長短経 / 覇図
韓信與張耳、以兵數萬、東下井陘撃趙、破之。乃報漢、因請立張耳為趙王、以撫其國。漢王從之。〔初、趙王與成安君陳餘聞漢且襲之、聚兵井陘口。廣武君李左車説曰、「聞漢將韓信涉西河、虜魏王、擒夏悦新喋血閼與。今乃輔以張耳、議欲下趙、此乘勝而去國逺鬭其鋒不可當臣聞、千里餽糧、士有飢色、樵蘓後㸑、師不宿飽。今井陘之道、車不得方軌、騎不得成列、行數百里、其勢糧食必在後。願足下假臣竒兵三萬人、從間道出、絶其輜重。足下深溝高疊堅營勿與戰、使前不得鬬、退不得還。吾竒兵絶其後、野無所掠鹵。不至十日、而兩將之首、可致於戲下。願足下留意臣之計。否、必為二子所禽成安君不聴廣武君。廣武君䇿不用。
新字:韓信与張耳、以兵数万、東下井陘撃趙、破之。乃報漢、因請立張耳為趙王、以撫其国。漢王従之。〔初、趙王与成安君陳余聞漢且襲之、聚兵井陘口。広武君李左車説曰、「聞漢将韓信渉西河、虜魏王、擒夏悦新喋血閼与。今乃輔以張耳、議欲下趙、此乗勝而去国遠闘其鋒不可当臣聞、千里餽糧、士有飢色、樵蘓後㸑、師不宿飽。今井陘之道、車不得方軌、騎不得成列、行数百里、其勢糧食必在後。願足下仮臣奇兵三万人、従間道出、絶其輜重。足下深溝高畳堅営勿与戦、使前不得闘、退不得還。吾奇兵絶其後、野無所掠鹵。不至十日、而両将之首、可致於戯下。願足下留意臣之計。否、必為二子所禽成安君不聴広武君。広武君策不用。
書き下し
韓信と張耳と、兵数万を以て、東のかた井陘を下りて趙を撃ち、之を破る。乃ち漢に報じ、因りて張耳を立てて趙王と為し、以て其の国を撫せんことを請う。漢王、之に従う。〈初め、趙王と成安君陳余と、漢の且に之を襲わんとするを聞き、兵を井陘口に聚む。広武君李左車、説きて曰く「聞く、漢将韓信、西河を渉り、魏王を虜にし、夏悦を擒にし、新たに閼与に喋血す、と。今、乃ち輔くるに張耳を以てし、議して趙を下さんと欲す。此れ勝ちに乗じて国を去り遠く闘う。其の鋒、当たる可からず。臣聞く、千里に糧を餽れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず、と。今、井陘の道は、車は軌を方ぶるを得ず、騎は列を成すを得ず。行くこと数百里、其の勢い糧食は必ず後に在らん。願わくは足下、臣に奇兵三万人を仮し、間道より出でて、其の輜重を絶たしめよ。足下は溝を深くし塁を高くし、営を堅くして与に戦う勿かれ。前は闘うを得ず、退くは還るを得ざらしむ。吾が奇兵、其の後を絶たば、野に掠鹵する所無し。十日に至らずして、両将の首、戯下に致す可し。願わくは足下、臣の計に意を留めよ。否ずんば、必ず二子の禽とする所と為らん」と。成安君、広武君に聴かず。広武君の策、用いられず。
現代語訳
韓信と張耳は兵数万で東の井陘を下って趙を撃ち、これを破った。そして漢に報告し、張耳を趙王に立ててその国を安んじたいと願い出た。漢王はこれを許した。〈はじめ、趙王と成安君陳余は漢が襲ってくると聞き、兵を井陘口に集めた。広武君李左車が説いた。「聞くところでは、漢の将韓信は西河を渡り、魏王を捕らえ、夏悦を擒にし、新たに閼与で血を浴びたといいます。いまは張耳が補佐に加わり、趙を落とそうとしている。これは勝ちに乗じて国を出て遠くで戦うのです。その鋒先は受け止められません。臣が聞くところでは、千里の彼方へ兵糧を送れば兵に飢えの色が出る。薪を刈ってから炊けば、軍は毎晩満腹にならない、と。いま井陘の道は、車は並べられず、騎兵は列を組めない。数百里行けば、勢いとして兵糧は必ず後ろに離れます。どうか私に奇兵三万を貸し、間道から出てその輜重を断たせてください。あなたは堀を深くし塁を高くし、陣を固めて戦わないこと。前では戦えず、退いても帰れないようにする。私の奇兵が後ろを断てば、野で掠奪するものもない。十日たたずに両将の首を旗の下に届けられます。どうかご一考を。さもなければ必ずあの二人の捕虜になります」。成安君は広武君の言を聴かなかった。広武君の策は用いられなかった。
解説

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