長短経 / 三国権
魏嘉平中、孫權死、征南大將軍王昶、征東大將軍胡遵、鎮南將軍毋丘儉等、表征吳。朝廷以三征計異、詔訪尚書傅嘏。嘏對曰、「昔夫差勝齊陵晋、威行中國、不能以免姑蘇之禍、齊閔辟土兼國、開地千里、不足以救顛覆之敗。有始不必善終、古事之明效也。孫權自破蜀兼荆州之後、志盈欲滿、凶亢已極、相國宣、文王先識取亂侮亡之義、深逹宏圗大舉之䇿。今權已死、託孤於諸葛恪、若矯權苛暴、蠲其虐政、民免酷烈、偷安新恵、外内齊慮、有同舟之懼、雖不能終自保完、猶足以延期挺命於深江之外矣。
新字:魏嘉平中、孫権死、征南大将軍王昶、征東大将軍胡遵、鎮南将軍毋丘倹等、表征呉。朝廷以三征計異、詔訪尚書傅嘏。嘏対曰、「昔夫差勝斉陵晋、威行中国、不能以免姑蘇之禍、斉閔辟土兼国、開地千里、不足以救顛覆之敗。有始不必善終、古事之明効也。孫権自破蜀兼荆州之後、志盈欲満、凶亢已極、相国宣、文王先識取乱侮亡之義、深逹宏図大舉之策。今権已死、託孤於諸葛恪、若矯権苛暴、蠲其虐政、民免酷烈、偸安新恵、外内斉慮、有同舟之懼、雖不能終自保完、猶足以延期挺命於深江之外矣。
書き下し
魏の嘉平中、孫権死す。征南大将軍王昶・征東大将軍胡遵・鎮南将軍毌丘倹等、表して呉を征せんとす。朝廷、三征の計の異なるを以て、詔して尚書傅嘏に訪う。嘏対えて曰く「昔、夫差は斉に勝ち晋を陵ぎ、威は中国に行わるるも、以て姑蘇の禍を免るること能わず。斉閔は土を辟き国を兼ね、地を開くこと千里なるも、以て顛覆の敗を救うに足らず。始め有るは必ずしも善く終わらざること、古事の明効なり。孫権は蜀を破り荊州を兼ねしより後、志盈ち欲満ち、凶亢已に極まる。相国宣・文王は先ず乱を取り亡を侮るの義を識り、深く宏図大挙の策に達す。今、権已に死し、孤を諸葛恪に託す。若し権の苛暴を矯め、其の虐政を蠲き、民酷烈を免れ、新恵に偸安し、外内慮りを斉しくし、同舟の懼れ有らば、終に自ら保完すること能わずと雖も、猶お以て期を延べ命を深江の外に挺くするに足らん。
現代語訳
魏の嘉平年間、孫権が死んだ。征南大将軍王昶、征東大将軍胡遵、鎮南将軍毌丘倹らが上表して呉を征伐しようとした。朝廷は三人の計画が違うので、詔して尚書傅嘏に意見を問うた。傅嘏は答えた。「昔、呉王夫差は斉に勝ち晋をしのぎ、威は中原に及びましたが、姑蘇の禍を免れませんでした。斉の湣王は領土を広げ国を併せ、千里の地を開きましたが、転覆の敗北を救えませんでした。始めがあっても必ずしも終わりが良いとは限らないのは、昔の事例がはっきり示しています。孫権は蜀を破り荊州を併せてからは、志は満ち欲は満ち、凶暴さは極まっていました。相国の司馬懿・司馬昭は、乱れた国を取り滅びかけた国を侮るという義をまず知り、大きな計画による大挙の策に深く通じていました。いま孫権はすでに死に、幼い後継を諸葛恪に託しています。もし諸葛恪が孫権の苛酷さを改め、虐政を取り除けば、民はむごい政治を免れ、新しい恩恵にひとまず安んじ、内外が心を一つにして同じ舟に乗る恐れを抱くでしょう。そうなれば最後まで自分を保つことはできなくても、長江の向こうで国の命を延ばすには十分です。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』三国権昔、漢氏は歴世常に匈奴を患い、朝臣謀士、早く朝し晏く罷む。介冑の将は則ち征伐を陳べ、搢紳の徒は咸な和親を言い、勇奮の士は搏噬を展べんことを思う。故に樊噲は十万を以て匈奴に横行せんことを願い、季布は面りに其の短を折く。李信は二十万を以て独り楚人を挙げんことを求め、而して果たして秦軍を辱む。今、諸将に江陵の険を越え、独り虜庭に歩まんことを陳ぶる有るは、即ち亦た向時の類なり。陛下の聖徳、輔相の忠賢、法明らかに士練れたるを以て、計を全勝の地に措き、長策を振るいて以て之を御せば、虜の崩隤は必然の数なり。故に兵法に曰く『人の兵を屈するも戦うに非ず、人の城を抜くも攻むるに非ず』と。若し廟勝必然の理を釈きて、万一不全の略を行わば、誠に愚臣の慮る所なり。故に謂えらく、大佃して之に逼るの計、最も長ぜり」と。時に嘏の言に従わず、昶等に詔して呉を征せしむ。呉の将諸葛恪、之を距ぎ、大いに魏の軍を東関に敗る。魏は後に陵夷して晋に禅り、太祖位に即く。
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『長短経』三国権今、議する者、或いは舟を汎べて径ちに済り、江表に横行せんと欲し、或いは道を倍にして並び進み、其の城塁を攻めんと欲し、或いは大いに疆場に佃して釁を観て動かんと欲す。此の三者は皆賊を取るの常計なり。然れども之を施すこと機に当たれば則ち功成り、苟も節に応ぜずんば、必ず後患を貽さん。兵を治めしより已来、出入三載、掩襲の軍に非ざるなり。賊は元帥を喪い、利は退守に存す。若し船を津要に羅ね、城を堅くし野を清くせば、横行の計は、其れ殆ど捷ち難からん。賊の寇を為すこと幾ど六十年、君臣偽りて立ち、吉凶患いを同じくす。若し恪其の弊を蠲かば、天の疾を奪う。崩潰の応は、卒かに待つべからざるなり。今、賊は羅落を設け、又た重密を持し、間諜行われず、耳目聞く無し。夫れ軍に耳目無く、校察未だ詳らかならずして、大衆を挙げて以て巨険に臨むは、此れ希幸邀功と為し、先に戦いて後に勝ちを求むるなり。全軍の長策に非ざるなり。唯だ大佃のみ最も差や完牢にして、兵は民の表に出で、寇鈔も犯さず、坐して積穀を食い、運士を煩わさず。釁に乗じて討襲し、遠く労費すること無し。此れ軍の急務なり。
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『長短経』三国権呉は江に縁りて国を為し、内地有る無く、東西数千里、藩籬を以て自ら恃む。敵する所の者大にして、寧息有る無し。孫皓は情を恣にし意に任せ、下と与に忌むこと多し。名臣重将も、復た自ら信ぜず。是を以て孫秀の徒、皆逼らるるを畏れて至る。臣は朝に疑い、士は野に困しみ、保世の計、一定の心有る無し。平常の日にも猶お去就を懐く。兵臨むの際は、必ず応ずる者有らん。終に力を斉しくして死を致すこと能わざること、已に知るべきなり。其の俗は急速にして、久しきを持すること能わず。弓弩戟楯は中国に如かず。唯だ水戦のみ是れ其の便とする所なり。一たび其の地に入らば、則ち長江は復た固めとする所に非ず。還りて城池を保たば、則ち長を去りて短に入る。而して官軍懸かに進まば、人に節を致すの志有り。呉人は其の地に戦い、城に憑るの心有り。此くの如くんば、軍は時を逾えずして、克つこと必すべし」と。帝深く焉を納る。乃ち王濬等をして呉を滅ぼさしむ。天下、書は文を同じくし、車は軌を同じくす。
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『長短経』三国権王室靖んずと雖も、二方未だ賓せず。乃ち賈詡に問いて曰く「吾、命に従わざるを伐ちて、以て天下を一にせんと欲す。呉・蜀何れか先ならん」と。対えて曰く「攻取する者は兵権を先にし、本を建つる者は徳化を尚ぶ。陛下は期に応じて禅りを受け、率土に撫臨す。若し之を綏んずるに文徳を以てして、其の変を俟たば、則ち之を平らぐること難からず。呉・蜀は蕞爾たる小国なりと雖も、山水に依阻す。劉備は雄才有り、諸葛亮は善く国を治め、孫権は虚実を識り、陸遜は兵勢を見る。険に拠り要を守り、舟を江湖に汎べ、皆卒かに平らぎ難きなり。兵を用うるの道は、先ず勝ちて後に戦い、敵を量り将を論ず。故に挙げて遺策無し。臣竊かに料るに、群臣に権・備の対無し。天威を以て之に臨むと雖も、未だ万全の勢いを見ず。昔、舜は干戚を舞わして、有苗服す。臣以為えらく、当今は宜しく文を先にし武を後にすべし」と。文帝納れず。後に果たして功無し。
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『長短経』三国権権薨ずるに至り、皓位に即き、淫侈を窮極し、蒸人を割剥し、姦回を崇信し、諫輔を賊虐す。晋の世祖、杜預等をして呉を伐たしめ、之を滅ぼす。〔議に曰く、昔、魏の武侯、西河に浮かび、顧みて呉起に謂いて曰く「山河の固め、此れ魏国の宝なり」と。呉起対えて曰く「昔、三苗氏は洞庭を左にし彭蠡を右にするも、徳義修まらず、禹之を滅ぼす。夏桀の君は、河済を左にし太華を右にし、伊闕其の南に在り、羊腸其の北に在るも、仁政修まらず、湯之を放つ。此に由りて之を観れば、徳に在りて険に在らず」と。今、孫皓は父祖の資に席り、天阻の固め有り。西は巫峡を距て、東は滄海を負い、長江其の区宇を判ち、峻山其の封域を帯ぶ。地は方幾万里、戟を荷う者将に百万ならんとす。而して一朝甲を棄て、人に面縛す。則ち徳に在るの言は、不刊の典と為すか。
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『長短経』三国権世祖の時に至りて〔即ち晋の武帝〕、羊祜、平呉の表を上りて曰く「先帝は天に順い時に応じ、西は巴蜀を平らげ、南は呉会と和し、海内以て休息するを得、兆庶楽安の心有り。而るに呉は復た信に背き、辺事をして更に興らしむ。夫れ期運は天の授くる所なりと雖も、功業は必ず人に由りて成る。一たび大挙して掃滅せずんば、則ち衆役時として安んずるを得ること無し。亦た先帝の勲を隆くし、無為の化を成す所以なり。故に堯に丹水の伐有り、舜に有苗の征有り。咸な以て宇宙を寧静にし、兵を戢め衆を和する者なり。蜀平らぐの後、天下皆呉は当に并せて亡ぶべしと謂う。此より来たること十三年、是れ一周と謂う。平定の期、復た今日に在り。議する者常に言う、呉楚は道有れば後に服し、礼無ければ先に強し、と。此れ乃ち諸侯の時のみ。当今は一統なり。古と同じく論ずるを得ず。夫れ道に適うの論は、皆未だ権に応ぜず。是の故に之を謀ること多しと雖も、之を決するは独りならんことを欲す。凡そ険阻を以て存するを得る者は、敵する所の者力を同じくして自ら固むるに足るを謂う。苟も其の軽重斉しからず、強弱勢いを異にせば、則ち智士も謀ること能わず、而して険阻も保つべからざるなり。