長短経 / 定名
”對曰、“養國子、教之六儀、祭祀之容、穆穆皇皇、賔客之容、儼恪矜莊、朝廷之容、濟濟蹌蹌、䘮紀之容、纍纍顚顚〔纍音力追反。顛、音田、憂思之貌。、〕軍旅之容、暨暨詻詻〔詻、音額。教令之貌。、〕車馬之容、騑騑翼翼。此禮儀之異也。夫定名之弊在于鈎釽析辭〔釽音普覔反。〕茍無其弊則定名之妙也。”論曰、班固九流、其九曰雜家、兼儒墨、合名法。傅子九品、其九曰雜才、以長諷議。由是觀之、雜說之益、有自來矣。故著此篇、蓋立理叙事、以示将來君子矣。
新字:”対曰、“養国子、教之六儀、祭祀之容、穆穆皇皇、賓客之容、儼恪矜荘、朝廷之容、済済蹌蹌、喪紀之容、纍纍顛顛〔纍音力追反。顛、音田、憂思之貌。、〕軍旅之容、暨暨詻詻〔詻、音額。教令之貌。、〕車馬之容、騑騑翼翼。此礼儀之異也。夫定名之弊在于鈎釽析辞〔釽音普覔反。〕苟無其弊則定名之妙也。”論曰、班固九流、其九曰雑家、兼儒墨、合名法。傅子九品、其九曰雑才、以長諷議。由是観之、雑説之益、有自来矣。故著此篇、蓋立理叙事、以示将来君子矣。
書き下し
対えて曰く「国子を養いて、之に六儀を教う。祭祀の容は、穆穆皇皇たり。賓客の容は、儼恪矜荘たり。朝廷の容は、済済蹌蹌たり。喪紀の容は、纍纍顛顛たり〔纍の音は力追の反。顛の音は田、憂思の貌なり〕。軍旅の容は、暨暨詻詻たり〔詻の音は額。教令の貌なり〕。車馬の容は、騑騑翼翼たり。此れ礼と儀との異なりなり。夫れ定名の弊は鈎釽析辞に在り〔釽の音は普覔の反〕。苟も其の弊無くんば則ち定名の妙なり」と。論に曰く、班固の九流、其の九に曰く雑家、儒墨を兼ね、名法を合わす。傅子の九品、其の九に曰く雑才、以て諷議に長ず。是に由りて之を観れば、雑説の益、自りて来たる有り。故に此の篇を著す。蓋し理を立て事を叙べ、以て将来の君子に示さんとす。
現代語訳
答えて言う。「貴族の子弟を養って六つの儀を教える。祭祀の姿は奥ゆかしく堂々と、賓客を迎える姿は厳かで慎み深く、朝廷での姿は整然として足取り正しく、喪の姿は憂いに沈み〔纍の音はルイ。顛の音はテン、憂い思う様子〕、軍の姿は勇ましくきびきびと〔詻の音はガク。命令を下す様子〕、車馬での姿は整って速やかである。これが礼と儀の違いである。名を定めることの弊害は、言葉を細かく切り刻む屁理屈にある〔釽の音はヘキ〕。もしその弊害がなければ、それが名を定めることの妙である」。論じて言う。班固は学派を九つに分け、その九番目を雑家とし、儒家と墨家を兼ね、名家と法家を合わせたものとした。傅玄は人材を九つに分け、その九番目を雑才とし、遠回しの議論に長けるとした。これで見れば、雑多な説にも益があるのは理由のあることである。だからこの篇を著した。道理を立て事柄を述べて、将来の君子に示そうとするのである。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』定名淫すれば則ち昏乱し、民は其の性を失う〔滋味声色、過ぐれば則ち性を傷う〕。是の故に、礼を為りて以て之を奉ず〔礼を制して以て其の性を奉ずるなり〕。人に好悪・喜怒・哀楽有り、六気より生ず〔此の六者は、皆陰陽風雨晦明の気を禀くるなり〕。是の故に、審らかに則りて類を宜しくし、以て六志を制す〔礼を為りて以て好悪・喜怒・哀楽の六志を制し、節を過ぎざらしむるなり〕。哀しめば哭泣有り、楽しめば歌舞有り、喜べば施捨有り、怒れば戦闘有り。哀楽失わず、乃ち能く天地の性に協い、是を以て長久なり〔協は和なり〕。故に人能く曲直して以て礼に従う者、之を成人と謂う』と」と。或るひと曰く「然らば則ち何をか儀と為すと謂う」と。
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『長短経』定名或るひと曰く「音と楽とは、既に命を聞けり。敢えて問う、儀と礼とは同じきか」と。対えて曰く「昔、趙簡子、揖譲周旋の礼を子太叔に問う。太叔曰く『是れ儀なり、礼に非ざるなり』と。吉や、諸を先大夫子産に聞きて曰く『夫れ礼は、天の経なり〔経は、道の常なり〕。地の義なり〔義は、利の宜しきなり〕。民の行なり〔行は、人の履む所なり〕。天地の経にして、民実に之に則る。天の明に則り〔日月星辰は、天の明なり〕、地の性に因り〔高下剛柔は、地の性なり〕、其の六気を生じ〔陰・陽・風・雨・晦・明を謂うなり〕、其の五行を用う〔金木水火土なり〕。気は五味と為り〔酸鹹辛甘苦なり〕、発して五色と為り〔青黄赤白黒、是非分別を発見するなり〕、章れて五声と為る〔宮商角徴羽なり〕。
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『長短経』定名夫れ理は心に得るも、言に非ずんば暢びず。物は彼に定まるも、言に非ずんば弁ぜず。言志を暢べざれば則ち以て相接する無く、名物を弁ぜざれば、則ち識鑒顕れず。其の所以を原ね、其の由る所を本づくるに、物に自然の名有り、理に必定の称有るに非ざるなり。其の実を弁ぜんと欲すれば、則ち其の名を殊にし、其の志を宣べんと欲すれば則ち其の称を立つ。故に之を称して曰く、道・徳・仁・義・礼・智・信と。
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『長短経』正論名家なる者は、蓋し礼官に出づ。古は名位同じからざれば、礼も亦た数を異にす。孔子曰く「必ずや名を正さんか」と。此れ其の長ずる所なり。繳なる者の之を為すに及びては〈繳は音、工釣の反。〉則ち苟くも鈎鈲析乱するのみ。此れ名家の弊なり。〈司馬談曰く「名家は人をして倹ならしめて善く真を失う。然れども其の名実を正すは、察せざる可からず。夫れ名家は苛察繳繞にして、人をして其の意に反るを得ざらしめ、専ら名に決して、人情を失う。故に曰く『人をして倹ならしめて善く真を失う』と。夫の名を控して実を責め、参伍して失わざるが若きは、此れ察せざる可からざるなり」と。鈲は音、普覓の反。〉
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『長短経』定名荘子に曰く「之を顧みること莫くして進む、之を佞と謂う。意を希いて言を導く、之を諂と謂う。是非を択ばずして言う、之を諛と謂う。好んで人の悪を言う、之を讒と謂う。詐偽を称誉して、以て悪人を敗る、之を慝と謂う。善否を択ばず、両容頬適して、偸かに其の欲する所を抜く、之を険と謂う」と。古語に曰く「可を以て否を済す、之を和と謂う。好悪殊ならず、之を同と謂う。賢を以て賢に代う、之を奪と謂う。不肖を以て賢に代う、之を伐と謂う。令を緩くして誅を急にする、之を暴と謂う。善を取りて自ら与す、之を盗と謂う。罪して愆を知らざる、之を虐と謂う。敬して礼に中らざる、之を野と謂う。禁じて止まざる、之を逆と謂う〔又た曰く、恭にして礼に中らざる、之を逆と謂う。又た曰く、令して行われざる、之を障と謂う〕。非を禁じて是を立つる、之を法と謂う。善を知りて行わざる、之を狂と謂う。悪を知りて改めざる、之を惑と謂う」と。太公曰く「天下の珠玉・美女・金銀・綵帛を収むる、之を残と謂う。
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『長短経』正論〈議に曰く、反経・是非・適変の三篇は、博く利害を弁ずと雖も、然れども其の弊は流遁漫羨として帰する所無し。故に正論を作りて以て之を質す。〉孔子曰く「六芸の治に於けるは一なり。礼は以て人を節し、楽は以て和を発し、書は以て事を導き、詩は以て意を達し、易は以て化を神にし、春秋は以て義とす」と。〈司馬談曰く「易は天地陰陽・四時五行を著す。故に変に長ず。礼は人倫を経紀す。故に行に長ず。書は先王の事を記す。故に政に長ず。詩は山川谿谷・禽獣草木・牝牡雌雄を記す。故に風に長ず。楽は立つ所以なり。故に和に長ず。春秋は是非す。故に人を理むるに長ずるなり」と。〉