長短経 / 覇図
諸将不從、遂立聖公。由是、豪傑失望。伯升都部将劉稷、勇冠三軍、聞更始立、怒曰、「本起兵圖大事者、劉伯兄弟也。更始何為者耶?」更始君臣聞而心忌之。乃陳兵數千収稷、将誅之、伯升固争。李軼、朱鮪因勸更始并執伯升、即日害之。李軼與世祖既隙、後因馮公孫致宻書、求効誠節、咸勸秘之。世祖乃班露軼書曰、「李季文多詐、不信人也。」今移其書告守、尉。書既宣露、朱鮪使人殺軼也。〕
新字:諸将不従、遂立聖公。由是、豪傑失望。伯升都部将劉稷、勇冠三軍、聞更始立、怒曰、「本起兵図大事者、劉伯兄弟也。更始何為者耶?」更始君臣聞而心忌之。乃陳兵数千収稷、将誅之、伯升固争。李軼、朱鮪因勧更始并執伯升、即日害之。李軼与世祖既隙、後因馮公孫致密書、求効誠節、咸勧秘之。世祖乃班露軼書曰、「李季文多詐、不信人也。」今移其書告守、尉。書既宣露、朱鮪使人殺軼也。〕
書き下し
諸将従わず、遂に聖公を立つ。是に由りて、豪傑失望す。伯升の都部将劉稷は、勇は三軍に冠たり。更始の立つを聞き、怒りて曰く「本と兵を起こし大事を図る者は、劉伯の兄弟なり。更始、何為る者ぞや」と。更始の君臣、聞きて心に之を忌む。乃ち兵数千を陳ねて稷を収め、将に之を誅せんとす。伯升、固く争う。李軼・朱鮪、因りて更始に勧めて并せて伯升を執え、即日之を害す。李軼と世祖と既に隙あり。後、馮公孫に因りて密書を致し、誠節を効さんことを求む。咸な之を秘せんことを勧む。世祖、乃ち軼の書を班露して曰く「李季文は詐り多く、人を信ぜざるなり」と。今、其の書を移して守・尉に告ぐ。書、既に宣露し、朱鮪、人をして軼を殺さしむるなり。〉
現代語訳
諸将は従わず、ついに聖公を立てた。これによって豪傑は失望した。伯升の部将劉稷は勇が三軍で一番だった。更始が立ったと聞いて怒って言った。「そもそも兵を起こして大事を図ったのは劉伯升の兄弟だ。更始が何者だというのか」。更始の君臣はこれを聞いて心の中で嫌った。そこで数千の兵を並べて劉稷を捕らえ、誅そうとした。伯升は固く争った。李軼と朱鮪はそこで更始に勧めて伯升も一緒に捕らえさせ、その日のうちに殺した。李軼と世祖にはすでに隙間があった。後に李軼は馮異を通じて密書を届け、誠意を尽くしたいと申し出た。みなこれを秘密にするよう勧めた。世祖は李軼の手紙を公開して言った。「李軼は偽りが多く、人を信じない男だ」。そしてその手紙を写して太守と尉に知らせた。手紙が広まると、朱鮪は人をやって李軼を殺した。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図新市の人王匡等、劉聖公を立てて天子と為し、伯升を害す。〈劉玄、字は聖公、世祖の族兄なり。吏を平林に避く。王匡等、之を立つ。初め、伯升は王莽の漢を簒いしより、常に憤憤として社稷を匡復するの慮を懐く。家人の居業を事とせず、身を傾け産を破りて、天下の雄俊を交結す。王莽の末、盗賊群れ起こる。伯升、諸豪傑を召して計議す。是に於て親客鄧晨をして新野に起こらしめ、世祖・李軼、宛に起こり、伯升、舂陵に発し、子弟七八千人、賓客を部署し、自ら柱天都部と称す。劉嘉をして新市・平林の兵の王匡・陳牧等を誘いて軍を合わせて進ましめ、長聚を屠る。諸将、劉氏を立てて、以て人望に従わんことを議す。豪傑、咸な伯升に帰せんと欲す。而して新市・平林の将帥は放縦を楽しみ、伯升の威明を憚り、聖公の懦弱なるを貪り、先ず策を定めて之を立て、然る後に伯升を召して其の議を示す。
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『長短経』覇図世祖の威声、日に盛んなり。更始、疑慮し、乃ち使いを遣わして世祖を立てて蕭王と為し、兵を罷め、諸将の功有る者と長安に還らしむ。苗魯を遣わして幽州牧と為し、韋順を上谷守と為し、並びに北のかた郡に之かしむ。〈時に世祖、邯鄲の宮に居る。耿弇、間を請いて説きて曰く「今、更始は政を失い、君臣淫乱す。諸将は命を畿外に擅にし、貴戚は都内に縦横す。天子の命、城門を出でず、拝する所の牧守は輒ち自ら遷易す。百姓、従う所を知らず、士人、敢えて自ら安んずる莫し。財物を虜掠し、婦女を刧掠す。金玉を懐く者、生きて帰らざるに至る。元元、心を叩き、更に王莽を思う。又た銅馬・赤眉の属、数十輩、数は百万に及ぶ。聖公、弁ずる能わざるなり。其の敗るること久しからず。公、首めに事を南陽に挙げ、百万の軍を破る。今、河北を定め、天府の地に拠り、義を以て征伐し、号を発すれば響応せん。天下、檄を馳せて定む可し。天下は至って重し。他姓をして之を得しむ可からず。聞く、使者、西方より来たり、兵を罷めんと欲すと。従う可からざるなり。今、吏士の死亡する者多し。弇、願わくは北のかた幽州に帰り、益々精兵を発して、以て大計を集めん」と。世祖大いに悦ぶ。弇、上谷に帰り、韋順等を斬る。〉世祖、辞して徴に就かず、苗魯等を斬る。是れ自り始めて更始に貳す。
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『長短経』覇図世祖光武皇帝、諱は秀、字は文叔、南陽蔡陽の人なり。高皇帝の九代の孫なり。王莽の末、天下、連歳災蝗あり、寇盗蜂起す。〈莽の末、南方饑饉あり。人民、群れて野沢に入り、鳧茈を掘りて食らい、更々相い侵奪す。新市の人王匡、為に争訟を平理す。遂に推されて渠帥と為る。〉時に世祖、吏を新野に避け、因りて穀を宛に売る。宛の人李通、図讖を以て世祖に説く。〈通の父守、讖記を好む。通、素より守の説きて云うを聞く「劉氏復興し、李氏輔と為らん」と。私かに嘗て之を懐く。下江・新市の兵の起こるに及び、通の弟軼、乃ち共に計議して曰く「今、四方擾乱し、新室且に亡びんとす。漢、当に更に興るべし。南陽の宗室、独り劉伯升兄弟のみ汎く愛し衆を容る。与に大事を謀る可し」と。通曰く「吾が意なり」と。会々世祖、事を避けて宛に在り。通、之を聞き、即ち軼を遣わして世祖を迎えしむ。遂に相い約結す。
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『長短経』覇図伯升曰く「諸将軍、宗室を尊立せんと欲す。徳は甚だ厚し。愚鄙の見、竊かに未だ同ぜざる有り。今、赤眉、青徐に起こり、衆は数十万。南陽の宗室を立つと聞かば、恐らくは赤眉も復た立つる所有らん。此くの如くんば、将に内自ら争わんとす。今、王莽未だ滅びざるに、宗室相い攻むるは、是れ天下を疑わしめて自ら権を損ずるなり。莽を破る所以に非ず。且つ首めに兵し号を唱うる者、鮮く能く遂ぐる有り。陳勝・項羽、即ち其の事なり。舂陵は宛を去ること三百里のみ。未だ功と為すに足らずして遽かに自ら尊立するは、天下の準的と為り、後人をして吾が弊を承けしむ。計の善き者に非ざるなり。今、且く王と称して以て号令せん。若し赤眉の立つる所の者賢ならば、則ち相い率いて往きて之に従わん。若し立つる所無くんば、莽を破り、赤眉を除き、然る後に尊号を挙ぐるも、亦た未だ晩からざるなり。願わくは善く詳らかに之を思え」と。
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『長短経』覇図東都太守翟義反し、敗れて死す。〈義は丞相方進の子。地に劉信を立てて天子と為すなり。〉莽、自ら謂えらく威徳遂に盛んにして、天人の助けを獲たりと。銅匱の符命を用いて、遂に真に即く。〈梓潼の人哀章、銅匱の符命を上る。〉其の九年、赤眉の賊起こる。〈瑯邪の女子、呂母、子の為に仇を報ず。党衆、復た浸く多し。赤眉の賊と号す。〉十四年、世祖兵を起こし、王匡等と共に劉聖公を立てて更始皇帝と為す。〈更始は、即ち世祖の族兄なり。世祖及び兄伯升と新市・平林の兵士王匡等と、軍を合わせて棘陽を攻む。〉莽、王尋・王邑を遣わして更始を撃たしむ。二人、兵を昆陽に敗る。漢兵、遂に城中に入る。人皆な降る。莽、漸台に走り、室中の北隅に蔵る。間、校尉孫賓就、莽を斬る。遂に首を伝えて宛の更始に詣らしむ。
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『長短経』覇図是の時、長安の政乱れ、四方背叛す。皆な之を平らぐ。〈梁王劉永、命を擅にし、睢陽の公孫述、王と称す。巴蜀の李憲、自立して淮南王と為り、秦豊、自ら号して楚黎王と為り、張歩、瑯琊に起こり、董憲、東海に起こり、岑延、漢中に起こり、田戎、夷陵に起こる。並びに将帥を置き、郡県を侵略す。又た赤眉・銅馬の属有り、勝げて計う可からず。初め、銅馬、世祖に降るも、猶お自ら安んぜず。世祖、其の意を知り、敕して各々営に帰りて兵馬を勒せしめ、乃ち自ら軽騎に乗じて部陣を按行す。降る者、更々相い語りて曰く「蕭王は赤心を推して人の腹中に置く。安くんぞ死を投ぜざるを得んや」と。是に由りて悉く服す。