長短経 / 懼戒
〔議曰、𤣥感之反也、太白入南斗。諺曰、「太白入南斗、天子下殿走。」由是天下持兩端。故《三畧》曰、「放言過之。」裴子野曰、「夫左道怪民、幻挾罔誕、足以動衆、而未足以濟功。」今以諺觀之、左道可以動衆者、信矣!故王者禁焉。〕
新字:〔議曰、玄感之反也、太白入南斗。諺曰、「太白入南斗、天子下殿走。」由是天下持両端。故《三略》曰、「放言過之。」裴子野曰、「夫左道怪民、幻挟罔誕、足以動衆、而未足以済功。」今以諺観之、左道可以動衆者、信矣!故王者禁焉。〕
書き下し
〔議に曰く、玄感の反するや、太白南斗に入る。諺に曰く「太白南斗に入れば、天子殿を下りて走る」と。是に由りて天下両端を持す。故に三略に曰く「放言は之を過つ」と。裴子野曰く「夫れ左道怪民、幻を挟み誕を罔うるは、以て衆を動かすに足るも、未だ以て功を済すに足らず」と。今、諺を以て之を観れば、左道の以て衆を動かすべきは、信なり。故に王者は焉を禁ず。〕
現代語訳
〔論じて言う。楊玄感が反乱を起こしたとき、金星が南斗に入った。諺に「金星が南斗に入れば、天子は宮殿を下りて逃げる」とある。これによって天下の人々はどちらにもつけるよう両天秤にかけた。だから『三略』に「根拠のない言葉を放つと誤らせる」とある。裴子野は「怪しげな教えや怪しい者が、幻術を抱えでたらめを言うのは、民衆を動かすには足りても、功を成すには足りない」と言う。いま諺から見ると、怪しげな教えで民衆を動かせるのは確かだ。だから王者はそれを禁じるのである。〕
解説
楊玄感の反乱のとき、金星が南斗に入ったという天文と、天子が逃げるという諺が広まり、人々は様子見をしました。反乱そのものは失敗しましたが、噂は人の心を十分に揺らした。裴子野は、怪しげな言説は人を動かせても事は成せないと言います。趙蕤は、それでも人を動かせる力は確かにあるから、王者はそれを禁じるのだと結ぶ。根拠のない噂は、事実を作れなくても、人々の足を止めることはできるのです。
この章句が説くこと
懼戒楊玄感噂裴子野様子見流言
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