長短経 / 覇図
壬午、帝鎮石頭、命衆軍圍六門、衛尉張稷斬東昏、以黄油裏首送軍〔帝命吕僧珍勒兵封府庫。及圖籍収潘妃、誅之。以宫女二千人分賚將士也。〕平京邑、齊和帝以位禪梁。帝即位。齊司徒侯景以十三州内屬。侯景反。至京師、幽帝而崩〔天監中、釋寳誌為詩曰、「昔年三十八、今年八十三、四中復有四、城北火酣酣。」帝封記之。帝三十八剋建業、八十三遇火災。元年四月十四日同泰寺火災。皆如其言、此之謂也。〕
新字:壬午、帝鎮石頭、命衆軍囲六門、衛尉張稷斬東昏、以黄油裏首送軍〔帝命呂僧珍勒兵封府庫。及図籍収潘妃、誅之。以宮女二千人分賚将士也。〕平京邑、斉和帝以位禅梁。帝即位。斉司徒侯景以十三州内属。侯景反。至京師、幽帝而崩〔天監中、釈宝誌為詩曰、「昔年三十八、今年八十三、四中復有四、城北火酣酣。」帝封記之。帝三十八剋建業、八十三遇火災。元年四月十四日同泰寺火災。皆如其言、此之謂也。〕
書き下し
壬午、帝、石頭に鎮し、衆軍に命じて六門を囲ましむ。衛尉張稷、東昏を斬り、黄油もて首を裏みて軍に送る。〈帝、呂僧珍に命じて兵を勒して府庫を封ぜしむ。及び図籍もて潘妃を収め、之を誅す。宮女二千人を以て分かちて将士に賚うなり。〉京邑を平らげ、斉の和帝、位を以て梁に禅る。帝、即位す。斉の司徒侯景、十三州を以て内属す。侯景、反す。京師に至り、帝を幽して崩ず。〈天監中、釈宝誌、詩を為りて曰く「昔年三十八、今年八十三、四中復た四有り、城北の火酣酣たり」と。帝、封じて之を記す。帝、三十八にして建業に克ち、八十三にして火災に遇う。元年四月十四日、同泰寺の火災なり。皆な其の言の如し。此れ之を謂うなり。〉
現代語訳
壬午、蕭衍は石頭に陣し、諸軍に六つの門を囲ませた。衛尉の張稷が東昏侯を斬り、黄色い油紙で首を包んで軍に送った。〈蕭衍は呂僧珍に命じて兵を整え、倉庫を封じさせた。また名簿によって潘妃を捕らえ、誅した。宮女二千人を分けて将兵に与えた。〉都を平らげ、斉の和帝が位を梁に禅った。蕭衍は即位した。斉の司徒侯景が十三州を持って帰属した。侯景が反した。都に至り、帝を幽閉して崩じさせた。〈天監年間、僧の宝誌が詩を作って言った。「昔年三十八、今年八十三、四の中にまた四あり、城北の火が盛んに燃える」。帝は封をして記録した。帝は三十八で建業を落とし、八十三で火災に遭った。元年四月十四日、同泰寺の火災である。みなその言葉のとおりであった。〉
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図景を平らげ、湘東王、江陵に於て即位す。〈是を孝元皇帝と為す。武帝の第七子なり。〉魏、万紐于謹をして来たり攻めしむ。梁王蕭詧、衆を率いて之に会す。帝、執えられ、魏人、帝を戕う。〈初め、武陵の平らぐや、議する者、其の舟艦に因りて都を建鄴に遷さんと欲す。宗懍・黄羅漢は皆な楚人なり。移るを願わず。曰く「建鄴の王気は已に尽く。渚宮の洲は已に百に満つ」と。是に於て乃ち留まる。尋いで歳星は井に在り、熒惑は心を守る。帝、之を観て、慨然として朝臣に謂いて曰く「吾、玄象を観るに、将に恐らくは賦有らん。但だ吉凶は吾に在り、運数は天に由る。之を避けて何の益あらん」と。
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『長短経』覇図尋いで魏軍の逼る所と為り、城陥りて執えらる。土嚢を進めて之を殞す。古老相い伝えて云う「洲、百に満つれば、荊州に天子出づ」と。桓玄、荊州刺史と為り、内に逆意を懐く。乃ち遣わして一洲を鑿破し、以て百数に応ず。随いて崩破し、竟に成す所無し。宋の文帝、宜都王と為り、藩に在るに、一洲自ら立つ。俄かにして文帝、統を纂ぐ。太清の末、枝江揚誾浦に一洲を生ず。明年にして、梁の元帝立つ。承聖の末、其の洲、大岸と通ずるなり。〉江陵既に陥り、王僧弁・陳霸先等、議して帝の子方智を立つ。〈是を敬皇帝と為す。元帝の第九子なり。〉江州に於て奉迎して建業に至り、即位す。位を陳に禅る。
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『長短経』覇図侯景、武帝の太子綱を立てて帝と為す。又た景の殺す所と為る。〈追尊して太宗簡文皇帝と為すなり。〉湘東王繹、荊州に於て、王僧弁等をして侯景を平らげしめ、首を江陵に伝う。〈僧弁等、進むを勧めて曰く、軍衆、今月戊子を以て建康に総集し、武旅を分勒し、百道同に趨く。轟然として大いに潰え、群凶四つながら滅ぶ。伏して惟うに陛下、痛を咀み哀を茹らい、憤を嬰き酷を忍ぶ。紫庭絳闕より、胡塵四つながら起こり、掖垣好畤、冀馬雲のごとし。豺狼路に当たること、一人に止まらず。鯨鯢梟せられざること、五載を経たり。天威既に振るい、冤恥並びに雪ぐ。百司岳牧、仰ぎて宸鑒を祈る。咸な錫珪の功を以て、既に有道に帰す。当璧の礼、允に聖明に属す。而るに優詔謙冲にして、杳然として凝邈たり。飛龍躋る可くして、乾の爻は四に在り。帝閽云に叫びて、閶閤未だ開かず。謳歌再び馳せ、是を用て首を翹ぐ。豈に久しく群議に稽り、彝則を曠しくする有る可けんや」と。〉
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『長短経』覇図仁寿四年に至り、洛陽に終わる。〈先に是れ、蔣山の衆鳥、翼を鼓し膺を撫して曰く「奈何ぞ帝、奈何ぞ帝」と。後主の東宮に在る時、鳥有り一足にして、其の殿庭に集まり、觜を以て地を画して文を成す。曰く「独足、高台に上る。盛草、化して灰と為る。吾が家の処を知らんと欲せば、朱関、当に水に開くべし」と。解する者以為えらく、独足は後主の独り行きて衆無きを言い、盛草は荒穢を言う。隋は火運を承く。火を得て灰と為る。京師に至るに及び、都水台に家す。所謂高台、水に当たるなり。会稽の人史溥有り。曽て朱衣を着けたる人、武冠して天より下るを夢む。手を以て金牌を執る。溥、往きて看るに、上の文に曰く「陳氏五主、三十四年」と。陳亡ぶ。果たして夢の如し。梁末の童謡に曰く「憐れむ可し巴馬の子、一日に千里を行く。馬上の郎を見ずして、但だ黄塵の起こるを見る。黄塵、人の衣を汚す。皂莢、相い料理す」と。僧弁滅び、群臣、謡言を以て奏す。言う、僧弁、本と巴馬に乗じて侯景を撃つと。馬上の郎は、王の字なり。塵は陳を謂うなり。而して皂莢の謂いを解せず。既にして陳、隋に滅ぶ。説く者以為えらく、江東は羯羊の角を以て皂莢と為す。隋氏の姓は楊なり。楊は羊なり。終に隋に滅ぶを言うなり。北斉の末、諸省の官、多く省主と称す。主、将に省みられんとするなり。則ち興亡の兆し、尽く徴有りと云う。〉