長短経 / 懼戒
宋孔熙先者、廣州刺史黙之子也、有姦才、善占星氣、言、「江州分野出天子、上當見弑于骨肉。」及大將軍彭城王義康幽于安城郡、熈先謂為其人也、遂說王詹事范曄曰、「先君昔去廣州、朝謗紛紜、藉大將軍深相救觧得免艱危。曩受遺命、以死報徳。今主上昏僻、殆天所棄。大將軍英斷聰敏、人神相屬、失職南垂、天下憤怨。今人情騷動、星文舛錯、時至則不可拒、此之謂乎?若順天人之心、收慕義之士、内連寵戚、外結英豪、潛圖搆于表裏、疾雷奮于肘腋、然後誅除異義、嵩奉明聖、因人之望、以號令天下、誰敢不從!小人維以七尺之軀、三寸之舌、立功立事而歸諸君子。丈人謂為何如?」曄甚愕然。
新字:宋孔熙先者、広州刺史黙之子也、有姦才、善占星気、言、「江州分野出天子、上当見弑于骨肉。」及大将軍彭城王義康幽于安城郡、熈先謂為其人也、遂説王詹事范曄曰、「先君昔去広州、朝謗紛紜、藉大将軍深相救觧得免艱危。曩受遺命、以死報徳。今主上昏僻、殆天所棄。大将軍英断聰敏、人神相属、失職南垂、天下憤怨。今人情騷動、星文舛錯、時至則不可拒、此之謂乎?若順天人之心、収慕義之士、内連寵戚、外結英豪、潜図搆于表裏、疾雷奮于肘腋、然後誅除異義、嵩奉明聖、因人之望、以号令天下、誰敢不従!小人維以七尺之軀、三寸之舌、立功立事而帰諸君子。丈人謂為何如?」曄甚愕然。
書き下し
宋の孔熙先なる者は、広州刺史黙の子なり。姦才有り、善く星気を占う。言う「江州の分野に天子出で、上は当に骨肉に弑せらるべし」と。大将軍彭城王義康の安城郡に幽せらるるに及び、熙先謂えらく其の人為りと。遂に王の詹事范曄に説きて曰く「先君昔広州を去るに、朝謗紛紜たり。大将軍に藉りて深く相救解せられ、艱危を免るるを得たり。曩に遺命を受け、死を以て徳に報ぜんとす。今、主上昏僻にして、殆ど天の棄つる所なり。大将軍は英断聡敏にして、人神相属す。職を南垂に失い、天下憤怨す。今、人情騒動し、星文舛錯す。時至れば則ち拒むべからずとは、此の謂いか。若し天人の心に順い、慕義の士を収め、内は寵戚に連なり、外は英豪と結び、潜かに表裏に図搆し、疾雷を肘腋に奮い、然る後に異議を誅除し、明聖を嵩奉し、人の望みに因りて、以て天下に号令せば、誰か敢えて従わざらん。小人は維だ七尺の軀、三寸の舌を以て、功を立て事を立てて、諸を君子に帰せん。丈人謂いて何如と為す」と。曄甚だ愕然たり。
現代語訳
宋の孔熙先は広州刺史孔黙之の子で、悪知恵があり、星や雲気で占うのが得意だった。「江州の星域から天子が出て、主上は骨肉に殺されるだろう」と言っていた。大将軍彭城王劉義康が安城郡に幽閉されると、孔熙先はこの人こそその天子だと考えた。そこで劉義康の詹事だった范曄に説いた。「亡き父がかつて広州を去ったとき、朝廷の誹謗が入り乱れましたが、大将軍に深く救っていただき、危難を免れました。以前父の遺命を受け、死をもってその徳に報いようと思っております。いま主上は暗く偏り、ほとんど天に見捨てられています。大将軍は英明果断で聡明で、人も神も心を寄せています。南の辺地に職を失い、天下は憤り恨んでいます。いま人心は騒ぎ、星の配置も乱れています。時が来たら拒めないとは、このことでしょう。もし天と人の心に従い、義を慕う士を集め、内では寵愛された外戚と通じ、外では英雄豪傑と結び、ひそかに内外で企てを組み、脇の下から疾雷のように奮い起こし、そのうえで異議を唱える者を除き、聡明な聖君を奉じ、人々の望みに乗って天下に号令すれば、誰が従わないでしょう。私はただ七尺の体と三寸の舌で功と事を立て、その成果を君子方にお返しするだけです。あなたはどうお考えですか」。范曄はひどく驚いた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』懼戒且つ聖明を崇樹するは、至徳なり。身宰相を享くるは、大業なり。命を幽居に授くるは、鴻名なり。跡を伊・周に比ぶるは、美号なり。若し夫れ至徳・大業・鴻名・美号は、三王五伯の軍を覆し将を殺して之を争う所以なり。一朝にして包括す。亦た可ならずや。又た此より邇き者有り、愚は則ち未だ敢えて道わず」と。曄曰く「何の謂いぞ」と。熙先曰く「丈人は奕葉清華にして、帝室に連姻するを得ず。国家は禽獣を作して相処らしむ。丈人曽て未だ之を恥じざるか」と。曄は門に内行無し。故に熙先此を以て激と為す。曄黙然たり。是より情好遂に密にして、陰謀搆う。熙先専ら謀主と為る。事露れて皆誅に伏す。
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『長短経』懼戒熙先重ねて曰く「昔、毛玠は節を竭くすも、魏武に容れられず。張温は議を畢くすも、孫権に逐わる。彼の二人の者は、国の信臣、時の俊乂なり。豈に疵瑕暴露し、言行玷欠して、然る後に禍に至らんや。皆廉直勁正を以て、邪枉に困しみ、高行妙節は、久しく容れらるるを得ず。丈人の本朝に於けるは、二主より深からず。人間の雅誉は、両臣に過ぐる有り。讒夫の側目すること、日を為すこと久し。肩を比べて競逐す、庸ぞ遂ぐべけんや。殷鉄の一言にして、劉班首を碎き、彭城斥逐せられて、徐童疑わる。彼豈に父母の讐、万代の怨みならんや。戈を尋ね棘を抜くは、幼きより然り。争う所は栄名・勢利・先後の間に過ぎざるのみ。其の末に及ぶや、唯だ之を陥るることの深からず、之を発くことの早からざるを恐る。戮は百口に及ぶも、猶お厭かずと曰う。是れ豈に書籍の遠事にして、寒心悼慄すべき者ならんや。今、大勲を建て賢哲を奉じ、難きを易きに図り、易きを以て危うきを安んず。之を太山に比して累卵を去る。何ぞ苦しみて就かざる。
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『長短経』懼戒〔裴子野曰く「夫れ逸群の才有れば、必ず沖天の挙を思い、蓋俗の量に拠れば、則ち常均の下に闇し。其の能く之を導くに道を以てし、之を将うに識を以てし、作して義を失わず、行いて礼を犯すこと無きは、殆ど為し難きか。曄等の若きは、志を忸れて権を貪り、才を矜りて以て逆に狥う。天方に釁無きに、欲を以て時を干す。罪暴れ刑行わるるに及びて、父子相哭し、累葉の風素、一朝にして殞つ。所謂智能は翻って亡身の具と為る。心逆にして険なるは、此の謂いか」と。〕
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『長短経』懼戒〔議に曰く、玄感の反するや、太白南斗に入る。諺に曰く「太白南斗に入れば、天子殿を下りて走る」と。是に由りて天下両端を持す。故に三略に曰く「放言は之を過つ」と。裴子野曰く「夫れ左道怪民、幻を挟み誕を罔うるは、以て衆を動かすに足るも、未だ以て功を済すに足らず」と。今、諺を以て之を観れば、左道の以て衆を動かすべきは、信なり。故に王者は焉を禁ず。〕
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『長短経』懼戒〔議に曰く、昔、蒯通は韓信に説き、閻忠は皇甫嵩に説き、馮衍は廉丹に説く。此の三人は皆従わず、甘んじて危亡に就くは、何ぞや。対えて曰く、范曄曰く「夫れ事苦しければ、則ち全きを矜るの情薄く、生厚ければ、故に安存の慮り深し。高きに登りて懼れざる者は、胥靡の人なり。坐して堂に垂せざるは、千金の子なり」と。此に由りて之を観れば、夫れ人情は、楽しければ則ち安きを思い、苦しければ則ち変を図る。必然の勢いなり。今、三子は或いは南面して孤と称し、或いは位は将相を極む。但だ自ら安んずるの術を図り、非常の功を慮る無し。勢い疑わるれば則ち釁生じ、力侔しければ則ち乱起こるを知らず。勢い已に疑われたるに、勢いを辞して以て嫌を去ること能わず。力已に侔しきに、力を損じて以て福を招くこと能わず。遅迴猶予して、危亡に至る。其の禍は全きを矜りて反りて其の敗を貽すに在る者なり。語に曰く「心死すれば則ち生き、生を幸えば則ち死す」と。数公は生を幸うと謂うべきなり。〕
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『長短経』懼戒昔、韓信は一飡の遇に忍びずして、三分の業を棄て、利剣以て其の喉を揣るに、方に悔毒の嘆を発する者は、機失われて謀乗ぜらるればなり。今、主上の勢いは劉・項より弱く、将軍の権は淮陰より重し。指揮は以て風雲を振るうに足り、叱咤は以て雷電を興すべし。赫然として奮発し、危うきに因りて頹るるに抵り、恩を崇くして以て先に附く者を綏んじ、武を振るいて以て後に服する者に臨む。冀方の士を徴し、七州の衆を動かす。羽檄は先に前に馳せ、大軍は後に響き振るう。漳河を蹈み流し、馬に孟津に飲う。閹宦の罪を誅し、群怨の積を除く。童児と雖も拳を奮いて以て力を致さしむべく、女子と雖も裳を褰げて以て命を用いしむべし。況んや熊羆の卒を厲まし、迅風の勢いに因るをや。功業已に就り、天下已に順わば、然る後に上帝に請い呼び、示すに天命を以てし、六合を混斉し、南面して制を称す。宝器を将に興らんとするに移し、亡漢を已に墜ちたるに推す。実に神機の至会、風発の良時なり。夫れ既に朽ちたる木は雕らず、衰世の朝は佐け難し。若し佐け難きの朝を輔け、朽敗の木を雕らんと欲せば、是れ猶お坂を逆にして丸を走らせ、流れを迎えて櫂を縦にするがごとし。豈に易しと云わんや。