長短経 / 論士
”皆執杖排班、黙而不對。燕曰、“悲乎!何士大夫易得而難用也?”陳饒曰、“非士大夫易得而難用、君不能用也、君不能用、則有不平之心。是失之於己而責諸人也。”燕曰、“其說云何?”對曰、“三升之稷、不足於士、而君鴈鶩有餘粟、是君之過一也。果園梨栗、後宫婦女、以相提挃、而士曾不得一嘗、是君之過二也。綾紈綺縠、美麗於堂、從風而弊、士曾不得以為縁、是君之過三也。夫財者、君之所輕、死者、士之所重。君不能行君之所輕、而欲使士致其所重、譬猶鉛刀畜之、干將用之、不亦難乎?”宋燕曰、“是燕之過也。”《語》曰、“夫人同明者相見、同聽者相聞。
新字:”皆執杖排班、黙而不対。燕曰、“悲乎!何士大夫易得而難用也?”陳饒曰、“非士大夫易得而難用、君不能用也、君不能用、則有不平之心。是失之於己而責諸人也。”燕曰、“其説云何?”対曰、“三升之稷、不足於士、而君鴈鶩有余粟、是君之過一也。果園梨栗、後宮婦女、以相提挃、而士曽不得一嘗、是君之過二也。綾紈綺縠、美麗於堂、従風而弊、士曽不得以為縁、是君之過三也。夫財者、君之所軽、死者、士之所重。君不能行君之所軽、而欲使士致其所重、譬猶鉛刀畜之、干将用之、不亦難乎?”宋燕曰、“是燕之過也。”《語》曰、“夫人同明者相見、同聴者相聞。
書き下し
皆な杖を執りて班を排し、黙して対えず。燕曰く「悲しいかな。何ぞ士大夫の得易くして用い難きや」と。陳饒曰く「士大夫の得易くして用い難きに非ず、君の用うる能わざるなり。君の用うる能わざれば、則ち不平の心有り。是れ之を己に失いて諸を人に責むるなり」と。燕曰く「其の説は云何」と。対えて曰く「三升の稷、士に足らずして、君の雁鶩には余粟有り。是れ君の過ち一なり。果園の梨栗、後宮の婦女、以て相い提挃するも、士は曾ち一たびも嘗むるを得ず。是れ君の過ち二なり。綾紈綺縠、堂に美麗にして、風に従いて弊る。士は曾ち以て縁と為すを得ず。是れ君の過ち三なり。夫れ財なる者は君の軽んずる所、死なる者は士の重んずる所なり。君は君の軽んずる所を行う能わずして、士をして其の重んずる所を致さしめんと欲す。譬えば猶お鉛刀もて之を畜い、干将もて之を用うるがごとし。亦た難からずや」と。宋燕曰く「是れ燕の過ちなり」と。語に曰く「夫れ人は明を同じくする者は相い見え、聴を同じくする者は相い聞こゆ。
現代語訳
大夫たちはみな杖を持って列を乱し、黙って答えなかった。宋燕は言った。「悲しいことだ。どうして士大夫は得やすくて用いにくいのか」。陳饒が言った。「士大夫が得やすくて用いにくいのではありません。あなたが用いられないのです。あなたが用いられなければ、不平の心が生じます。これは自分に原因があるのに人を責めているのです」。宋燕は言った。「どういうことか」。陳饒は答えた。「三升の粟さえ士には足りないのに、あなたの飼っている雁や鴨には余った粟があります。これがあなたの第一の過ちです。果樹園の梨や栗は、後宮の女たちが投げ合って遊ぶほどあるのに、士は一つも味わえません。これが第二の過ちです。上等な絹織物が広間に美しく飾られ、風にさらされて傷んでいくのに、士はその端切れさえ縁飾りにできません。これが第三の過ちです。財はあなたが軽んじるものであり、命は士が重んじるものです。あなたは自分が軽んじるものさえ出せないのに、士にその重んじるものを差し出させようとする。たとえるなら、鉛の刀のように養っておいて、名剣の干将のように使おうとするようなものです。無理ではありませんか」。宋燕は言った。「それは私の過ちだ」。ある書物にこうある。「人は同じ明るさを持つ者どうしが見え合い、同じ聴力を持つ者どうしが聞こえ合う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下孟子、齊の宣王に見えて曰く、「所謂故國とは、喬木有るの謂を謂うに非ざるなり。世臣有るの謂なり。王には親臣無し。昔者(セキ・ジャ)進むる所、今日其の亡を知らざるなり。」王曰く、「吾、何を以て其の不才を識りて之を舍てん。」曰く、「國君、賢を進むること已むを得ざるが如くす。將に卑をして尊を踰え、疏をして戚を踰えしめんとす。慎まざる可けんや。左右皆賢なりと曰うも、未だ可ならざるなり。諸大夫皆賢と曰うも、未だ可ならざるなり。國人皆賢と曰う、然る後に之を察し、賢なるを見て、然る後に之を用いよ。左右皆不可と曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆不可と曰うも、聽く勿れ。國人皆不可と曰う、然る後に之を察し、不可なるを見て、然る後に之を去れ。左右皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。諸大夫皆殺す可しと曰うも、聽く勿れ。國人皆殺す可しと曰う、然る後に之を察し、殺す可きを見て、然る後に之を殺せ。故に曰く、國人之を殺すなり、と。此の如くにして、然る後以て民の父母為る可し。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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史記 孫子呉起列伝呉起是に於いて魏の文侯の賢なるを聞き、之に事へんと欲す。文侯、李克に問ひて曰く、「呉起は何如なる人ぞ」と。李克曰く、「起は貪にして色を好む。然れども兵を用ゐるは、司馬穰苴も過ぐる能はざるなり」と。是に於いて魏の文侯以て将と為し、秦を撃ち、五城を抜く。
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大学《秦誓》(しんせい)に曰く、「若(も)し一つの臣有らん。断断(だんだん)として他技無く、其の心休休焉(きゅうきゅうえん)として、其れ容るる有るが如し。人の技有るを、己之れ有るが如くし、人の彦聖(げんせい)なるを、其の心之を好むこと、啻(ただ)に其の口より出づるが如きのみならず。実に能く之を容(い)る。以て我が子孫黎民(れいみん)を保(やすん)ずべし、尚(な)お亦た利有らん哉(かな)。人の技有るを、媢嫉(ぼうしつ)して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之を違(さまた)げて通ぜざらしむ。実に容るる能わず。以て我が子孫黎民を保つ能わず、亦た殆(あやう)き哉」と。唯(ただ)仁人(じんじん)のみ之を放流(ほうりゅう)し、四夷に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じくせず。此れ唯仁人のみ能く人を愛し、能く人を悪むと謂う。賢を見て挙ぐる能わず、挙げて先んずる能わざるは、命(慢)なり。不善を見て退くる能わず、退けて遠ざくる能わざるは、過ちなり。人の悪む所を好み、人の好む所を悪む、是れ人の性を拂(もと)ると謂う。災い必ず夫(そ)の身に逮(およ)ばん。是の故に君子に大道有り、必ず忠信なるを以て之を得、驕泰(きょうたい)なるを以て之を失う。