長短経 / 覇図
〔酈生説曰、「臣聞、知人之天者、王事可成、不知人之天者、王事不可成。王者以人為天、而人以食為天。夫敖倉、天下轉輸久矣、臣聞其下有藏粟甚多。楚人㧞榮陽、不堅守敖倉、乃引而東、令適卒分守成臯、此乃天所以資漢也。方今楚易取而漢反却、自奪其便、臣以為過矣。
新字:〔酈生説曰、「臣聞、知人之天者、王事可成、不知人之天者、王事不可成。王者以人為天、而人以食為天。夫敖倉、天下転輸久矣、臣聞其下有蔵粟甚多。楚人抜栄陽、不堅守敖倉、乃引而東、令適卒分守成皋、此乃天所以資漢也。方今楚易取而漢反却、自奪其便、臣以為過矣。
書き下し
〈酈生説きて曰く「臣聞く、人の天を知る者は、王事成る可く、人の天を知らざる者は、王事成る可からず、と。王者は人を以て天と為し、而して人は食を以て天と為す。夫れ敖倉は、天下転輸すること久し。臣聞く、其の下に粟を蔵すること甚だ多しと。楚人、滎陽を抜くも、敖倉を堅守せず、乃ち引きて東し、適卒をして分かちて成皋を守らしむ。此れ乃ち天の漢に資する所以なり。方今、楚は取り易くして漢は反って却く。自ら其の便を奪う。臣、以て過てりと為す。
現代語訳
〈酈食其が説いて言った。「臣が聞くところでは、人にとっての天を知る者は王の事業を成せるが、知らない者は成せない、と。王者は民を天とし、民は食を天とします。敖倉は天下の物資が長く運び込まれてきた所です。臣が聞くところでは、その下に蓄えられた穀物は非常に多い。楚は滎陽を抜いたのに敖倉を固く守らず、兵を引いて東へ行き、寄せ集めの兵に分けて成皋を守らせています。これは天が漢に与えたものです。いま楚は取りやすいのに、漢のほうが引き下がろうとしている。自分から有利を手放すことです。誤りだと思います。
解説
王者は民を天とし、民は食を天とする。その具体的な結論が、穀物倉を押さえよ、ということでした。理念と兵站が一本の線でつながっています。しかも楚が敖倉を守らずに去ったという事実を見逃さない。相手が捨てたものの中に、相手の急所があります。撤退を検討している場面で、逆に取りに行けと言えたのは、何が要かを知っていたからです。
この章句が説くこと
覇図酈食其敖倉兵站民以食為天急所
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