長短経 / 時宜
夫事有趨同而勢異者、非事詭也、時之變耳。何以明其然耶?昔秦末、陳涉起蘄、民至陳。陳豪傑說涉曰、「將軍披堅執銳、帥士卒以誅暴秦、復立楚社稷、功徳宜為王。」陳渉問陳餘、張耳兩人、兩人對曰、「將軍瞋目張膽、出萬死不顧一生之計、為天下除殘賊。今始至陳而王之、示天下以私。願將軍無王、急引兵而進遣人立六國後、自為樹黨。如此、野無交兵、誅暴秦、據咸陽、以令諸侯、則帝業成矣。今獨王陳、恐天下解也!」
新字:夫事有趨同而勢異者、非事詭也、時之変耳。何以明其然耶?昔秦末、陳渉起蘄、民至陳。陳豪傑説渉曰、「将軍披堅執鋭、帥士卒以誅暴秦、復立楚社稷、功徳宜為王。」陳渉問陳余、張耳両人、両人対曰、「将軍瞋目張胆、出万死不顧一生之計、為天下除残賊。今始至陳而王之、示天下以私。願将軍無王、急引兵而進遣人立六国後、自為樹党。如此、野無交兵、誅暴秦、拠咸陽、以令諸侯、則帝業成矣。今独王陳、恐天下解也!」
書き下し
夫れ事に趨同じくして勢い異なる者有り。事の詭なるに非ず、時の変なるのみ。何を以て其の然るを明らかにせん。昔、秦の末、陳渉蘄に起こり、民陳に至る。陳の豪傑、渉に説きて曰く「将軍は堅を披り鋭を執り、士卒を帥いて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立つ。功徳宜しく王たるべし」と。陳渉、陳餘・張耳の両人に問う。両人対えて曰く「将軍は目を瞋らせ胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計にして、天下の為に残賊を除く。今、始めて陳に至りて之に王たるは、天下に示すに私を以てす。願わくは将軍王たること無く、急ぎ兵を引きて進み、人を遣わして六国の後を立て、自ら為に党を樹てよ。此くの如くんば、野に交兵無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて、以て諸侯に令せば、則ち帝業成らん。今、独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。
現代語訳
物事には、向かう方向は同じでも形勢が違うということがある。事柄が怪しいのではなく、時が変わったのである。何によってそれを明らかにするか。昔、秦の末に陳渉が蘄で兵を起こし、陳に至った。陳の豪傑たちは陳渉に説いた。「将軍は鎧を着て武器を取り、兵を率いて暴虐な秦を誅し、楚の国を再び立てました。その功と徳からすれば王になるべきです」。陳渉が陳餘と張耳に問うと、二人は答えた。「将軍は目を見開き胆を据え、万死に一生を顧みない計で、天下のために残虐な賊を除こうとしています。いま陳に着いたばかりで王になれば、天下に私心を示すことになります。どうか将軍は王にならず、急いで兵を進め、人を遣わして六国の王の子孫を立て、自分の味方を作ってください。そうすれば野で戦うこともなく、暴虐な秦を誅して咸陽に拠り、諸侯に命令すれば帝業は成ります。いま陳で一人王になれば、天下はばらばらになるでしょう」。
解説

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『長短経』懼戒秦の二世の末、陳渉蘄に起こり、兵陳に至る。張耳・陳餘、渉に説きて曰く「大王は梁・楚を興し、務めは関に入るに在りて、未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に遊び、其の豪傑を知る。願わくは奇兵を請いて趙の地を略せん」と。是に於て陳王之を許し、卒三千を与う。白馬より河を渡り〔今の滑州白馬県の界なり〕、諸郡県に至り、其の豪傑に説きて曰く「秦は乱政虐刑を為し、天下を残滅す。北には長城の役を為し、南には五嶺の戍有り。外内騒動し、百姓罷敝す。頭会箕斂して、以て軍費に供し、財匱しく力尽く。重ぬるに苛法を以てし、天下の父子をして相聊生せざらしむ。今、陳王臂を奮いて天下の為に唱始し、響応せざるは莫し。家々自ら怒りを為し、各々其の怨みに報ゆ。県は其の令丞を殺し、郡は其の守尉を殺す。今已に大楚を張り、陳に王たり、呉広・周文をして卒百万を将いて西のかた秦を撃たしむ。此の時に於て封侯の業を成さざる者は、人傑に非ざるなり。夫れ天下の力に因りて無道の君を攻め、父兄の怨みに報いて割地の業を成す。此れ一時なり」と。豪傑皆其の言を然りとす。乃ち行きて兵を収め、趙の十余城を下す。
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『長短経』時宜楚漢の時に及びて、酈食其、漢の為に楚の権を撓めんことを謀りて曰く「昔、湯は桀を伐ちて、其の後を杞に封じ、武王は紂を伐ちて、其の後を宋に封ず。今、秦は徳を失い義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六国の後を滅亡し、立錐の地無からしむ。陛下誠に能く復た六国の後を立てば、此れ其の君臣百姓、必ず皆陛下の徳を戴き、風に向かい義を慕い、臣妾と為らんことを願わざるは莫からん。徳義以て行わるれば、陛下は南面して霸を称し、楚は必ず衽を斂めて朝せん」と。漢王曰く「善し」と。張良曰く「誠に客の謀を用いば、陛下の事去らん」と。
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史記 張耳陳余列伝秦詔書もて両人を購ひ求む。両人亦反って門者を用ひて以て里中に令す。陳渉蘄に起こり、陳に入るに至りて、兵数万。張耳・陳餘陳渉に上謁す。渉及び左右生平数々張耳・陳餘の賢を聞くも、未だ嘗て見ず。見て即ち大いに喜ぶ。陳中の豪傑父老乃ち陳渉に説きて曰く、「将軍身に堅を被り鋭を執り、士卒を率ゐて以て暴秦を誅し、復た楚の社稷を立て、亡を存し絶を継ぐ。功徳宜しく王たるべし。且つ夫れ天下の諸将を監臨するに、王と為らずんば可ならず。願はくは将軍立ちて楚王と為れ」と。陳渉此の両人に問ふ。両人対へて曰く、「夫れ秦は無道を為し、人の国家を破り、人の社稷を滅ぼし、人の後世を絶ち、百姓の力を罷らし、百姓の財を尽くす。将軍目を瞋らし胆を張り、万死を出でて一生を顧みざるの計を出だし、天下の為に残を除く。今始めて陳に至りて之に王たらば、天下に私を示さん。願はくは将軍王たる毋く、急ぎ兵を引きて西し、人を遣はして六国の後を立て、自ら党を樹て、秦の為に敵を益せ。敵多ければ則ち力分かれ、与衆ければ則ち兵彊し。此の如くんば野に交兵無く、県に守城無く、暴秦を誅し、咸陽に拠りて以て諸侯に令す。諸侯亡びて立つを得、徳を以て之を服す。此の如くんば則ち帝業成らん。今独り陳に王たらば、恐らくは天下解けん」と。陳渉聴かず、遂に立ちて王と為る。陳餘乃ち復た陳王に説きて曰く、「大王梁・楚を挙げて西し、務めは関に入るに在り。未だ河北を収むるに及ばず。臣嘗て趙に游び、其の豪桀及び地形を知る。願はくは奇兵を請ひて北のかた趙の地を略せん」と。是に於て陳王故の善くする所の陳人武臣を以て将軍と為し、邵騒を護軍と為し、張耳・陳餘を以て左右校尉と為し、卒三千人を予へ、北のかた趙の地を略せしむ。武臣等白馬より河を渡り、諸県に至り、其の豪桀に説きて曰く、「秦は乱政虐刑を為して以て天下を残賊すること、数十年なり。
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『長短経』時宜〔荀悦曰く「夫れ策を立て勝ちを決するの術は、其の要に三有り。一に曰く形、二に曰く勢、三に曰く情。形なる者は、其の大体得失の数を言うなり。勢なる者は、其の時に臨むの勢い、進退の機を言うなり。情なる者は、其の心志可否の実を言うなり。故に策は事を同じくする者も、三術同じからざるなり。初め、張耳は陳渉に説くに六国の後を復して、自ら為に党を樹つるを以てす。酈生も亦た此の説を用いて漢王に説く。説く所以の者は事同じくして、得失異なるは、何ぞや。陳渉の起こるに当たりてや、天下皆秦を亡ぼさんと欲す。而して楚漢の分は未だ定まる所有らず、今天下は未だ必ずしも項を亡ぼさんと欲せず。且つ項羽の力は能く六国を率従す。秦の勢いの如くならば、則ち能わざるなり。故に六国を陳渉に立つるは、所謂己の党を多くして、秦の弊を益すなり。且つ陳渉は未だ天下の土を専らにすること能わず。所謂其の有に非ざるを取りて、以て人に徳とし、虚恵を行いて実福を収むるなり。六国を漢王に立つるは、所謂己の有を割きて、以て敵に資し、虚名を設けて実禍を受くるなり。此れ事同じくして形を異にする者なり」と。〕
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『長短経』時宜此れ情と形と勢との異なる者なり。時に随いて変通し、一を執るべからず。〔諸葛亮曰く「范蠡は貴を去るを以て高しと為し、虞卿は相を捨つるを以て功と為す。太伯は三譲を以て仁と為し、燕噲は国を辞するを以て禍と為す。堯・舜は位を禅るを以て聖と為し、孝哀は賢に授くるを以て愚と為す。武王は殷を取るを以て義と為し、王莽は漢を奪うを以て簒と為す。桓公は管仲を以て伯たり、秦王は趙高を以て国を喪う。此れ皆趣を同じくして事を異にするを以てなり。明なる者は以て治を興し、暗き者は以て乱を辱くするなり」と。〕
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『長短経』時宜此れ勢いを異にする者なり。〔荀悦曰く「宋義の秦・趙の弊を待つは、卞荘の虎を刺す事と同じくして勢い異なるは、何ぞや。之を戦国の時に施し、隣国相攻めて、臨時の急無くんば、則ち可なり。戦国の立つや、其の来たること久し。一戦の勝敗も、未だ必ずしも以て亡びず。其の勢いは敵国を亡ぼすに急なること能わざるなり。進めば則ち利に乗じ、退けば則ち自ら保つ。故に力を畜え時を待ちて、弊を承くるは然り。今、楚・趙は新たに起こり、其の力は秦の勢いと並び立たず。安危の機、呼吸に変を成す。進めば則ち功を定め、退けば則ち禍を受く。此れ事同じくして勢い異なる者なり」と。〕