長短経 / 君徳
帝王改號、於五行之徳、各有所尚。從其所王之徳次焉〔木家次位火也。木家尚赤、以木徳義之府循其母、兼其子也。〕夏后氏以金徳王而尚黑、殷人以水徳王而尚白〔水家尚青、而尚白者、避土家之尚青也。土家宜尚白、為土者、四行之主、主于四季。五行用事、先起于木、故土家尚木色青也。〕周人以木徳王而色尚赤。此三代之所以不同也。及漢之初、孫臣賈誼以為漢土徳、以五行之傳、從所不勝〔傳移之傳也。五行相代、常從金木水火土相勝之法也。〕秦在水徳、故謂漢據土而剋之。劉向父子以為帝出於震、故庖犧氏始受木徳、其後以母傳子、終而復始。自神農、黄帝、下歴唐虞三代、而漢得火焉。故髙祖始起、神母夜號、著赤帝之符、得天統矣。昔共工以水徳間於木火、與秦同運、非其次、故皆不永也。
新字:帝王改号、於五行之徳、各有所尚。従其所王之徳次焉〔木家次位火也。木家尚赤、以木徳義之府循其母、兼其子也。〕夏后氏以金徳王而尚黒、殷人以水徳王而尚白〔水家尚青、而尚白者、避土家之尚青也。土家宜尚白、為土者、四行之主、主于四季。五行用事、先起于木、故土家尚木色青也。〕周人以木徳王而色尚赤。此三代之所以不同也。及漢之初、孫臣賈誼以為漢土徳、以五行之伝、従所不勝〔伝移之伝也。五行相代、常従金木水火土相勝之法也。〕秦在水徳、故謂漢拠土而剋之。劉向父子以為帝出於震、故庖犠氏始受木徳、其後以母伝子、終而復始。自神農、黄帝、下歴唐虞三代、而漢得火焉。故高祖始起、神母夜号、著赤帝之符、得天統矣。昔共工以水徳間於木火、与秦同運、非其次、故皆不永也。
書き下し
帝王、号を改むるに、五行の徳に於て、各々尚ぶ所有り。其の王たる所の徳に従いて次ぐ。〔木家の次位は火なり。木家は赤を尚ぶ。木徳義の府を以て其の母に循い、其の子を兼ぬるなり。〕夏后氏は金徳を以て王として黒を尚び、殷人は水徳を以て王として白を尚ぶ。〔水家は青を尚ぶ。而るに白を尚ぶは、土家の青を尚ぶを避くるなり。土家は宜しく白を尚ぶべし。土為る者は四行の主にして、四季に主たり。五行の用事は、先ず木より起こる。故に土家は木の色青きを尚ぶなり。〕周人は木徳を以て王として色は赤を尚ぶ。此れ三代の同じからざる所以なり。漢の初めに及び、孫臣・賈誼は以為えらく漢は土徳なりと。五行の伝を以て、勝たざる所に従う。〔伝は移の伝なり。五行相い代わるは、常に金木水火土相い勝つの法に従うなり。〕秦は水徳に在り。故に漢は土に拠りて之に剋つと謂う。劉向父子は以為えらく帝は震より出づ。故に庖犧氏は始めて木徳を受く。其の後は母を以て子に伝え、終わりて復た始まる。神農・黄帝より、下って唐虞三代を歴て、漢は火を得たり。故に高祖始めて起こるや、神母夜に号し、赤帝の符を著す。天統を得たるなり。昔、共工は水徳を以て木火の間に間たり。秦と運を同じくす。其の次に非ず。故に皆な永からざるなり。
現代語訳
帝王が号を改めるとき、五行の徳について、それぞれ尊ぶ色がある。その王となった徳に従って次を継ぐ。〔木の家の次の位は火である。木の家は赤を尊ぶ。木徳は義の府であり、その母に従い、その子を兼ねるのである。〕夏后氏は金徳によって王となり黒を尊び、殷人は水徳によって王となり白を尊んだ。〔水の家は青を尊ぶ。それなのに白を尊ぶのは、土の家が青を尊ぶのを避けたからである。土の家は白を尊ぶべきである。土は四行の主であり、四季をつかさどる。五行のはたらきは、まず木から起こる。だから土の家は木の色である青を尊ぶ。〕周人は木徳によって王となり色は赤を尊んだ。これが三代の異なる理由である。漢の初めになって、孫臣と賈誼は漢は土徳だと考えた。五行の移り変わりについて、相手に勝つ順に従うという説である。〔伝とは移ることである。五行が交替するのは、常に金木水火土が互いに勝つ法に従う。〕秦は水徳にあった。だから漢は土に拠ってこれに勝つとした。劉向父子は、帝は震の方位から出ると考えた。だから庖犧氏が初めて木徳を受けた。その後は母から子へ伝え、終わればまた始まる。神農・黄帝から、下って唐虞三代を経て、漢は火を得た。だから高祖が初めて立ったとき、神の母が夜に泣き、赤帝のしるしを示した。天の統を得たのである。昔、共工は水徳によって木と火の間に割り込んだ。秦と運を同じくする。順序が違った。だからどちらも長続きしなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』君徳〔吾が之を観るを以てすれば、帝王の興るは、各々其の出づる所の五帝の後に本づき、以て五徳を定む。何を以て之を明らかにせん。漢は堯の後なり。堯は火徳の王なり。故に漢は火と為る。袁紹の時、耿包曰く「赤徳衰え尽く。袁は黄胤為り」と。以て袁は舜の後と為す。舜は土徳の君なり。故に進むるを勧むるなり。是れ帝王の興るは、各々其の出づる所に本づくを知る。五帝の後、自ら来たること有り。今、秦は顓頊の後、水徳なり。故に秦は水徳と為るなり。〕此を以て之を観れば、百代と雖も知る可きなり。
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孔子家語・五帝康子曰わく、「此くの如きの言ならば、帝王の号を五行の徳に改むるに、各々統ぶる所有り。則ちその相変わる所以は、皆何事をか主とするや。」孔子曰わく、「尚ぶ所は則ち各々その王たる所の徳の次に従う。夏后氏は金徳を以て王たり、色は黒を尚び、大事の斂は昏を用い、戎事は驪に乗り、牲は玄を用う。殷人は水徳を用いて王たり、色は白を尚び、大事の斂は日中を用い、戎事は翰に乗り、牲は白を用う。周人は木徳を以て王たり、色は赤を尚び、大事の斂は日出を用い、戎事は騵に乗り、牲は騂を用う。此れ三代の同じからざる所以なり。」康子曰わく、「唐虞の二帝は、その尚ぶ所は何色ぞや。」孔子曰わく、「堯は火徳を以て王たり、色は黄を尚ぶ。舜は土徳を以て王たり、色は青を尚ぶ。」
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呂氏春秋・應同①凡そ帝王なる者の將に興らんとするや、天必ず先づ祥を下民に見わず。黄帝の時、天先づ大螾大螻を見わす。黄帝曰く、「土氣勝つ。」土氣勝つ、故に其の色は黄を尚び、其の事は土に則る。禹の時に及び、天先づ草木の秋冬に殺れざるを見わす。禹曰く、「木氣勝つ。」木氣勝つ、故に其の色は青を尚び、其の事は木に則る。湯の時に及び、天先づ金刃の水より生ずるを見わす。湯曰く、「金氣勝つ。」金氣勝つ、故に其の色は白を尚び、其の事は金に則る。文王の時に及び、天先づ赤烏の丹書を銜えて、周社に集まるを見わす。文王曰く、「火氣勝つ。」火氣勝つ、故に其の色は赤を尚び、其の事は火に則る。日に代わる者は必ず將に水ならんとす。天且に先づ水氣の勝つを見わさんとす。水氣勝つ、故に其の色は黒を尚び、其の事は水に則る。水氣至りて數の備わるを知らざれば、將に土に徙らんとす。天の為すは時にして、農を下に助けず。類は固より相召く。氣同じければ則ち合し、聲比すれば則ち應ず。宮を鼓すれば宮動き、角鼓すれば角動く。地を平らかにして水を注げば、水は溼に流れ、薪を均しくして火を施せば、火は燥に就く。山雲は草莽のごとく、水雲は魚鱗のごとく、旱雲は煙火のごとく、雨雲は水波のごとく、其の生ずる所に比類して以て人に示さざるは無し。故に龍を以て雨を致し、形を以て影を逐う。師の處る所は、必ず棘楚を生ず。禍福の自りて來たる所、衆人以て命と為す。安くんぞ其の所を知らん。
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『長短経』君徳昔、季康子、五帝の徳を孔子に問う。孔子曰く「天に五行有り。木・火・金・水及び土なり。時を分かち化育を賛け、以て物を成す」と。〔一歳三百六十日、五行は行ごとに七十二日、化生長育す。〕其の神を五帝と為す。〔五帝は五行の神なり。〕古の王者、代を易え号を改むるに、法を五行に取る。五行更わる王たり、終始相い生ず。亦た其の義に象る。故に其の生きて明王為る者は、死して五行に配す。是を以て太皡は木に配し、〔勾芒は木正と為すなり。〕炎帝は火に配し、〔祝融は火正と為すなり。〕少皥は金に配し、〔蓐収は金正と為すなり。〕顓頊は水に配し、〔玄冥は水正と為すなり。〕黄帝は土に配す。〔后土は土正と為すなり。〕
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『長短経』君徳夏は忠を尚ぶ。忠の弊は野朴なり。故に殷は之を承くるに敬を以てす。敬の弊は鬼なり。故に周は之を承くるに文を以てす。文の弊は薄なり。薄を救うは忠に若くは莫し。三王の道は、周りて復た始まる。周秦の間は、文弊と謂う可し。秦は改めずして、反って刑を酷にす。漢は其の弊を承けて天統を得たり。孔融曰く「周の武は后稷より以来、其の身に至るまで、相い承くること十五世を積む。但だ魚鳥の瑞有るのみ。高祖の如きに至りては、一身徳を修めて、瑞に四五有り。白蛇分かれ、神母哭き、西のかた関に入り、五星聚まる。又た武王は紂を伐ちて、斬りて之を梟す。高祖は秦に入りて、子嬰を赦して之を遣る。是れ其の寛裕、又た高祖に如かず」と。虞南曰く「帝者は師と処り、王者は友と処り、覇者は臣と処る。漢祖の臣は三傑是なり。光武の佐は二十八将是なり。豈に鄧禹・呉漢を以て張良・韓信に匹す可けんや。然れども漢祖の功臣は、皆な強盛にして誅滅せらる。光武の佐命は、悉く優秩を用いて安全なり。君臣の際、良に称す可きなり。長を絶ちて短を補えば、其の次に抑うるなり」と。此に由りて之を言えば、夫れ漢高は秦・項を克平し、漢業を開創す。衣冠礼楽、之を後代に垂る。未だ王道に階らずと雖も、霸徳の盛んなるなり。〕
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『長短経』君徳故に曰く、国を理むるの本は刑と徳なり。二者は相い須ちて行い、相い待ちて成るなり。天は陰陽を以て歳を成し、人は刑徳を以て治を成す。故に聖人政を為すと雖も、偏用する能わざるなり。故に徳に任ずること多く刑を用うること少なき者は五帝なり。刑徳相い半ばする者は三王なり。刑を仗むこと多く徳に任ずること少なき者は五霸なり。純ら刑を用い、強くして亡ぶる者は秦なり。〔議に曰く、古の理むる者、其の政に三有り。王者の政は之を化し、覇者の政は之を威し、強国の政は之を脅かす。故に之を化して変ぜずして而る後に之を威し、之を威して変ぜずして而る後に之を脅かし、之を脅かして変ぜずして而る後に之を刑す。故に刑に至れば、則ち王者の貴ぶ所に非ざるなり。故に虞南云う「彼の秦皇なる者は、仁義を棄てて威力を用う。此れ以て吞併す可くして以て守成す可からず」と。此れ刑に任ずるの弊なり。〕