長短経 / 懼戒
趙髙因留所賜扶蘇璽書、而謂公子胡亥曰、「上崩、無詔封王諸子而獨賜長子書。長子至、即位為皇帝、而子無尺寸之地、為之奈何?」胡亥曰、「固然也。吾聞明君知臣、明父知子。父既捐命、不封諸子、何可言也!」趙髙曰、「不然。方今天下之權、存亡在子與髙及丞相耳、願子圖之。且夫臣人與見臣于人、制人與見制于人、豈可同日而道哉!」胡亥曰、「廢兄而立弟、是不義也、不奉父詔而畏死、是不孝也、能薄而材謭强因人之功、是不能也。三者逆徳、天下不服。」
新字:趙高因留所賜扶蘇璽書、而謂公子胡亥曰、「上崩、無詔封王諸子而独賜長子書。長子至、即位為皇帝、而子無尺寸之地、為之奈何?」胡亥曰、「固然也。吾聞明君知臣、明父知子。父既捐命、不封諸子、何可言也!」趙高曰、「不然。方今天下之権、存亡在子与高及丞相耳、願子図之。且夫臣人与見臣于人、制人与見制于人、豈可同日而道哉!」胡亥曰、「廃兄而立弟、是不義也、不奉父詔而畏死、是不孝也、能薄而材謭強因人之功、是不能也。三者逆徳、天下不服。」
書き下し
趙高因りて扶蘇に賜う所の璽書を留め、而して公子胡亥に謂いて曰く「上崩じ、詔して諸子を封王すること無くして、独り長子に書を賜う。長子至らば、即ち位に即きて皇帝と為り、而して子は尺寸の地無し。之を為すこと奈何」と。胡亥曰く「固より然り。吾聞く、明君は臣を知り、明父は子を知る、と。父既に命を捐てて、諸子を封ぜず。何ぞ言うべけんや」と。趙高曰く「然らず。方今、天下の権の存亡は、子と高と丞相とに在るのみ。願わくは子之を図れ。且つ夫れ人を臣とすると人に臣とせらるると、人を制すると人に制せらるると、豈に日を同じくして道うべけんや」と。胡亥曰く「兄を廃して弟を立つるは、是れ不義なり。父の詔を奉ぜずして死を畏るるは、是れ不孝なり。能薄く材謭くして、強いて人の功に因るは、是れ不能なり。三者は徳に逆らい、天下服せず」と。
現代語訳
趙高はそこで扶蘇に賜る璽書を手元に留め、公子胡亥に言った。「陛下は崩じられ、子らを王に封じる詔もなく、長子にだけ手紙を賜りました。長子が来れば即位して皇帝となり、あなたにはわずかな土地もありません。どうなさいますか」。胡亥は言った。「もちろんそうだ。賢明な君は臣を知り、賢明な父は子を知ると聞く。父がすでに亡くなり、子らを封じなかったのだから、何を言えようか」。趙高は言った。「そうではありません。いま天下の権の存亡は、あなたと私と丞相の三人にかかっているだけです。どうかお考えください。人を臣下にするのと人の臣下になるのと、人を支配するのと人に支配されるのとでは、同じ日に語れるものではありません」。胡亥は言った。「兄を廃して弟を立てるのは不義だ。父の詔に従わずに死を恐れるのは不孝だ。能力が乏しく才も浅いのに、無理に人の手柄に頼るのは無能だ。この三つは徳に逆らい、天下は従わないだろう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒高曰く「臣聞く、湯・武は其の主を殺して、天下義と称し、不忠と為さず。衛君は其の父を殺して、衛国其の徳を載せ、孔子之を著して、不孝と為さず、と。〔議に曰く、乱臣賊子は、古より之有り。生まれて楚言し、痛哭すべき者は、胡亥是れなり。〕夫れ大行は細謹せず、大徳は辞譲せず。郷曲には各々宜しき有りて、百官は功を同じくせず。故に小を顧みて大を忘るれば、後に必ず害有り。狐疑猶予すれば、後に必ず悔い有り。断じて敢えて行えば、鬼神も之を避け、後に成功有り。願わくは子之を遂げよ」と。胡亥喟然として嘆じて曰く「今、大行未だ発せず。豈に宜しく此の事を以て丞相を干すべけんや」と。高曰く「時なるかな、時なるかな。間は謀るに及ばず。糧を嬴い馬を躍らせて、唯だ時に後るるを恐る」と。
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『長短経』懼戒胡亥既に高の言を然りとし、乃ち丞相斯に謂いて曰く「上崩じ、長子に書を賜い、喪と俱に咸陽に会して、立てて嗣と為さしむ。書未だ行かざるに、今上崩じ、未だ知る者有らず。事将に何如せん」と。斯曰く「安んぞ亡国の言を得んや」と。高曰く「君、自ら料るに、才能は蒙恬に孰与れぞ。功の高きこと蒙恬に孰与れぞ。謀の遠くして失わざること蒙恬に孰与れぞ。天下に怨み無きこと蒙恬に孰与れぞ。長子の旧くして之を信ずること蒙恬に孰与れぞ」と。斯曰く「此の五者は皆蒙恬に及ばず。而るに君の之を責むること何ぞ深きや」と。高曰く「高は故の内官の廝役なり。幸いに刀筆の吏を以て秦宮に進入することを得、事を管すること二十余年、未だ嘗て秦の免罷せし丞相・功臣の封有りて二世に及ぶ者を見ず。卒に皆以て誅亡す。皇帝の二十余子は、皆君の知る所なり。長子は剛毅にして武勇、人を信じて事に奮う。位に即かば必ず蒙恬を用いて丞相と為さん。君侯の終に通侯の印を懐きて郷里に帰らざること、明らかなり。高、詔を受けて胡亥に教習して法を学ばしむ。仁慈篤厚にして、財を軽んじ士を重んず。秦の諸子皆及ぶ莫し。以て嗣と為すべし。君、計りて之を定めよ」と。
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『長短経』懼戒斯曰く「吾聞く、晋は太子を易えて、三世安からず。斉桓は兄弟位を争いて、身死して戮と為る。紂は親戚を残賊し、諫めを聴かずして、国は丘墟と為る。三者は天に逆らい、宗廟血食せず。斯其れ猶お人なり。安んぞ与に謀るに足らん」と。高曰く「上下合同すれば、以て長久なるべし。中外一の若くなれば、事に表裏無し。君、臣の計を聴かば、則ち長く封侯有り、世々孤と称し、必ず喬・松の寿、孔・墨の智有らん。今此を釈きて従わずんば、禍は子孫に及び、寒心するに足らん。善き者は敗に因りて福と為す。君何くにか処らん」と。斯乃ち天を仰ぎて歎じ、涕を垂れて太息して曰く「既已に死すること能わず、安くにか命を託さん」と。乃ち高に聴きて胡亥を立て、改めて璽書を賜い、扶蘇・蒙恬を殺す。
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『長短経』懼戒斯曰く「斯は上蔡の閭巷の布衣なり。上幸いに擢でて丞相と為すは、固より将に存亡安危を以て臣に属せんとするなり。豈に負くべけんや。夫れ忠臣は死を避けずして庶幾し、孝子は勤労せずして危うきを見る。君其れ復た言うこと勿かれ」と。高曰く「蓋し聞く、聖人は遷徙常無く、変に就きて時に従い、末を見て本を知り、指を観て帰するを覩る、と。物固より之有り。安んぞ常法を得んや。方今、天下の権は、命を胡亥に懸け、高は能く志を得たり。且つ夫れ外より中を制する、之を惑と謂い、下より上を制する、之を賊と謂う。故に秋霜降れば草華落ち、水風揺るれば万物作る。此れ必然の効なり。君侯、何ぞ之を見ることの晩きや」と。
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『長短経』懼戒秦の始皇帝、会稽に遊び、沙丘に至りて、疾甚だし。始皇、趙高をして書を為りて公子扶蘇に賜わしむ。未だ使者に授けざるに、始皇崩ず。〔時に始皇に二十余子有り。長子扶蘇は、兵を上郡に監せしめ、蒙恬将たり。少子胡亥は愛せられ、従わんことを請い、上之を許す。余子は従う莫し。丞相李斯以為えらく、上外に崩じ、真の太子無しと。故に之を秘す。群臣知る莫し。〕
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史記 李斯列伝是に於いて乃ち相与に謀り、詐りて始皇の詔を丞相に受くと為し、子胡亥を立てて太子と為す。更に書を為りて長子扶蘇に賜ひて曰く、「扶蘇人の子と為りて不孝なり、其れ剣を賜ひて以て自裁せよ。将軍恬不忠なり、其れ死を賜ふ」と。使者至り、書を発するや、扶蘇泣き、内舍に入りて自殺せんと欲す。蒙恬扶蘇を止めて曰く、「陛下外に居り、未だ太子を立てず、安ぞ詐に非ざるを知らん。復た請ふを請ふ、復た請ひて後に死するも、未だ暮からざるなり」と。使者数々之を趣す。扶蘇曰く、「父にして子に死を賜ふ、尚ほ安ぞ復た請はん」と。即ち自殺す。二世立ち、趙高用事し、法令の誅罰日に益々刻深にして、群臣人人自ら危ふみ、畔かんと欲する者衆し。