長短経 / 覇図
於是上曰、「陳豨将誰也?」曰、「王黄、曼丘臣、皆故賈人。」上曰、「吾知之矣。」乃各以千金購黄、臣等。其黄、臣等麾下受購賞、皆生得。以故、陳豨軍遂敗。初、韓信知漢畏惡其能。與陳豨謀反、高帝自将擊豨、信稱疾不從行、欲從中起。信舎人得罪、信囚之、欲殺舎人。弟告信反状於吕后呂后欲召、恐其黨不就、乃與蕭相國謀、詐令人從上所來、言豨已死矣、列侯羣臣皆賀。相國詐信曰、「雖病、強入賀。」信入、吕后使武士縛信、斬之長樂宫。〕
新字:於是上曰、「陳豨将誰也?」曰、「王黄、曼丘臣、皆故賈人。」上曰、「吾知之矣。」乃各以千金購黄、臣等。其黄、臣等麾下受購賞、皆生得。以故、陳豨軍遂敗。初、韓信知漢畏悪其能。与陳豨謀反、高帝自将撃豨、信称疾不従行、欲従中起。信舎人得罪、信囚之、欲殺舎人。弟告信反状於呂后呂后欲召、恐其党不就、乃与蕭相国謀、詐令人従上所来、言豨已死矣、列侯羣臣皆賀。相国詐信曰、「雖病、強入賀。」信入、呂后使武士縛信、斬之長楽宮。〕
書き下し
是に於て上曰く「陳豨の将は誰ぞや」と。曰く「王黄・曼丘臣、皆な故の賈人なり」と。上曰く「吾、之を知れり」と。乃ち各々千金を以て黄・臣等を購う。其の黄・臣等の麾下、購賞を受け、皆な生け得たり。故を以て、陳豨の軍、遂に敗る。初め、韓信、漢の其の能を畏れ悪むを知る。陳豨と謀反す。高帝、自ら将いて豨を撃つ。信、疾と称して従行せず、中より起こらんと欲す。信の舎人、罪を得たり。信、之を囚え、舎人を殺さんと欲す。弟、信の反状を呂后に告ぐ。呂后、召さんと欲するも、其の党の就かざるを恐れ、乃ち蕭相国と謀り、詐りて人をして上の所より来たらしめ、豨已に死せりと言わしむ。列侯群臣、皆な賀す。相国、信を詐りて曰く「病むと雖も、強いて入りて賀せよ」と。信入る。呂后、武士をして信を縛らしめ、之を長楽宮に斬る。〉
現代語訳
そこで上は言った。「陳豨の将は誰か」。「王黄と曼丘臣で、どちらも元は商人です」。上は言った。「それなら分かった」。そこでそれぞれ千金をかけて王黄と曼丘臣を買った。その配下が懸賞を受けて、みな生け捕りにした。そのため陳豨の軍はついに敗れた。はじめ、韓信は漢が自分の能力を恐れ憎んでいると知っていた。陳豨と謀反を企てた。高帝が自ら陳豨を撃ちに行くと、韓信は病と称して従わず、内から起こそうとした。韓信の家臣が罪を犯した。韓信はこれを囚え、殺そうとした。その弟が韓信の謀反の様子を呂后に告げた。呂后は召そうとしたが、その一党が応じないのを恐れ、蕭相国と謀り、偽って人を上のところから来たように装わせ、陳豨はすでに死んだと言わせた。列侯や群臣はみな祝った。相国は韓信を騙して言った。「病でも、無理をしてでも入って祝いなさい」。韓信は入った。呂后は武士に韓信を縛らせ、長楽宮で斬った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図陳豨、代の相と為り、韓信・王黄等と反す。豨、自立して代王と為る。上、自ら往きて之を破る。〈高祖、趙・代の吏人の豨の為に詿誤せらるる者を赦す。趙の相、常山の守・尉を斬らんことを奏して曰く「常山の北の二十五城、豨反して、其の二十五城を亡う」と。上、問いて曰く「守・尉、反せしか」と。対えて曰く「反せず」と。上曰く「是れ力足らざるなり」と。之を赦し、復た以て守・尉と為す。上、既に邯鄲に至り、喜びて曰く「豨、南のかた漳水に拠らず、北のかた邯鄲を守らず。吾、其の能く為す無きを知るなり」と。周昌に問いて曰く「趙にも亦た壮士の今将と為す可き者有りや」と。対えて曰く「見に四人有り」と。上に謁す。謾罵して曰く「豎子、能く将と為らんや」と。各々之を千戸に封じて以て将と為す。左右諫めて曰く「従いて蜀漢に入り楚を伐つに、功未だ徧く行われず。今、此れ何の功ありてか封ずるか」と。上曰く「爾の知る所に非ざるなり。陳豨反し、邯鄲以北は皆な豨の有なり。吾、羽檄を以て天下の兵を徴すも、未だ至る者有らず。今は惟だ独り邯鄲中の兵のみ。吾、何ぞ四千戸を愛しみて此の四人を封じて以て趙の子弟の心を慰めざらんや」と。皆な曰く「善し」と。
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『長短経』詭順韓信初め斉王と為る時、蒯通、信に説きて天下を三分せしめんとするも、信聴かず。後に漢の其の能を畏るるを知り、乃ち陳豨と謀反す。事泄れ、呂太后計を以て之を禽にす。方に斬られんとして、曰く「吾、蒯通の計を聴かず、乃ち児女子の詐る所と為りしを悔ゆ。豈に天に非ずや」と。〔高祖自ら将いて、陳豨を鉅鹿に伐つ。信は疾と称して従わず、中より起たんと欲す。信の舎人、罪を信に得。信因りて之を殺さんと欲す。舎人の弟、変を上りて信の反せんと欲するの状を呂后に告ぐ。呂后召さんと欲するも、其の党の就かざるを恐れ、乃ち蕭相国と謀り、詐りて人をして上の所より来たらしめ、豨已に死を得たりと言わしむ。列侯群臣皆賀す。相国、信を詐りて曰く「病むと雖も、強いて入りて賀せよ」と。信入る。呂后、武士をして信を縛らしめ、之を斬るなり。〕
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『長短経』覇図楚王韓信の反するを告ぐる有り。陳平の計を用いて之を擒にし、廃して淮陰侯と為す。〈高帝、諸将に問う。将曰く「亟やかに兵を発して豎子に抗するのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問う。平曰く「人、上書して信の反するを言う。人に聞知する者有りや」と。曰く「未だ有らず」と。曰く「信、之を知るか」と。曰く「知らず」と。平曰く「陛下の精兵、孰れぞ楚と」と。上曰く「過ぐる能わず」と。平曰く「陛下の将、用兵に能く韓信に敵する者有りや」と。上曰く「及ぶ莫きなり」と。平曰く「今、兵は楚の精に如かず、将も又た及ばず。而るに兵を挙げて之を撃つは、是れ戦いを趣すなり。竊かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く「之を為すこと奈何」と。平曰く「古者、天子は巡狩して諸侯に会す。南方に雲夢有り。陛下、第だ偽りて雲夢に遊ぶと出で、諸侯を陳に会せよ。陳は楚の西界なり。信、天子の好を以て出遊すと聞かば、其の勢い必ず郊迎せん。謁して陛下、因りて之を擒にせん。此れ特だ一力士の事なり」と。
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『長短経』覇図漢、遂に楚と滎陽に相い距る。楚、漢王を囲む。陳平の計を用い、間もなく出づるを得たり。〈漢王、急に陳平に問う「策、安くに出でん」と。陳平曰く「彼の項王の骨鯁の臣、亜父・鍾離末の属は、数人に過ぎず。大王、能く数万金を出捐し、反間を行い、其の君臣を間て、以て其の心を疑わしめば、項王の人と為り、意忌にして讒を信ず。必ず内に相い誅せん。漢、因りて挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王乃ち四万斤の金を以て平に与え、其の為す所を恣にし、出入を問わず。平、既に多く金を以て反間を楚軍に縦つ。宣言すらく、諸将の鍾離末等は項王の将と為りて功多し、然れども終に地を裂きて封ぜらるる能わず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼし、其の地を分かちて王たらんと欲す、と。項王果たして疑う。
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『長短経』覇図信、之を聞き知り、大いに喜び、乃ち軍を進めて趙を撃ち、之を破る。趙の破るるや、韓信、軍中に令して広武君を殺す無からしめ、能く生け得る者有らば、千金を購わんとす。是に於て広武君を縛りて戯下に致す者有り。信乃ち其の縛を解き、師として之に事う。問いて曰く「僕、北のかた燕を攻め、南のかた斉を伐たんと欲す。何若くして功有らん」と。広武君、辞謝して曰く「臣聞く、敗軍の将は、与に勇を言う可からず、亡国の大夫は、与に存を図る可からず、と。今、臣は敗亡の虜なり。何ぞ以て大事に権るに足らんや」と。信曰く「僕聞く、百里奚は虞に居りて虞亡び、秦に在りて秦伯たり、と。虞に愚にして秦に智なるに非ず。聴くを用うると聴くを用いざるとなり。試みに成安君をして足下の計を聴かしめば、信の若き者も亦た擒と為らん。僕、心を委ねて計に帰す。願わくは足下、辞する勿かれ」と。
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史記 韓信盧綰列伝陳豨は、宛朐の人なり。高祖七年冬、韓王信反して匈奴に入るに及び、上平城に至りて還り、豨郎中を以て列侯に封ぜられ、趙の相国を以て趙・代の辺兵を将監し、辺兵皆焉に属す。豨常に告帰して趙を過ぐ。趙の相周昌、豨の賓客の之に随ふ者千余乗、邯鄲の官舍皆満つるを見る。豨の賓客を待つ所以は布衣の交にして、皆客の下に出づ。周昌乃ち入りて上に見えんことを求め、具に豨の賓客盛んなること甚だしく、兵を外に擅にすること数歳、変有るを恐るると言ふ。上乃ち人をして豨の客の代に居る者の諸の不法の事を覆案せしむるに、多く豨に連引す。豨恐れ、陰かに客をして王黃の所に通使せしむ。使をして豨を召さしむるに、豨病甚だしと称す。遂に王黃等と反し、自立して代王と為る。