦克攻取、舉不失利、此呉起不能定其規、孫武不能善其事。今曹操三分天下有其二、将飲馬滄海、観兵於呉而同盟無故自相攻伐、借枢於操、使敵乗其隙、非計也。」権知備意、乃止也。〕
書き下し
〔時に孫権、使いを遣わして備に報じ、共に蜀を取らんと欲して曰く「米賊張魯、巴・漢に居王し、曹操の耳目と為りて、益州を規図す。劉璋は自ら守ること能わず。若し操蜀を得ば、則ち荊州危うし。今、先ず攻めて璋を取り、進みて張魯を討ち、首尾相連ね、呉・楚を一統せんと欲す。十操有りと雖も、憂うる所無きなり」と。或るひと備に宜しく報じて聴許すべし、呉は終に荊を越えて蜀を有つこと能わず、蜀の地は有つべきなりと説く。主簿殷観曰く「若し呉の先駆と為りて進みて未だ蜀に克つこと能わず、返りて呉の乗ずる所と為らば、則ち大事去らん」と。備之に従い、拒みて権に答えて曰く「益州は民富み国強く、土地阻険なり。劉璋弱しと雖も、以て自ら守るに足る。張魯は虚偽にして、未だ必ずしも尽く操に忠ならず。今、師を蜀・漢に暴し、転運を万里にし、戦えば克ち攻むれば取り、挙げて利を失わざらしめんと欲するは、此れ呉起も其の規を定むること能わず、孫武も其の事を善くすること能わず。今、曹操は天下を三分して其の二を有し、将に馬に滄海に飲ませ、兵を呉に観せんとす。而るに同盟故無くして自ら相攻伐し、枢を操に借し、敵をして其の隙に乗ぜしむるは、計に非ざるなり」と。権、備の意を知り、乃ち止むなり。〕
現代語訳
〔そのころ孫権は劉備に使者を送り、ともに蜀を取ろうと持ちかけて言った。「米賊の張魯が巴・漢中で王のように振る舞い、曹操の耳目となって益州を狙っている。劉璋は自分を守れない。もし曹操が蜀を得れば荊州が危うい。いま先に劉璋を攻め取り、進んで張魯を討ち、首尾をつなげて呉と楚を一つにしたい。そうすれば曹操が十人いても心配ない」。ある人は劉備に、承諾の返事をすべきだ、呉は結局荊州を越えて蜀を保つことはできないから、蜀は我々のものになると説いた。主簿の殷観は言った。「もし呉の先駆けとなって進み、蜀に勝てないうちに背後を呉に突かれれば、大事は終わりです」。劉備はこれに従い、断りの返事を孫権に送った。「益州は民が富み国は強く、土地は険しい。劉璋は弱くても自分を守るには足ります。張魯は偽りの多い男で、曹操に忠を尽くすとは限りません。いま蜀・漢中に兵をさらし、万里の彼方まで物資を運び、戦えば勝ち攻めれば取り、少しも利を失わないようにしようなど、呉起でも計画を立てられず、孫武でもうまくやれません。いま曹操は天下の三分の二を持ち、東の海で馬に水を飲ませ、呉に兵を見せつけようとしています。それなのに同盟する者がわけもなく攻め合い、曹操に要を貸し、敵に隙を突かせるのは、良い計ではありません」。孫権は劉備の意図を察して取りやめた。〕
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』三国権備、亮の計を用い、好を孫権に結び、共に曹公を赤壁に拒ぎ、之を破る。曹公北に還り、権乃ち荊州を以て備に業とす。〔周瑜上疏して諫めて曰く「劉備は梟雄の姿を以てし、而して関羽・張飛は熊虎の将なり。必ず久しく屈して人の用を為す者に非ず。愚謂えらく、大計は宜しく備を徙して呉に置き、盛んに為に室を築き、其の美女玩好の物を多くして、以て其の耳目を娯しましむべし。此の二人を分かちて、各々一方に置き、瑜の如き者をして、挟みて与に攻戦するを得しめば、大事定むべきなり。今、猥りに土地を割きて、以て之に資業し、此の三人を聚めて俱に疆場に在らしむ。恐らくは蛟龍雲雨を得ば、復た池中の物に非ざらん」と。権は曹公北方に在るを以て、当に広く英雄を攬るべしとし、故に納れざるなり。〕
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『長短経』三国権荊州は北は漢・沔に拠り、利は南海を尽くし、東は呉会に連なり、西は巴・蜀に通ず。此れ武を用うるの国にして、其の主は守ること能わず。此れ殆ど天の将軍に資する所以なり。益州は険塞にして、沃野千里、天府の国なり。高祖之に因りて以て帝業を成す。劉璋は闇弱にして、張魯北に在り、民殷んに国富めども、恤うることを知らず。智能の士は、明君を得んことを思う。将軍は既に帝室の冑にして、信義は四海に著れ、英雄を総攬し、賢を思うこと渇するが如し。若し荊・益を跨有し、其の巌阻を保ち、西は諸戎と和し、南は夷越を撫し、外は好を孫権と結び、内は政理を修め、天下に変有らば、則ち上将に命じて荊州の軍を将いて以て宛・洛に向かわしめ、将軍は身ら益州の衆を率いて秦川に出でば、百姓孰か簞食壺漿して以て将軍を迎えざる者あらんや。誠に是くの如くんば、則ち霸業成すべく、漢室興すべし」と。時に曹公荊州を破り、先主呉に奔る。
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『長短経』三国権会々劉璋、曹公の漢中に向かいて張魯を討つと聞き、内に恐懼を懐く。別駕張松、璋に説きて曰く「曹公は兵強く、天下に敵無し。若し張魯の資に因りて、以て蜀の土を取らば、誰か能く之を禦がん。劉豫州は、使君の宗にして曹公の深讐なり。若し之をして魯を討たしめば、魯必ず破れん。魯破るれば則ち益州強く、曹公来たると雖も、能く為す無からん」と。璋之を然りとし、法正を遣わして先主を迎えしむ。〔時に黄権諫めて曰く「左将軍は梟名有り。今、部曲を以て之を遇せば則ち其の心を満たさず、客礼を以て之を待てば則ち一国に二君を容れず。若し客に泰山の安有らば、則ち主に累卵の危有らん。願わくは且く境を閉じて以て河の清むを待て」と。時に劉巴も亦た諫めて曰く「備は雄傑の人なり。入らば必ず為す有らん。内るべからざるなり」と。既に入り、巴又た曰く「若し備をして張魯を討たしむるは、是れ虎を山林に放つなり」と。璋並びに聴かず。〕先主、璋と涪に会す。璋既に成都に還り、先主当に璋の為に北のかた漢中を征せんとす。
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『長短経』三国権龐統、備に説きて曰く「荊州は荒残し、人物単尽す。東に呉孫有り、北に曹氏有り。鼎足の計、以て志を得難し。今、益州は国富み人強く、戸口百万、郡中の兵馬、出だす所畢く具わり、宝貨は外に求むること無し。今、権に借りて以て大事を定むべし」と。備曰く「今、吾と水火を為す者を指せば、曹操なり。操は急を以てし、吾は寛を以てす。操は暴を以てし、吾は仁を以てす。操は譎を以てし、吾は忠を以てす。毎に操と反すれば、事乃ち成すべきのみ。今、小故を以て信義を天下に失う者は、吾の取らざる所なり」と。統曰く「権変の時は、固より一道の能く定むる所に非ず。弱を兼ね昧を攻むるは、五伯の事なり。逆に取りて順に守り、之に報ゆるに義を以てし、事定まるの後、封ずるに大国を以てせば、何ぞ信に負かん。今日取らずんば、終に人の利と為らんのみ」と。備乃ち関羽をして荊州を守らしめ、自ら蜀を取らんと欲す。
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『長短経』三国権〔先主の呉に奔るや、論者以為えらく、孫権必ず之を殺さんと。程昱料りて曰く「曹公は天下に敵無く、初めて荊州を挙げ、威は江東に震う。権は謀有りと雖も、独り当たること能わず。劉備は英雄なり。関羽・張飛は皆万人の敵なり。権必ず資りて以て我を禦がん。難解け勢分かれば、備は資りて以て成らん。殺すを得べからざるなり」と。権果たして多く備に兵を与え、以て太祖を禦ぐ。時に益州刺史劉璋、曹公の荊州を征するを聞き、別駕張松を遣わして曹公に詣らしむ。曹公時に已に荊州を定め、先主を走らす。曹公、松を存録せず。松、璋に勧めて自ら絶たしむ。習鑿齒曰く「昔、斉桓は一たび其の功を矜りて、叛く者九国。曹操は漸く自ら驕伐して、天下三分す。皆之を数十年の内に勤め、之を俯仰の頃に弃つ。豈に惜しからずや。是を以て君子は労謙して日昃し、慮りて以て人に下り、功高くして之に居るに譲を以てし、勢尊くして之を守るに卑を以てす。夫れ然る後に能く其の富貴を有ち、其の功業を保ち、福を百代に伝う。何の驕矜か之れ有らんや。君子是を以て曹操の遂に天下を兼ぬること能わざるを知るなり」と。〕
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『長短経』三国権丞相諸葛亮、権の先主の殂を聞きて異計有らんことを慮り、乃ち鄧芝を遣わして好を権に修めしむ。権果たして狐疑して時に芝に見えず。芝自ら表して見えんことを請う。権、芝に語りて曰く「孤は誠に蜀と和親せんことを願う。然れども蜀主幼弱にして、国小さく勢い逼り、魏の乗ずる所と為りて、自ら保全せざらんことを恐る。此を以て猶予するのみ」と。芝対えて曰く「呉・蜀の二国は四州の地、大王は命世の英、諸葛亮は一時の傑なり。蜀に重関の固め有り、呉に三江の阻有り。此の二長を合わせ、共に脣歯と為さば、進みては天下を兼并すべく、退きては鼎足して立つべし。此れ理勢の自然なり。大王今若し質を魏に委ねば、魏は必ず上は大王の入朝を望み、下は太子の内侍を求めん。若し其れ従わずんば、則ち辞を奉じて叛を伐ち、蜀は必ず流れに順い、可を見て進まん。此くの如くんば、江南の地は、復た大王の有に非ざるなり」と。権黙然として良久しくして曰く「君の言是なり」と。遂に自ら魏と絶ち、蜀と連和す。