長短経 / 覇図
晉王廣入據臺城、送後主於東宫。已、後主與王公百司發自建鄴之長安。及至京師、列陳輿服、引後主及王公。使宣詔讓後主、後主屏息不能對。封長城公〔隋文帝東巡、登芒山、後主侍飲、賦詩曰、「日月光天徳、山河壯帝居。太平無以報、願上東封書。」及出、隋文帝目送之曰、「此敗豈不由詩酒、將作詩功夫、何如思安時事也。〕
新字:晋王広入拠台城、送後主於東宮。已、後主与王公百司発自建鄴之長安。及至京師、列陳輿服、引後主及王公。使宣詔譲後主、後主屏息不能対。封長城公〔隋文帝東巡、登芒山、後主侍飲、賦詩曰、「日月光天徳、山河壮帝居。太平無以報、願上東封書。」及出、隋文帝目送之曰、「此敗豈不由詩酒、将作詩功夫、何如思安時事也。〕
書き下し
晋王広、入りて台城に拠り、後主を東宮に送る。已にして、後主と王公百司と、建鄴より発して長安に之く。京師に至るに及び、輿服を列陳し、後主及び王公を引く。詔を宣べて後主を譲めしむ。後主、息を屏めて対うる能わず。長城公に封ず。〈隋の文帝、東巡して、芒山に登る。後主、侍飲し、詩を賦して曰く「日月は天徳に光り、山河は帝居に壮んなり。太平、以て報ゆる無し。願わくは東封の書を上らん」と。出づるに及び、隋の文帝、之を目送して曰く「此の敗、豈に詩酒に由らざらんや。詩を作る功夫を将て、安き時の事を思うに何如ならん」と。〉
現代語訳
晋王広は入って台城を押さえ、後主を東宮へ送った。まもなく後主と王公百官は建鄴を発って長安へ向かった。都に着くと、車と衣服を並べ、後主と王公を引き出した。詔を宣べて後主を責めさせた。後主は息をひそめて答えられなかった。長城公に封じた。〈隋の文帝が東を巡って芒山に登った。後主は侍って飲み、詩を作った。「日月は天の徳に輝き、山河は帝の居に壮んである。太平に報いるすべもない。願わくは封禅の書を奉りたい」。退出するとき、隋の文帝は見送って言った。「この敗北は詩と酒によるのではないか。詩を作る手間をかけて、安らかな時の事を考えていたらどうだったろう」。〉
解説
滅ぼされた相手の宴席で、後主はまた詩を作りました。しかも隋を称える詩です。隋の文帝の言葉が痛烈で、詩を作る手間を政治に向けていたらどうだったか、と。才能を否定していないところが厳しい。同じ労力をどこに向けるかだけの違いだと言っている。何が足りなかったのかを、これ以上正確に言い当てた評はありません。能力が足りなかったのではなく、向ける先を間違えただけでした。
この章句が説くこと
覇図陳後主隋文帝詩酒才能時間の配分
関連する章句
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『長短経』覇図晋王広を以て元帥と為し、八十総管を督して以て討を致す。〈初め、隋師、璽書を送り、後主の悪を暴くこと、三十万紙。遍く江東に諭す。諸軍既に江を下る。鎮、或いは相い継ぎて奏聞す。沈客卿、機密を掌り、抑えて言わず。隋軍、江に臨む。後主曰く「王気、此に在り。斉兵三度来たり、周兵再度至るも、摧没せざる無し。虜、今来たるも、必ず自ら敗れん」と。酒を縦にし詩を作りて輟めず。隋軍、或いは進みて姑孰を抜き、或いは曲阿の衝を断つ。乃ち詔を下して曰く「犬羊凌縦し、郊畿を侵竊す。蜂蠆に毒有り。宜しく時に掃定すべし」と。蕭摩訶を以て皇畿大都督と為し、兵を分かちて要害を守らしめ、僧尼道士も役に執わしむ。隋軍、南北道並びに進み、衆軍敗績す。〉
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『長短経』覇図韓擒虎、南掖門より入る。文武の各官皆な遁る。後主を擒にして出づ。〈隋帥の入るや、僕射袁憲、端坐して殿上にし、色を正して之を待たんことを勧む。後主曰く「鋒刃の下、未だ交え当たる可からず。吾、自ら計有り」と。乃ち井に逃る。隋の軍人、縄を以て之を引く。其の太だ重きに驚く。乃ち張貴妃・孔貴人と同に乗じて上る。隋の文帝、之を聞きて大いに驚く。鮑宏対えて曰く「東井は天文に於て秦の分と為す。今、王都の在る所なり。井に投ずるは、其れ天意なり」と。先に是れ、江東に多く王献之の桃葉の辞を唱う。云う「桃葉、復た桃葉、江を渡るに檝を用いず。但だ渡るに苦しむ所無し。我、自ら汝を迎接せん」と。晋王広の六合鎮に軍するに及び、其の山、桃葉と名づく。果たして陳の船に乗じて之を渡るなり。〉
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『長短経』覇図三年〈熒惑、心を守る。天尊なり。〉上崩ず。〈時に上の長子衡陽王、周に質と為る。乃ち高祖の弟、始興烈王の長子蒨を立つるなり。〉弟の子蒨を立つ。〈是を世祖文皇帝と為すなり。〉崩じ、太子伯宗を立つ。〈是を廃帝と為す。〉廃し、頊を立つ。〈是を高宗宣皇帝と為す。始興烈王の第二子なり。〉崩じ、太子叔宝を立つ。是を長城公と為すなり。叔宝、東宮に在り、学を好み文芸有り。即位するに及び、酒色に躭る。〈左右の佞嬖にして貂を珥む者五十人、婦人の美貌麗服なる者千余人。賞して孔貴妃等八人をして夾坐せしめ、江総・孔範等十人、宴に預る。号して狎客と曰う。先ず八婦人をして綵牋を襞み、五言詩を置かしめ、十客一時に継ぎ和す。遅ければ則ち酒を罰す。君臣酣飲し、昏より旦に達す。此を以て常と為すなり。〉
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『長短経』覇図〈上、曽て夢に青衣の児を見る。謂いて曰く「去るも亦た死し、住まるも亦た死す。船に乗じて江水を渡るに若かず」と。裴蘊・虞世基は皆な南人なり。其の事を賛成す。将率、南遷を願わず、将に会に因りて之を鴆せんとす。南陽公主、其の婿を殺すを懼れ、謀を以て宇文士及に告ぐ。士及、其の兄化及に告ぐ。遂に反して帝を執う。帝曰く「吾、何ぞ天地に負きて此に至るか」と。馬文挙、対えて曰く「臣聞く、万姓は主無かる可からず。故に君を立てて以て之を撫す、と。是れ知る、一人、万姓を養う。万姓、一人を養うに非ざるなり。高祖文皇帝、粤に下国を有ち、丕いに大宝を隆んにし、苛政を除き、恩徳を布く。南のかた強陳を伐ち、北のかた狡虜を滅ぼす。二十余年、河清く海晏らかなり。既にして世を棄てて升遐す。陛下即位し、社稷に違遠し、京師を委棄し、巡遊行幸して、略ぼ寧歳無し。