長短経 / 釣情
殷浩仕晉、有盛名、時人觀其出處、以卜江左興亡、此情可以賢釣也。〔《呂氏春秋》曰、「夫國之将亡、有道者先去。」〕《鈐經》曰、「喜、色洒然以出、怒、色麃然以侮、欲、色熰然以愉、懼、色憚然以下、憂、色瞿然以静。」此情可以色釣也。〔《易》曰、「将叛者、其辭慙中心疑者、其辭枝。吉人之辭寡、躁人之辭多。誣善之人、其辭逰失其守者、其辭屈。」《周禮》五聽、一曰辭聽、辭不直則煩、二曰色聽、色不直則赧、三曰氣聽、氣不直則喘、四曰耳聽、耳不直則惑、五曰目聽、目不直則眊然。〕
新字:殷浩仕晋、有盛名、時人観其出処、以卜江左興亡、此情可以賢釣也。〔《呂氏春秋》曰、「夫国之将亡、有道者先去。」〕《鈐経》曰、「喜、色洒然以出、怒、色麃然以侮、欲、色熰然以愉、懼、色憚然以下、憂、色瞿然以静。」此情可以色釣也。〔《易》曰、「将叛者、其辞慚中心疑者、其辞枝。吉人之辞寡、躁人之辞多。誣善之人、其辞遊失其守者、其辞屈。」《周礼》五聴、一曰辞聴、辞不直則煩、二曰色聴、色不直則赧、三曰気聴、気不直則喘、四曰耳聴、耳不直則惑、五曰目聴、目不直則眊然。〕
書き下し
殷浩、晋に仕えて盛名有り。時人其の出処を観て、以て江左の興亡を卜す。此れ情は賢を以て釣るべきなり〔呂氏春秋に曰く「夫れ国の将に亡びんとするや、有道の者先ず去る」と〕。鈐経に曰く「喜べば、色は洒然として以て出で、怒れば、色は麃然として以て侮り、欲すれば、色は熰然として以て愉び、懼るれば、色は憚然として以て下り、憂うれば、色は瞿然として以て静かなり」と。此れ情は色を以て釣るべきなり〔易に曰く「将に叛かんとする者は、其の辞慙ず。中心疑う者は、其の辞枝る。吉人の辞は寡く、躁人の辞は多し。善を誣うるの人は、其の辞游ぶ。其の守りを失う者は、其の辞屈す」と。周礼の五聴。一に曰く辞聴、辞直からざれば則ち煩わし。二に曰く色聴、色直からざれば則ち赧らむ。三に曰く気聴、気直からざれば則ち喘ぐ。四に曰く耳聴、耳直からざれば則ち惑う。五に曰く目聴、目直からざれば則ち眊然たり〕。
現代語訳
殷浩は晋に仕えて大きな名声があった。当時の人々は、殷浩が出仕するか隠退するかを見て、江南の興亡を占った。これは、心を賢者によって釣ることができる例である〔『呂氏春秋』に「国が滅びようとするとき、道のある者が先に去る」とある〕。『鈐経』に言う。「喜べば顔色はさっぱりと明るく出て、怒れば顔色は荒々しく侮るようになり、欲すれば顔色はほてって楽しげになり、恐れれば顔色はおびえてへりくだり、憂えれば顔色は目を見張るようにして静かになる」。これは、心を顔色で釣ることができる例である〔『易』に言う。「背こうとする者は言葉に恥じる色があり、心に疑いのある者は言葉が枝分かれする。善い人の言葉は少なく、落ち着きのない人の言葉は多い。善人をそしる者は言葉がふらつき、守るべきものを失った者は言葉が詰まる」。『周礼』の五聴。一つ目は言葉を聞く、言葉がまっすぐでなければくどくなる。二つ目は顔色を見る、まっすぐでなければ赤らむ。三つ目は息を聞く、まっすぐでなければ喘ぐ。四つ目は聞き方を見る、まっすぐでなければ戸惑う。五つ目は目を見る、まっすぐでなければぼんやりする〕。
解説

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