長短経 / 適変
臯陶喑而為大理、天下無虐刑、師曠瞽而為太宰、晉國無亂政。〔莊子曰、「天地有大美而不言、四時有明法而不議、萬物有成理而不説。聖人無為、大聖不作、觀于天地之謂也。」〕不言之令、不視之見、聖人所以為師。此黄老之術也。
新字:皋陶喑而為大理、天下無虐刑、師曠瞽而為太宰、晋国無乱政。〔荘子曰、「天地有大美而不言、四時有明法而不議、万物有成理而不説。聖人無為、大聖不作、観于天地之謂也。」〕不言之令、不視之見、聖人所以為師。此黄老之術也。
書き下し
皋陶は喑にして大理と為り、天下に虐刑無し。師曠は瞽にして太宰と為り、晋国に乱政無し。〈荘子曰く「天地に大美有れども言わず、四時に明法有れども議せず、万物に成理有れども説かず。聖人は無為、大聖は作さず、天地に観るを之れ謂うなり」と。〉言わざるの令、視ざるの見は、聖人の師と為す所以なり。此れ黄老の術なり。
現代語訳
皋陶は口がきけなかったが司法長官となり、天下に苛酷な刑罰はなかった。師曠は目が見えなかったが宰相となり、晋の国に乱れた政治はなかった。〈荘子はこう言った。「天地には大きな美があるが言葉にせず、四季にはきまりがあるが議論せず、万物には成り立ちの理があるが説明しない。聖人は無為であり、大聖は作為しない。天地に学ぶとはこのことである」。〉言葉によらない命令、目によらない洞察。これが聖人の手本とするところである。これが黄老の術である。
解説
口のきけない者が司法を預かり、目の見えない者が宰相を務めた。しかも刑は苛酷にならず、政治は乱れなかった。言葉と視覚という、統治者に不可欠とされるものを欠いた二人の例です。言わざるの令、視ざるの見。何が起きているかを言葉で報告させ、自分の目で確かめる統治とは別の道がある、という主張が、二つの実例で支えられています。
この章句が説くこと
適変黄老皋陶師曠無為荘子
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