長短経 / 覇図
都洛陽。用婁敬䇿、徙都長安。〔婁敬説王曰、「陛下都洛、豈欲與周室並隆哉?」上曰、「然。」敬曰、「陛下取天下與周室異、周之先自后稷、堯封之於邰、積徳累善、十有餘世。公劉避桀居邠、太王以戎狄故、去邠、杖馬箠、居岐、國人争歸之。及至文王、為西伯、斷虞、芮之訟、始受命、吕望、伯夷自海濵來歸之。武王伐紂、不期而會孟津之上者八百諸侯、皆曰、「紂可伐矣。」遂滅殷。成王即位、周公之屬傅相焉、乃營成周洛邑、以此為天下之中也。
新字:都洛陽。用婁敬策、徙都長安。〔婁敬説王曰、「陛下都洛、豈欲与周室並隆哉?」上曰、「然。」敬曰、「陛下取天下与周室異、周之先自后稷、堯封之於邰、積徳累善、十有余世。公劉避桀居邠、太王以戎狄故、去邠、杖馬箠、居岐、国人争帰之。及至文王、為西伯、断虞、芮之訟、始受命、呂望、伯夷自海浜来帰之。武王伐紂、不期而会孟津之上者八百諸侯、皆曰、「紂可伐矣。」遂滅殷。成王即位、周公之属傅相焉、乃営成周洛邑、以此為天下之中也。
書き下し
洛陽に都す。婁敬の策を用い、都を長安に徙す。〈婁敬、王に説きて曰く「陛下、洛に都するは、豈に周室と隆きを並べんと欲するか」と。上曰く「然り」と。敬曰く「陛下の天下を取るは周室と異なる。周の先は后稷より、堯之を邰に封ず。徳を積み善を累ぬること十有余世。公劉は桀を避けて邠に居り、太王は戎狄の故を以て、邠を去り、馬箠を杖つきて岐に居る。国人争いて之に帰す。文王に至るに及び、西伯と為り、虞・芮の訟を断ち、始めて命を受く。呂望・伯夷、海浜より来たりて之に帰す。武王、紂を伐つに、期せずして孟津の上に会する者八百諸侯。皆な曰く『紂は伐つ可し』と。遂に殷を滅ぼす。成王即位し、周公の属、傅相す。乃ち成周洛邑を営み、此を以て天下の中と為すなり。
現代語訳
洛陽に都した。婁敬の策を用いて、都を長安に移した。〈婁敬が王に説いた。「陛下が洛に都するのは、周室と並び立とうというお考えですか」。上は「そうだ」と言った。婁敬は言った。「陛下の天下の取り方は周室とは違います。周の先祖は后稷から始まり、堯がこれを邰に封じた。徳を積み善を重ねること十数代。公劉は桀を避けて邠に住み、太王は戎狄のために邠を去り、馬の鞭を杖にして岐に住んだ。国の人々は争ってこれに帰した。文王に至って西伯となり、虞と芮の訴訟を裁き、はじめて天命を受けた。呂望と伯夷が海辺から来て帰した。武王が紂を伐つとき、示し合わせずに孟津に集まった諸侯が八百。みな『紂は伐てる』と言った。こうして殷を滅ぼした。成王が即位し、周公らが補佐した。そして成周の洛邑を営み、これを天下の中心とした。
解説

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