長短経 / 覇図
荆州刺史沈攸之反、帝討之〔初、攸之稱太后命、已下都、袁粲、劉秉等見帝威名日盛、不自安、與攸之通謀、舉事殿内。帝命王敬則於殿内誅之。〕進位相國、封齊公、備九錫〔䇿曰、「朕以不造、夙罹旻凶。嗣君失徳、書契未紀、威侮五行、虔劉九族、神厭靈斁海水羣飛、綴旒之殆、未足為譬、豈直〈小宛〉興刺、〈黍離〉作歌而已哉!天賛皇宋、實啟明宰、爰登寡昧、纂承大業、髙勲至徳、振古絶倫、雖保衡翼殷、博陸匡漢、方斯蔑如也。今將授公典禮、其敬聽朕命、乃者袁、劉搆禍、實繁有徒、子房不臣、稱兵協亂、顧瞻宫掖、將成茂草、言念邦國、翦為仇讐。當此之時、人無固志投袂徇難、超然奮發。登戎車而戒路、執金版而先驅。麾鉞一臨、凶黨氷泮。此則覇業之基、勤王之始也。
新字:荆州刺史沈攸之反、帝討之〔初、攸之称太后命、已下都、袁粲、劉秉等見帝威名日盛、不自安、与攸之通謀、舉事殿内。帝命王敬則於殿内誅之。〕進位相国、封斉公、備九錫〔策曰、「朕以不造、夙罹旻凶。嗣君失徳、書契未紀、威侮五行、虔劉九族、神厭霊斁海水羣飛、綴旒之殆、未足為譬、豈直〈小宛〉興刺、〈黍離〉作歌而已哉!天賛皇宋、実啓明宰、爰登寡昧、纂承大業、高勲至徳、振古絶倫、雖保衡翼殷、博陸匡漢、方斯蔑如也。今将授公典礼、其敬聴朕命、乃者袁、劉搆禍、実繁有徒、子房不臣、称兵協乱、顧瞻宮掖、将成茂草、言念邦国、翦為仇讐。当此之時、人無固志投袂徇難、超然奮発。登戎車而戒路、執金版而先駆。麾鉞一臨、凶党氷泮。此則覇業之基、勤王之始也。
書き下し
荊州刺史沈攸之、反す。帝、之を討つ。〈初め、攸之、太后の命と称し、已に都に下る。袁粲・劉秉等、帝の威名の日に盛んなるを見て、自ら安んぜず、攸之と通謀し、事を殿内に挙ぐ。帝、王敬則に命じて殿内に於て之を誅せしむ。〉位を進めて相国と為し、斉公に封じ、九錫を備う。〈策に曰く「朕、不造を以て、夙に旻凶に罹る。嗣君、徳を失い、書契未だ紀せず。五行を威侮し、九族を虔劉す。神は厭き霊は斁れ、海水群飛す。綴旒の殆きも、未だ譬うるに足らず。豈に直だ小宛の刺を興し、黍離の歌を作すのみならんや。天、皇宋を賛け、実に明宰を啓く。爰に寡昧に登り、大業を纂承す。高勲至徳、振古絶倫なり。保衡の殷を翼け、博陸の漢を匡すと雖も、斯に方ぶれば蔑如たるなり。今、将に公に典礼を授けんとす。其れ敬みて朕が命を聴け。乃者、袁・劉、禍を構え、実に繁く徒有り。子房、臣ならず、兵を称して乱に協す。宮掖を顧瞻するに、将に茂草を成さんとす。邦国を言念するに、翦ちて仇讐と為る。此の時に当たり、人に固き志無し。袂を投じて難に徇い、超然として奮発す。戎車に登りて路を戒め、金版を執りて先駆す。麾鉞一たび臨めば、凶党は氷のごとく泮く。此れ則ち覇業の基、勤王の始めなり。
現代語訳
荊州刺史の沈攸之が反した。蕭道成はこれを討った。〈はじめ、沈攸之は太后の命だと称して、すでに都へ下ってきた。袁粲と劉秉らは蕭道成の威名が日に日に高まるのを見て落ち着かず、沈攸之と通謀して宮殿の中で事を起こした。蕭道成は王敬則に命じて宮殿の中で誅させた。〉位を進めて相国とし、斉公に封じ、九錫を備えた。〈詔にいう。「朕は不運にして、早くに大きな凶事に遭った。後継の君は徳を失い、書契にも記されないほどだった。五行を侮り、九族を殺した。神は飽き霊は疲れ、海水が群れ飛ぶありさまだった。旗の垂れ飾りのような危うさも、喩えるに足りない。ただ詩経の小宛がそしりを起こし、黍離が歌を作ったというだけではない。天はわが宋を助け、実に明らかな宰相を啓いた。暗愚な身を立て、大業を継がせた。高い勲功と至高の徳は、古来並ぶ者がない。伊尹が殷を翼け、霍光が漢を正したといっても、これに比べれば何ほどでもない。いま公に典礼を授けようとする。謹んで朕の命を聴け。先ごろ袁粲と劉秉が禍を起こし、加担した者が実に多かった。子房は臣たる道を外れ、兵を称して乱に加わった。宮中を見渡せば草が茂ろうとし、国を思えば断ち切られて仇となった。このとき人に定まった志はなかった。公は袖を払って難に赴き、抜きん出て奮い立った。戦車に登って道を整え、金の版を執って先駆けした。旗と鉞が一度臨めば、凶党は氷のように解けた。これが覇業の基であり、王室を助ける始めであった。
解説

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