長短経 / 君徳
又曰、「桓敬道有文武奇才、志雪餘恥、校動離亂之中、奄有天下而不血刃、既而嘯命六合、規模進取、未及踰年、坐盜社稷、自以名髙漢祖、事㨗魏晉、思專其侈、以冀恭已若王謐、桓謙以人望鎮領、袖王綏、謝混以後進相光輝、羣從兄弟、方州連郡、民駭其速而服其强、無異望矣。
新字:又曰、「桓敬道有文武奇才、志雪余恥、校動離乱之中、奄有天下而不血刃、既而嘯命六合、規模進取、未及踰年、坐盗社稷、自以名高漢祖、事捷魏晋、思専其侈、以冀恭已若王謐、桓謙以人望鎮領、袖王綏、謝混以後進相光輝、羣従兄弟、方州連郡、民駭其速而服其強、無異望矣。
書き下し
又た曰く「桓敬道は文武の奇才有り、志は余恥を雪がんとす。動乱の中に校し、奄かに天下を有ちて刃に血ぬらず。既にして六合に嘯命し、規模進取す。未だ年を踰ゆるに及ばずして、坐して社稷を盗む。自ら以て名は漢祖より高く、事は魏晋より捷しとす。思うに其の侈を専らにし、以て己を恭しくするを冀う。王謐・桓謙の若きを以て人望に鎮領せしめ、王綏・謝混を袖にして後進を以て相い光輝す。群従の兄弟、方州連郡たり。民は其の速きに駭きて其の強きに服し、異望無かりき。
現代語訳
またこうある。「桓玄は文武の奇才があり、志は残された恥をすすごうとしていた。動乱のなかで力をはかり、たちまち天下を手に入れて刃を血で汚さなかった。そして天下に号令し、進んで取ることを構想した。一年とたたないうちに、座ったまま国家を盗んだ。自分では名は漢の高祖より高く、事は魏や晋より早いと思っていた。思うにその奢りを思うままにし、腕を組んでいるだけで済ませたいと願った。王謐や桓謙のような者を人望のある地位に据え、王綏や謝混を懐に入れて新進の者として輝かせた。一族の兄弟が各地の州や郡を領した。民はその速さに驚いてその強さに服し、異心を抱く者はなかった。
解説

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