長短経 / 覇図
偽新室王莽者、成帝舅王曼之子、元帝王皇后之姪也。元帝崩、成帝即位、以元舅鳯為大司馬、兄弟五人皆為侯。〔元帝皇后、魏郡王禁之女。生成帝時、鳯秉政。同日封兄弟五人為五侯。〕曼早卒、鳯將薨、以莽託太后〔太后、莽之姑也。、〕封為新都侯。五侯競為僣起治第舎莽幼孤貧、獨折節恭謹。當世名士、多為莽言、上由是賢之、拜為侍中。〔莽結交□相、収贍名士、賑施賔客、故虛譽隆洽、傾熾其諸父矣。〕時、成帝廢許后立趙飛燕、飛燕女弟為昭儀。昭儀害後宫皇太子、帝無嗣、乃立定陶王欣為皇太子。〔欣者、宣帝孫、成帝弟之子。初、王祖母傅太后陰為王求為漢嗣、私事趙皇后、昭儀及帝舅王鳯、故勸立之。〕
新字:偽新室王莽者、成帝舅王曼之子、元帝王皇后之姪也。元帝崩、成帝即位、以元舅鳳為大司馬、兄弟五人皆為侯。〔元帝皇后、魏郡王禁之女。生成帝時、鳳秉政。同日封兄弟五人為五侯。〕曼早卒、鳳将薨、以莽託太后〔太后、莽之姑也。、〕封為新都侯。五侯競為僣起治第舎莽幼孤貧、独折節恭謹。当世名士、多為莽言、上由是賢之、拝為侍中。〔莽結交□相、収贍名士、賑施賓客、故虚誉隆洽、傾熾其諸父矣。〕時、成帝廃許后立趙飛燕、飛燕女弟為昭儀。昭儀害後宮皇太子、帝無嗣、乃立定陶王欣為皇太子。〔欣者、宣帝孫、成帝弟之子。初、王祖母傅太后陰為王求為漢嗣、私事趙皇后、昭儀及帝舅王鳳、故勧立之。〕
書き下し
偽新室の王莽なる者は、成帝の舅王曼の子、元帝の王皇后の姪なり。元帝崩じ、成帝即位し、元舅の鳳を以て大司馬と為す。兄弟五人、皆な侯と為る。〈元帝の皇后は、魏郡王禁の女なり。成帝を生む。時に鳳、政を秉る。同日に兄弟五人を封じて五侯と為す。〉曼、早く卒す。鳳、将に薨ぜんとし、莽を以て太后に託す。〈太后は、莽の姑なり。〉封じて新都侯と為す。五侯、競いて僭を為し、起ちて第舎を治む。莽、幼くして孤にして貧し。独り節を折りて恭謹なり。当世の名士、多く莽の為に言う。上、是に由りて之を賢とし、拝して侍中と為す。〈莽、□相と結交し、名士を収贍し、賓客に賑施す。故に虚誉隆洽して、其の諸父を傾熾せり。〉時に、成帝、許后を廃して趙飛燕を立つ。飛燕の女弟、昭儀と為る。昭儀、後宮の皇太子を害す。帝、嗣無し。乃ち定陶王欣を立てて皇太子と為す。〈欣は、宣帝の孫、成帝の弟の子なり。初め、王の祖母傅太后、陰かに王の為に漢の嗣と為らんことを求め、私かに趙皇后・昭儀及び帝の舅王鳳に事う。故に之を立つるを勧む。〉
現代語訳
偽の新室の王莽は、成帝の母方の叔父王曼の子で、元帝の王皇后の甥である。元帝が崩じて成帝が即位し、母方の一番上の叔父王鳳を大司馬とした。兄弟五人がみな侯となった。〈元帝の皇后は魏郡の王禁の娘である。成帝を生んだ。当時、王鳳が政を執った。同じ日に兄弟五人を封じて五侯とした。〉王曼は早く死んだ。王鳳は死ぬとき、王莽を太后に託した。〈太后は王莽の叔母である。〉封じて新都侯とした。五侯は競って身分を越えたことをし、屋敷の造営を始めた。王莽は幼くして父を失い貧しかった。ひとり身を低くして慎み深かった。当時の名士が多く王莽を推す言葉を述べた。上はこれによって賢いとし、侍中に任じた。〈王莽は宰相と交わりを結び、名士を援助し、賓客に施した。だから実のない名声が広がって、叔父たちを凌いだ。〉そのころ成帝は許皇后を廃して趙飛燕を立てた。飛燕の妹が昭儀となった。昭儀は後宮の皇太子を害した。帝に後継がなくなり、定陶王欣を皇太子とした。〈欣は宣帝の孫、成帝の弟の子である。はじめ、王の祖母の傅太后がひそかに王を漢の後継にしようと求め、こっそり趙皇后や昭儀、帝の叔父王鳳に取り入った。だからこれを立てるよう勧めた。〉
解説
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『長短経』覇図哀帝崩ず。時に莽、侯を以て第に在り。太皇太后、莽をして喪事を佐け備えしむ。〈太皇太后は、元帝の皇后なり。〉復た大司馬と為る。徴して中山王を立てて帝と為す。〈即ち平帝。帝の名は衍、中山王と為る。即ち孝王の子なり。〉太皇太后、朝に臨み、莽、政を秉る。百官、己を総べて以て莽に聴く。〈順に附く者は抜擢し、忤い恨む者は誅滅す。王尋・王邑を以て腹心と為し、甄豊・甄邯、撃断を主り、平晏、枢機を典り、劉歆、文章を典り、孫建、爪牙と為る。皆な才能を以て並びに顕職に任ず。莽、色厲しくして言方し。為す所有らんと欲すれば、微かに風采を見わす。党与、意を承けて之を顕奏す。莽、因りて固く譲り、已むを得ざるを示し、上は以て太后を感ぜしめ、下は以て信を衆庶に取る。越裳氏、重訳して白雉一、黒雉二を献ず。莽、益州をして群臣を諷せしめ、奏して莽の功徳は周公に比す、宜しく安漢公の号を賜うべしと言わしむ。〉平帝崩ず。莽、宣帝の玄孫広成侯の子嬰を徴して之を立つ。年三歳。遂に居摂を謀ること、周公の故事の如し。〈時に元帝の統絶ゆ。宣帝の曽孫五人あり。莽、其の長ずる者を悪み、託するに卜相の宜しく吉なるを以てし、乃ち嬰を立つるなり。〉
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『長短経』覇図崩じ、太子徹立つ。〈是を武帝と為す。〉崩じ、子勿陵立つ。〈是を昭帝と為す。霍光、政を輔く。上官桀、光の寵を害い、詐りて帝の兄燕王旦の上書を為り、光、上林を行くに蹕を称し、又た私に校尉を調ぶと称す。帝、信ぜず。而して上官桀の詐偽の事、果たして発し、伏誅す。〉崩じ、武帝の孫昌邑王賀を立つ。〈賀は、昌邑哀王髆の子なり。即位二十七日、事に千一百二十七条有り。霍光、賀を廃して海昏侯と為すなり。〉廃し、武帝の曽孫詢を立つ。〈是を宣帝と為す。衛太子の孫なり。〉崩じ、太子奭を立つ。〈是を元帝と為す。〉崩じ、太子鷔を立つ。〈是を成帝と為す。政を諸舅王鳳等に委ね、同日に鳳の兄弟五人を拝して侯と為す。号して五侯と曰う。五侯、皆な政を専らにするなり。〉崩じ、宣帝の孫定陶恭王の子欣を立つ。〈是を哀帝と為す。即位六年にして崩ず。嗣無し。〉崩じ、帝の弟中山孝王衎を立つ。〈是を平帝と為す。帝、年幼くして王莽の為に酖せらる。崩じ、宣帝の玄孫嬰を立つ。是を孺子と為す。莽、嬰を廃して自立す。〉
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『長短経』覇図莽、定陵侯淳于長の大姦を発くを以て、拝して大司馬と為す。〈初め、長、許皇后の姉孊と私通す。孊に因りて長に賂遺す。長許して、上に白して左皇后と為さんと欲す。時に王根、政を輔く。久しく病む。長、嘗て根に代わらんとす。莽、心に長の寵を害い、根に白して曰く「長、許貴人と私に交通し、将軍の久しく病むを見て、私かに喜ぶ」と。根怒り、莽をして長を白さしむ。長、獄に下りて死す。〉時に年三十八。成帝崩じ、哀帝即位す。皇后傅后を立つ。〈后は即ち帝の祖母、定陶恭太后の従女弟なり。〉后の父傅晏を封じて孔郷侯と為す。帝の母丁后を恭皇太后と曰い、舅の丁明を安陽侯と為す。莽、骸骨を乞う。丁・傅を避くるなり。
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『長短経』覇図東都太守翟義反し、敗れて死す。〈義は丞相方進の子。地に劉信を立てて天子と為すなり。〉莽、自ら謂えらく威徳遂に盛んにして、天人の助けを獲たりと。銅匱の符命を用いて、遂に真に即く。〈梓潼の人哀章、銅匱の符命を上る。〉其の九年、赤眉の賊起こる。〈瑯邪の女子、呂母、子の為に仇を報ず。党衆、復た浸く多し。赤眉の賊と号す。〉十四年、世祖兵を起こし、王匡等と共に劉聖公を立てて更始皇帝と為す。〈更始は、即ち世祖の族兄なり。世祖及び兄伯升と新市・平林の兵士王匡等と、軍を合わせて棘陽を攻む。〉莽、王尋・王邑を遣わして更始を撃たしむ。二人、兵を昆陽に敗る。漢兵、遂に城中に入る。人皆な降る。莽、漸台に走り、室中の北隅に蔵る。間、校尉孫賓就、莽を斬る。遂に首を伝えて宛の更始に詣らしむ。
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『長短経』君徳〔班固曰く「王莽は始め外戚より起こり、節を折りて力行し、以て名誉を要む。哀・成の際、国家に勤労し、直道にして行い、動けば称述せらる。豈に所謂『国に在りて必ず聞こえ、家に在りて必ず聞こゆ、色に仁を取りて行いは違う』者に非ずや。莽は既に仁に非ずして、邪佞の材有り。又た四父の世業の権を承け、漢の中微にして国統三たび絶ゆるに遭う。而して太后は寿考にして、之が宗主と為る。故に其の奸慝を肆にして、以て簒奪の禍を成すを得たり。此を推して之を言えば、亦た天時有り、人力の致す所に非ず。
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『長短経』君徳或るひと曰く「偽新の王莽を観るに、謙恭礼譲なり。豈に一代の名士に非ずや。相と作り尊に居るに至りて、驕淫暴虐なり。何ぞ先後の相い背くこと甚だしきや」と。虞南曰く「王莽は天姿惨酷、詐偽の人なり。未だ達せざるの前は、名を狥め誉を求む。志を得るの後は、能を矜り物に傲る。飾情既に尽きて、本質存す。諫に愎りて自ら高しとし、卒に改め寤めず。海内寃酷にして、光武の駆除と為れり」と。