長短経 / 七雄略
說趙肅侯曰、「臣竊為君計、莫若安民無事、且無庸有事民為也。安民之本、在於擇交、擇交而得、則民安、擇交而不得、則民終身不安。請言外患、齊秦為兩敵、而民不得安。倚秦攻齊、而民不得安。倚齊攻秦、而民不得安。君誠能聽臣、燕必致氈裘狗馬之地、齊必致魚鹽之海、楚必致橘柚之園、韓、魏、中山皆可使致湯沐之奉、而貴戚父兄皆可受封侯。夫割地包利、五伯之所以覆軍擒將而求也、封侯貴戚、湯武所以放弑而爭也。今君高拱而兩有之、此臣之所為君願也。
新字:説趙粛侯曰、「臣窃為君計、莫若安民無事、且無庸有事民為也。安民之本、在於択交、択交而得、則民安、択交而不得、則民終身不安。請言外患、斉秦為両敵、而民不得安。倚秦攻斉、而民不得安。倚斉攻秦、而民不得安。君誠能聴臣、燕必致氈裘狗馬之地、斉必致魚塩之海、楚必致橘柚之園、韓、魏、中山皆可使致湯沐之奉、而貴戚父兄皆可受封侯。夫割地包利、五伯之所以覆軍擒将而求也、封侯貴戚、湯武所以放弑而争也。今君高拱而両有之、此臣之所為君願也。
書き下し
趙の粛侯に説きて曰く「臣、竊かに君の為に計るに、民を安んじて事無きに若くは莫し。且つ庸ぞ事有りて民を為すことを用いん。民を安んずるの本は、交わりを択ぶに在り。交わりを択びて得れば、則ち民安し。交わりを択びて得ざれば、則ち民は終身安からず。請う、外患を言わん。斉・秦、両敵と為りて、民、安きを得ず。秦に倚りて斉を攻むるも、民、安きを得ず。斉に倚りて秦を攻むるも、民、安きを得ず。君、誠に能く臣に聴かば、燕は必ず氈裘狗馬の地を致し、斉は必ず魚塩の海を致し、楚は必ず橘柚の園を致し、韓・魏・中山は皆な湯沐の奉を致さしむ可し。而して貴戚父兄は皆な封侯を受く可し。夫れ地を割き利を包むは、五伯の軍を覆し将を擒にして求めし所なり。侯に封じ貴戚たるは、湯武の放弑して争いし所なり。今、君は高く拱きて両つながら之を有つ。此れ臣の君の為に願う所なり。
現代語訳
趙の粛侯に説いた。「私がひそかに君のために計るに、民を安んじて事がないようにするに越したことはない。事を起こして民を使う必要がどこにありましょう。民を安んじる根本は、交わる相手を選ぶことにあります。交わりを選んで正しければ民は安らか、選び誤れば民は生涯安らかでない。外の患いについて申し上げます。斉と秦の二つを敵に回せば民は安らかでない。秦に頼って斉を攻めても民は安らかでない。斉に頼って秦を攻めても民は安らかでない。君が私の言うことを聞けば、燕は必ず毛皮と犬馬の地を差し出し、斉は必ず魚と塩の海を差し出し、楚は必ず橘と柚の園を差し出し、韓・魏・中山はみな湯浴みの費えを献じるでしょう。そして君の親族はみな諸侯に封じられる。土地を割いて利を包むのは、五覇が軍を覆し将を捕らえて求めたものです。諸侯に封じられ親族が貴くなるのは、湯王と武王が追放や弑逆をして争ったものです。いま君は腕を組んだまま両方を得られる。これが私が君のために願うところです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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『学問のすゝめ』初編・国の分限を知らずしかるを支那人などのごとく、わが国よりほかに国なきごとく、外国の人を見ればひとくちに夷狄夷狄と唱え、四足にてあるく畜類のようにこれを賤しめこれを嫌い、自国の力をも計らずしてみだりに外国人を追い払わんとし、かえってその夷狄に窘しめらるるなどの始末は、実に国の分限を知らず、一人の身の上にて言えば天然の自由を達せずしてわがまま放蕩に陥る者と言うべし。王制ひとたび新たなりしより以来、わが日本の政風大いに改まり、外は万国の公法をもって外国に交わり、内は人民に自由独立の趣旨を示し、すでに平民へ苗字・乗馬を許せしがごときは開闢以来の一美事、士農工商四民の位を一様にするの基ここに定まりたりと言うべきなり。
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孫子・謀攻篇故に上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。
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説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
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孔子家語・辯物呉王夫差、将に哀公と与に晋侯に見えんとす。子服景伯、使者に対えて曰わく、「王諸侯を合すれば、則ち伯侯牧を率いて以て王に見う。伯諸侯を合すれば、則ち侯子男を率いて以て伯に見う。今諸侯会するに、君と寡君と晋君に見えば、則ち晋成りて伯と為らん。且つ執事伯を以て諸侯を召し、而して侯を以て之れを終うれば、何の利か之れ有らん。」呉人乃ち止む。既にして之れを悔い、遂に景伯を囚う。伯、大宰嚭に謂いて曰わく、「魯将に十月上辛を以て、上帝に事有らんとす、先王季辛にして畢わる。何ぞや、世に職有り、襄より已来之れを改む。若し其れ会せずんば、則ち祝宗将に曰わん、呉実に然りと。」嚭夫差に言い、之れを帰す。子貢之れを聞き、孔子に見えて曰わく、「子服氏の子、説くに拙し。実を以て囚を獲、詐を以て免るるを得たり。」孔子曰わく、「呉子は夷為り、徳は欺く可くして実を以てす可からず。是れ聴く者の蔽いにして、説く者の拙きに非ざるなり。」