長短経 / 運命
灾祥之應、無所疑焉。故堯湯水旱、天數也。〔議曰、夫隂静陽動、天迴地游、太一算周、成百六之厄、太歲數極、為一元之灾。必然之符、不可移也。故傳曰、「美惡周必復。」又曰、「天灾流行、國家代有。」言必定也。故曰天數。漢時公孫𢎞則不然、以為堯遭洪水、使禹治之、未聞禹之有水也。若湯之旱、則桀餘烈。桀紂行惡、受天之罰。禹湯積徳、以王天下。因此觀之、天無私親。順之和起、逆之害生。此天文、地理、人事之紀。觀公孫𢎞所言、以為徳感水旱、非天數也。一家之談、非為正論。〕
新字:災祥之応、無所疑焉。故堯湯水旱、天数也。〔議曰、夫陰静陽動、天迴地游、太一算周、成百六之厄、太歳数極、為一元之災。必然之符、不可移也。故伝曰、「美悪周必復。」又曰、「天災流行、国家代有。」言必定也。故曰天数。漢時公孫弘則不然、以為堯遭洪水、使禹治之、未聞禹之有水也。若湯之旱、則桀余烈。桀紂行悪、受天之罰。禹湯積徳、以王天下。因此観之、天無私親。順之和起、逆之害生。此天文、地理、人事之紀。観公孫弘所言、以為徳感水旱、非天数也。一家之談、非為正論。〕
書き下し
災祥の応は、疑う所無し。故に堯・湯の水旱は、天数なり。〔議に曰く、夫れ陰は静かに陽は動き、天は迴り地は游ぶ。太一の算周り、百六の厄を成し、太歳の数極まり、一元の災を為す。必然の符にして、移すべからざるなり。故に伝に曰く「美悪は周れば必ず復す」と。又た曰く「天災流行し、国家代わる代わる有り」と。必ず定まるを言うなり。故に天数と曰う。漢の時の公孫弘は則ち然らず。以為えらく、堯洪水に遭い、禹をして之を治めしむ、未だ禹の水有るを聞かず。湯の旱の若きは、則ち桀の余烈なり。桀・紂は悪を行いて、天の罰を受く。禹・湯は徳を積みて、以て天下に王たり。此に因りて之を観れば、天に私親無し。之に順えば和起こり、之に逆らえば害生ず。此れ天文・地理・人事の紀なり、と。公孫弘の言う所を観るに、以為えらく徳の水旱を感ぜしむ、天数に非ずと。一家の談にして、正論と為すに非ず。〕
現代語訳
災いと吉兆の応報には疑う余地がない。だから堯や湯王のときの洪水や干ばつは、天の定めた数である。〔論じて言う。陰は静かで陽は動き、天は巡り地は動く。太一の運行が一巡りすると百六の厄となり、木星の数が極まると一元の災いとなる。必然のしるしであって動かせない。だから『左伝』に「良いことも悪いことも一巡りすれば必ず戻る」とあり、また「天災は巡り行き、どの国にも代わる代わる起こる」とある。必ず定まっていることを言う。だから天数という。漢の公孫弘はそう考えなかった。堯が洪水に遭うと禹に治めさせたが、禹の時に水害があったとは聞かない。湯王の干ばつは桀の悪政の名残である。桀や紂は悪を行って天罰を受け、禹や湯は徳を積んで天下の王となった。これで見れば、天に私的な親しみはない。天に従えば和が起こり、逆らえば害が生じる。これが天文・地理・人事の筋道だ、と。公孫弘の言うことを見ると、徳が水害や干ばつを引き起こすのであって、天の定めではないと考えている。これは一家の説であって、正論ではない。〕
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公十六年 孔張、位を失う二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
-
『呻吟語』外篇・世運・氣化の罪に非ざるなり世界は一般に是れ唐虞の時の世界なり。黎民は一般に是れ唐虞の時の黎民なり。而るに治は古に若かず。氣化の罪に非ざるなり。
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
-
『呻吟語』内篇・談道・相責各盡の四字天下の治亂は、只だ「相責各盡」の四字に在るのみ。
-
史記 趙世家趙衰、重耳に従ひて出亡すること凡そ十九年、国に反ることを得たり。重耳晋の文公と為り、趙衰原の大夫と為り、原に居り、国政に任ず。文公の国に反り及び霸たる所以は、多く趙衰の計策なり。語は晋の事の中に在り。趙衰既に晋に反り、晋の妻固く翟の妻を迎へんことを要め、而して其の子盾を以て適嗣と為し、晋の妻の三子皆下りて之に事ふ。晋の襄公の六年にして趙衰卒し、諡して成季と為す。趙盾、成季に代はりて国政に任ずること二年にして晋の襄公卒す。太子夷皋年少し。盾、国の多難なるが為に、襄公の弟雍を立てんと欲す。雍時に秦に在り。使をして之を迎へしむ。太子の母日夜啼泣し、頓首して趙盾に謂ひて曰く、「先君何の罪かある。其の適子を釈きて更に君を求むるか」と。趙盾之を患へ、其の宗と大夫との襲ひて之を誅せんことを恐れ、乃ち遂に太子を立つ、是を霊公と為す。兵を発して襄公の弟を秦に迎ふる所の者を距ぐ。霊公既に立ち、趙盾益々国政を専らにす。霊公立ちて十四年、益々驕る。趙盾驟々諫むれども、霊公聴かず。熊蹯を食らふに及び、胹て熟せず、宰人を殺し、其の尸を持ちて出づ。趙盾之を見る。霊公此に由りて懼れ、盾を殺さんと欲す。盾素より仁にして人を愛す。嘗て食はせし所の桑下の餓人、反りて捍ぎて盾を救ふ。盾以て亡ぐるを得たり。未だ境を出でずして、趙穿霊公を弑して襄公の弟黒臀を立つ、是を成公と為す。趙盾復た反りて国政に任ず。君子盾を譏る、「正卿と為りて、亡げて境を出でず、反りて賊を討たず」と。故に太史書して曰く「趙盾其の君を弑す」と。晋の景公の時にして趙盾卒し、諡して宣孟と為す。子朔嗣ぐ。趙朔、晋の景公の三年、朔晋の将として下軍に将として鄭を救ひ、楚の荘王と河上に戦ふ。朔、晋の成公の姊を娶りて夫人と為す。晋の景公の三年、大夫屠岸賈、趙氏を誅せんと欲す。初め、趙盾在りし時、夢に叔帯の要を持ちて哭するを見る。甚だ悲し。已にして笑ひ、手を拊ちて且つ歌ふ。
-
史記 循吏列伝文公曰く、「子は則ち自ら以て罪有りと為す、寡人も亦罪有るか」と。李離曰く、「理に法有り、刑を失へば則ち刑し、死を失へば則ち死す。公臣の能く微を聴き疑はしきを決するを以て、故に理為らしむ。今過ちて聴きて人を殺す、罪死に当たる」と。遂に令を受けず、剣に伏して死す。太史公曰く、孫叔敖一言を出だして、郢の市復す。子産病みて死し、鄭の民号哭す。公儀子好布を見て家婦逐はる。石奢父を縦して死し、楚の昭名立つ。李離過ちて殺して剣に伏し、晋の文以て国法を正す。