長短経 / 三国権
昔漢氏歴世常患匈奴、朝臣謀士、早朝晏罷、介胄之將、則陳征伐、搢紳之徒、咸言和親、勇奮之士、思展搏噬。故樊噲願以十萬横行匈奴、季布面折其短、李信求以二十萬獨舉楚人、而果辱秦軍。今諸將有陳越江陵險、獨歩虜庭、即亦向時之類也。以陛下聖徳、輔相忠賢法明士練、措計於全勝之地、振長䇿以御之、虜之崩隤必然之數。故兵法曰、『屈人之兵而非戰也、㧞人之城而非攻也。』若釋廟勝必然之理、而行萬一不全之畧、誠愚臣之所慮也。故謂大佃而逼之計最長。」時不從嘏言、詔昶等征吳。吴將諸葛恪距之、大敗魏軍於東關。魏後陵夷禪晋、太祖即位。
新字:昔漢氏歴世常患匈奴、朝臣謀士、早朝晏罷、介胄之将、則陳征伐、搢紳之徒、咸言和親、勇奮之士、思展搏噬。故樊噲願以十万横行匈奴、季布面折其短、李信求以二十万独舉楚人、而果辱秦軍。今諸将有陳越江陵険、独歩虜庭、即亦向時之類也。以陛下聖徳、輔相忠賢法明士練、措計於全勝之地、振長策以御之、虜之崩隤必然之数。故兵法曰、『屈人之兵而非戦也、抜人之城而非攻也。』若釈廟勝必然之理、而行万一不全之略、誠愚臣之所慮也。故謂大佃而逼之計最長。」時不従嘏言、詔昶等征呉。呉将諸葛恪距之、大敗魏軍於東関。魏後陵夷禅晋、太祖即位。
書き下し
昔、漢氏は歴世常に匈奴を患い、朝臣謀士、早く朝し晏く罷む。介冑の将は則ち征伐を陳べ、搢紳の徒は咸な和親を言い、勇奮の士は搏噬を展べんことを思う。故に樊噲は十万を以て匈奴に横行せんことを願い、季布は面りに其の短を折く。李信は二十万を以て独り楚人を挙げんことを求め、而して果たして秦軍を辱む。今、諸将に江陵の険を越え、独り虜庭に歩まんことを陳ぶる有るは、即ち亦た向時の類なり。陛下の聖徳、輔相の忠賢、法明らかに士練れたるを以て、計を全勝の地に措き、長策を振るいて以て之を御せば、虜の崩隤は必然の数なり。故に兵法に曰く『人の兵を屈するも戦うに非ず、人の城を抜くも攻むるに非ず』と。若し廟勝必然の理を釈きて、万一不全の略を行わば、誠に愚臣の慮る所なり。故に謂えらく、大佃して之に逼るの計、最も長ぜり」と。時に嘏の言に従わず、昶等に詔して呉を征せしむ。呉の将諸葛恪、之を距ぎ、大いに魏の軍を東関に敗る。魏は後に陵夷して晋に禅り、太祖位に即く。
現代語訳
昔、漢は代々いつも匈奴に悩まされ、朝臣や謀士は朝早くから夜遅くまで議論しました。鎧を着た将は征伐を唱え、官服の文臣は皆和親を唱え、勇ましい者は噛みつくように戦いたがりました。だから樊噲が十万の兵で匈奴を横行したいと願うと、季布が面と向かってその欠点をくじきました。李信は二十万で楚を一挙に取りたいと求め、果たして秦軍に恥をかかせました。いま諸将の中に、江陵の険を越えて単独で敵の本拠に踏み込みたいと言う者がいるのは、まさにこの類です。陛下の聖なる徳、補佐の臣の忠と賢、法の明らかさと兵の練度をもってすれば、計画を必ず勝つ地に置き、長い策で制すれば、敵が崩れるのは必然の成り行きです。だから兵法に『人の兵を屈服させるのは戦いによらず、人の城を落とすのは攻めによらない』とあります。もし朝廷の計算で必ず勝つ道理を捨てて、万に一つも完全でない策を行うなら、それこそ私が心配するところです。だから大規模に屯田して迫る計が最もすぐれていると申し上げるのです」。このとき傅嘏の意見は採られず、王昶らに詔して呉を征伐させた。呉の将諸葛恪がこれを防ぎ、東関で魏の軍を大いに破った。魏はのちに衰えて晋に禅譲し、太祖司馬炎が即位した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』三国権今、議する者、或いは舟を汎べて径ちに済り、江表に横行せんと欲し、或いは道を倍にして並び進み、其の城塁を攻めんと欲し、或いは大いに疆場に佃して釁を観て動かんと欲す。此の三者は皆賊を取るの常計なり。然れども之を施すこと機に当たれば則ち功成り、苟も節に応ぜずんば、必ず後患を貽さん。兵を治めしより已来、出入三載、掩襲の軍に非ざるなり。賊は元帥を喪い、利は退守に存す。若し船を津要に羅ね、城を堅くし野を清くせば、横行の計は、其れ殆ど捷ち難からん。賊の寇を為すこと幾ど六十年、君臣偽りて立ち、吉凶患いを同じくす。若し恪其の弊を蠲かば、天の疾を奪う。崩潰の応は、卒かに待つべからざるなり。今、賊は羅落を設け、又た重密を持し、間諜行われず、耳目聞く無し。夫れ軍に耳目無く、校察未だ詳らかならずして、大衆を挙げて以て巨険に臨むは、此れ希幸邀功と為し、先に戦いて後に勝ちを求むるなり。全軍の長策に非ざるなり。唯だ大佃のみ最も差や完牢にして、兵は民の表に出で、寇鈔も犯さず、坐して積穀を食い、運士を煩わさず。釁に乗じて討襲し、遠く労費すること無し。此れ軍の急務なり。
-
『長短経』三国権魏の嘉平中、孫権死す。征南大将軍王昶・征東大将軍胡遵・鎮南将軍毌丘倹等、表して呉を征せんとす。朝廷、三征の計の異なるを以て、詔して尚書傅嘏に訪う。嘏対えて曰く「昔、夫差は斉に勝ち晋を陵ぎ、威は中国に行わるるも、以て姑蘇の禍を免るること能わず。斉閔は土を辟き国を兼ね、地を開くこと千里なるも、以て顛覆の敗を救うに足らず。始め有るは必ずしも善く終わらざること、古事の明効なり。孫権は蜀を破り荊州を兼ねしより後、志盈ち欲満ち、凶亢已に極まる。相国宣・文王は先ず乱を取り亡を侮るの義を識り、深く宏図大挙の策に達す。今、権已に死し、孤を諸葛恪に託す。若し権の苛暴を矯め、其の虐政を蠲き、民酷烈を免れ、新恵に偸安し、外内慮りを斉しくし、同舟の懼れ有らば、終に自ら保完すること能わずと雖も、猶お以て期を延べ命を深江の外に挺くするに足らん。
-
『長短経』三国権曩に樊・酈・絳・灌をして数十城に拠りて王たらしめば、今は以て残亡すと雖も可なり。信・越の倫をして、列して徹侯と為りて居らしめば、今に至るまで存すと雖も可なり。然らば則ち天下の大計も亦た知るべきのみ。諸侯の皆忠附せんことを欲せば、則ち長沙王の如くならしむるに若くは莫く、臣子の葅醢せられざらんことを欲せば、則ち樊・酈等の如くならしむるに若くは莫く、天下の治安を欲せば、則ち衆く諸侯を建てて其の力を少なくするに若くは莫し」と。此を以て之を観れば、専城に令する者は、皆提封千里にして、人民有り、特に百里の資に非ざるなり。官は才を以て肺附に属し、特に母親の疏きに非ざるなり。呉は江湖に拠り、蜀は天険を阻む。特に山海の利に非ざるなり。州に跨り郡を連ね、形束壌制す。特に偶国の害に非ざるなり。若し万世の変に遭い、七子の禍有らば、則ち諱むべからず。有国者、察せざるべからず。〔魏の明帝、黄権に問いて曰く「今、三国鼎峙す。何れの方か正と為す」と。対えて曰く「当に天文を以て之を正すべし。往年、熒惑、心を守りて、文帝崩ず。呉・蜀二国の主は事無し。是に由りて之を観れば、魏正統なり」と。〕
-
『長短経』三国権蜀の地は険しからざるに非ず。高山は雲霓を尋ね、深谷は無景を肆にし、馬を束ね車を懸けて、然る後に能く済る。皆一夫戟を荷えば千人も当たる莫しと言う。兵を進むるの日に及びて、曽て藩籬の限り無く、将を斬り旗を搴り、伏屍数万、勝ちに乗じて席巻し、径ちに成都に至る。漢中の諸城、皆鳥のごとく棲みて敢えて出でず。皆戦う心無きに非ず、誠に力相抗するに足らざればなり。劉禅降服するに至り、諸々の営堡の者、索然として俱に散ず。今、江淮の難は剣閣に過ぎず、山川の険は岷漢に過ぎず。孫皓の暴は劉禅より侈に、呉越の困は巴蜀より甚だし。而して大晋の兵衆は前世より多く、資儲器械は往時より盛んなり。今、此に於て呉を平らげずして、更に兵を阻みて相守らば、征夫は苦役し、日に干戈を尋ね、盛衰を経歴し、長久なるべからず。宜しく時に当たりて定め、以て四海を一にすべし。今、若し梁・益の兵を引きて、水陸俱に下り、荊楚の衆は進みて江陵に臨み、平南・豫州は直ちに夏口を指し、徐・揚・青・兗は並びに秣陵に向かい、鼓旆して以て之を疑わしめ、多方にして以て之を誤らしめば、一隅の呉を以て、天下の衆に当たり、勢い分かれ形散じ、備うる所皆急ならん。巴・漢の奇兵、其の空虚に出で、一処傾壊すれば則ち上下震蕩せん。
-
『長短経』三国権夫れ屯塁相逼れば、巧拙用を得。之を策りて得失の計を知り、之を角べて有余不足の処を知る。情偽将に焉くにか逃れん。夫れ小を以て大に敵すれば、則ち役煩わしく力竭き、貧を以て富に敵すれば、則ち斂重くして財匱し。故に敵佚なれば能く之を労し、飽けば能く之を饑えしむとは、此の謂いなり。然る後に衆を盛んにし兵を厲まして以て之を振るい、恵を参え賞を倍にして以て之を招き、多方広似して以て之を疑わしむ。不虞の道に由りて、以て其の戒めざるを間す。三年に比及して、左提右挈せば、虜は必ず氷散瓦解せん。安んじて其の弊を受くること、坐して算えて得べきなり。
-
『長短経』三国権晋の永嘉中に至り、中原喪乱し、晋の元帝復た江を渡りて、江南に王たり。宋・斉・梁・陳、皆焉に都す〔事は覇紀の上に在り〕。此れ呉国の形なり。〈魏〉古者、天子は守り四夷に在り。天子卑弱なれば、守りは諸侯に在り。漢の季に当たりて、姦臣朝を擅にし、九有澄まず、四郊に塁多し。復た諸侯位を釈きて、以て王政を間すと雖も、然れども皆禍心を包蔵し、各々非冀を図る。魏の太祖は略世に出でず、霊武時に冠たり。炎精幽昧の期に値い、風塵無妄の世に逢い、目を瞋らせ胆を張りて、首めて義旗を建つ。時に韓暹・楊奉、献帝を挟みて河東より洛陽に還る。