長短経 / 覇図
漢遂與楚相距於滎陽、楚圍漢王、用陳平計、間得出。〔漢王急問陳平、「䇿安出?」陳平曰、「彼項王骨鯾之臣亞夫鍾離末之屬、不過數人。大王能出捐數萬金、行反間、間其君臣、以疑其心、項王為人、意忌信讒、必内相誅。漢因舉攻之、破楚必矣。」漢王乃以四萬斤金與平、恣其所為、不問出入。平既多以金縱反間於楚軍、宣言諸将鍾離末等為項王将功多矣、然終不能裂地而封、「欲與漢為一、以滅項氏、分王其地。」項王果疑。
新字:漢遂与楚相距於滎陽、楚囲漢王、用陳平計、間得出。〔漢王急問陳平、「策安出?」陳平曰、「彼項王骨鯾之臣亜夫鍾離末之属、不過数人。大王能出捐数万金、行反間、間其君臣、以疑其心、項王為人、意忌信讒、必内相誅。漢因舉攻之、破楚必矣。」漢王乃以四万斤金与平、恣其所為、不問出入。平既多以金縦反間於楚軍、宣言諸将鍾離末等為項王将功多矣、然終不能裂地而封、「欲与漢為一、以滅項氏、分王其地。」項王果疑。
書き下し
漢、遂に楚と滎陽に相い距る。楚、漢王を囲む。陳平の計を用い、間もなく出づるを得たり。〈漢王、急に陳平に問う「策、安くに出でん」と。陳平曰く「彼の項王の骨鯁の臣、亜父・鍾離末の属は、数人に過ぎず。大王、能く数万金を出捐し、反間を行い、其の君臣を間て、以て其の心を疑わしめば、項王の人と為り、意忌にして讒を信ず。必ず内に相い誅せん。漢、因りて挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王乃ち四万斤の金を以て平に与え、其の為す所を恣にし、出入を問わず。平、既に多く金を以て反間を楚軍に縦つ。宣言すらく、諸将の鍾離末等は項王の将と為りて功多し、然れども終に地を裂きて封ぜらるる能わず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼし、其の地を分かちて王たらんと欲す、と。項王果たして疑う。
現代語訳
漢はついに楚と滎陽で対峙した。楚が漢王を囲んだ。陳平の計を用いて、まもなく脱出できた。〈漢王は急いで陳平に尋ねた。「策はどこにあるか」。陳平は言った。「項王の骨のある臣、范増や鍾離末の類は数人に過ぎません。大王が数万金を投じて離間工作を行い、君臣のあいだを裂いて心を疑わせれば、項王の人となりは猜疑心が強く讒言を信じます。必ず内で誅し合うでしょう。漢がそこを挙げて攻めれば、楚を破るのは確実です」。漢王は四万斤の金を陳平に与え、好きなようにさせ、出納を問わなかった。陳平は多額の金で楚軍に離間工作を放った。噂を流した。鍾離末ら諸将は項王の将として功が多いのに、ついに土地を裂いて封じられない、だから漢と一つになって項氏を滅ぼし、その地を分けて王になろうとしている、と。項王は果たして疑った。
解説

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