長短経 / 懼戒
孔子在衛、聞齊田常將欲為亂〔専齊國、有無君之心。、〕而憚鮑、晏〔鮑氏、晏氏、齊之世卿大夫。、〕因移其兵以伐魯〔初、田常相齊、選國中女長七尺者三百人、以為後宫、賓客、舍人出入皆不禁。田常後有七十餘男、因此以盗齊國也。〕
新字:孔子在衛、聞斉田常将欲為乱〔専斉国、有無君之心。、〕而憚鮑、晏〔鮑氏、晏氏、斉之世卿大夫。、〕因移其兵以伐魯〔初、田常相斉、選国中女長七尺者三百人、以為後宮、賓客、舎人出入皆不禁。田常後有七十余男、因此以盗斉国也。〕
書き下し
孔子衛に在り、斉の田常将に乱を為さんと欲して〔斉国を専らにし、君を無みするの心有り〕、鮑・晏を憚り〔鮑氏・晏氏は斉の世卿大夫なり〕、因りて其の兵を移して以て魯を伐たんとすと聞く〔初め、田常斉に相たり。国中の女の長七尺なる者三百人を選びて、以て後宮と為し、賓客・舎人の出入を皆禁ぜず。田常後に七十余男有り。此に因りて以て斉国を盗むなり〕。
現代語訳
孔子が衛にいたとき、斉の田常が乱を起こそうとして〔斉の国を独占し、君主をないがしろにする心があった〕、鮑氏・晏氏をはばかり〔鮑氏・晏氏は斉の代々の卿大夫〕、そのため兵を移して魯を伐とうとしていると聞いた〔はじめ田常は斉の宰相となると、国中から背丈七尺の女を三百人選んで後宮とし、客や食客の出入りを一切禁じなかった。田常にはのちに七十人余りの男子ができ、これによって斉の国を盗んだ〕。
解説
田常は斉を乗っ取ろうとしながら、国内の有力な鮑氏と晏氏が邪魔でした。そこで兵を外に向け、魯を攻めようとする。国内の対立を外の戦争でそらす、昔からある手法です。注には、田常が後宮に女性を集めて七十人余りの男子を得、一族を増やして国を盗んだという話まで添えられています。権力の奪取は、正面の争いだけでなく、時間をかけて人の数と外の敵を使って進められるのです。
この章句が説くこと
懼戒田常簒奪外敵魯陽動
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