長短経 / 知人
《莊子》曰、「遠使之、而觀其忠、〔又曰、遠使之、以觀其不二。〕近使之、而觀其敬、〔又曰、近之以昵、觀其不狎。〕煩使之、而觀其能、〔又曰、煩之以事、以觀其理。〕卒然問焉、而觀其智、〔又曰、設之以謀、以觀其智。太公曰、事之而不窮者、謀。〕急與之期、而觀其信、〔太公曰、使之而不隱者、謂信也。〕雜之以處、而觀其色。」〔又曰、縱之以視、觀其無變。〕
新字:《荘子》曰、「遠使之、而観其忠、〔又曰、遠使之、以観其不二。〕近使之、而観其敬、〔又曰、近之以昵、観其不狎。〕煩使之、而観其能、〔又曰、煩之以事、以観其理。〕卒然問焉、而観其智、〔又曰、設之以謀、以観其智。太公曰、事之而不窮者、謀。〕急与之期、而観其信、〔太公曰、使之而不隠者、謂信也。〕雑之以処、而観其色。」〔又曰、縦之以視、観其無変。〕
書き下し
荘子に曰く「遠く之を使わして其の忠を観る。〔又た曰く、遠く之を使わして以て其の二ならざるを観る。〕近く之を使わして其の敬を観る。〔又た曰く、之に近づくに昵を以てして、其の狎れざるを観る。〕煩わしく之を使わして其の能を観る。〔又た曰く、之を煩わすに事を以てし、以て其の理むるを観る。〕卒然として焉に問いて其の智を観る。〔又た曰く、之に設くるに謀を以てし、以て其の智を観る。太公曰く、之に事えて窮まらざる者は謀なり。〕急に之と期して其の信を観る。〔太公曰く、之を使いて隠さざる者、信と謂うなり。〕之を雑うるに処を以てして其の色を観る」と。〔又た曰く、之を縦にするに視を以てし、其の変ずる無きを観る。〕
現代語訳
荘子にこうある。「遠方へ派遣して、その忠実さを見る。〔またこうも言う。遠方へ派遣して、二心がないかを見る。〕そば近くで使って、その敬意を見る。〔またこうも言う。親しく近づけて、なれなれしくならないかを見る。〕煩雑な仕事をさせて、その能力を見る。〔またこうも言う。事務で煩わせて、処理できるかを見る。〕不意に問いかけて、その知恵を見る。〔またこうも言う。計略を持ちかけて、その知恵を見る。太公望は、仕えさせて行き詰まらない者は謀がある、と言う。〕急な期限を切って、その信を見る。〔太公望は、使ってみて隠し立てしない者を信という、と言う。〕雑多な人々の中に置いて、その顔色を見る」。〔またこうも言う。放任して見させ、変わらないかを見る。〕
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
国語・晋語五霊公虐なり。趙宣子驟(しばしば)諫む。公之を患え、鉏麑(しょげい)をして之を賊せしむ。晨(あした)に往けば、則ち寝門辟(ひら)けり。盛服して将に朝せんとし、早くして仮寐(かび)す。麑退き、歎じて言いて曰く、「趙孟は敬なるかな。夫れ恭敬を忘れざるは、社稷の鎮なり。国の鎮を賊するは不忠、命を受けて之を廃するは不信、一名を此に享(う)けんよりは、死するに如かず」と。庭の槐(えんじゅ)に触れて死す。霊公将に趙盾(ちょうとん)を殺さんとして、克(よ)くせず。趙穿(ちょうせん)公を桃園に攻め、公子黒臀(こくでん)を逆(むか)えて之を立つ、実に成公為り。
-
『慎思録』巻之一朱子曰く、君臣は是れ義合なり。世の人便ち苟且を得易し。故に此に於て忠を説く。是れ足らざる処に就きて説くと。胡敬斎曰く、朱子曰く、忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふと。此れ記者の誤りなり。蓋し忠は是れ臣職の当に為すべきものなりと。篤信曰く、父子兄弟は是れ天合なり。故に庸人と雖も、欺偽有ること鮮し。君臣朋友は是れ人合なり。故に苟且自欺に至り易し。故に此に於て忠を説き信を説く。蓋し足らざる所に就きて之を言ふ。且つ夫婦の如きは、固より和順を欲す。然れども其の親密なる、褻狎に至り易し。故に此に於て別を説く。又足らざる所に就きて之を言ふ。況んや君臣は勢位懸隔す。故に其の情意疎遠なり。疎遠なる者は欺罔に至り易し。是れ臣の常に足らざる処にして、便ち是れ臣の当に尽くすべき所なり。苟も足らざる所に就きて説かずして、徒らに忠は是れ臣職の当に為すべきものと謂はば、則ち忠は是れ実心にして、凡そ五品の道、皆闕くべからず。何ぞ之を以て独り君に事ふるに施すべけんや。朱子の所謂忠は是れ臣の足らざる所の処に就きて之を言ふの説は、未だ以て非と為すべからず。胡氏の説、反りて是ならざるを覚ゆ。
-
『弁名』忠信程子曰く、「己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ」と。此れ彼の「忠信を主とす」等の言を見て、徒らに人の為に謀り人と言ふ者を以て之を言ふは狭きに嫌ありと謂ふ。故に是の解を作す。亦た先王の道は民を安んずる為に之を設くるを知らずして、動もすれば諸を己に求むる故のみ。且つ己を尽くすは未だ以て忠の字の義を尽くすに足らず。今人の宋儒の学を為す者は、人の為に謀りて聴かれざれば、則ち多く皆舎て去りて、復た之を顧みず。我既に我が心を尽くせりと曰ふ。是れ忠の字に懇到周悉の意有るを知らざる故なり。実を以てするも亦た信の字の義に非ず。程子は動もすれば諸を心に求む、故に是の解を作すのみ。古は止だ言語の上に就きて之を言ふ。豈に必ずしも諸を心に求めんや。
-
『徂徠先生答問書』卷中一孝行の儀御尋に候。成程聖人の教には孝弟忠信を中庸の徳行と名付け、是を貴賤によらず人たる者の勤め行ふべき事といたし申候。君子の道も、是を土台にいたし不申候得ば、高きにのぼるに楷梯なきがごとくに御座候。舜の契を司徒の官になされ、五倫を教へしめ給ふも、孔子の民に中庸の徳なき事を御なげき被成候も同意にて御座候。孝は父母によくつかへ候事、弟は兄長によくつかへ候事、忠は君につかゆるにても、又たれにても、人のためになし候事をば我身の事のごとくに如在なく身にかけ申候事に候。信と申候は、朋友其外あまねくの人にまじはり申候には言語を慎み偽り違候事なきやうに致し候を申候。是にて父母兄弟君臣朋友の道こもり申候故、五倫と申候も、中庸と申候も、孝弟忠信と申候も、ひとつ事にて御座候。
-
論語・学而篇曾子曰く、「吾日に三たび吾が身を省みる。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか。」
-
『春秋左氏伝』襄公二十八年 遠慮と近憂十二月乙亥朔、齊人、莊公を遷して大寢に殯す。其の棺を以て崔杼を市に尸す。國人猶ほ之を知り、皆曰く、「崔子なり」と。宋の盟の為の故に、公及び宋公・陳侯・鄭伯・許男、楚に如く。公、鄭を過ぐ。鄭伯在らず。伯有、黃崖に迋勞す。敬せず。穆叔曰く、「伯有、鄭に戾無くんば、鄭必ず大咎有らん。敬は民の主なり。而るに之を棄つ、何を以て守を承けん。鄭人討たずんば、必ず其の辜を受けん。濟澤の阿、行潦の蘋藻、諸を宗室に寘き、季蘭之を尸る、敬なり。敬棄つべけんや」と。漢に及ぶ。楚の康王卒す。公反らんと欲す。叔仲昭伯曰く、「我は楚國を之れ為す。豈に一人の為に行かんや」と。子服惠伯曰く、「君子は遠慮有り、小人は邇きに從ふ。飢寒をこれ恤へずんば、誰か其の後に遑あらん。姑く歸るに如かず」と。叔孫穆子曰く、「叔仲子は之を專らにせん。子服子は始學者なり」と。榮成伯曰く、「遠圖する者は忠なり」と。公遂に行く。宋の向戌曰く、「我は一人の為にして、楚の為にするに非ず。飢寒をこれ恤へずんば、誰か能く楚を恤へん。姑く歸りて民を息め、其の君を立つるを待ちて之が備へを為さん」と。宋公遂に反る。楚の屈建卒す。趙文子、之を喪すること同盟の如くす。禮なり。王人來りて喪を告ぐ。崩日を問ふに、甲寅を以て告ぐ。故に之を書す、以て過ちを徵すなり。