長短経 / 大体
故曰、知人者、王道也、知事者、臣道也。無形者、物之君也、無端者、事之本也。鼔不預五音、而為五音主、有道者、不為五官之事、而為理事之主。君守其道、官知其事、有自來矣。先王知其如此也、故用非其有、如己有之、通乎君道者也。〔議曰、《淮南子》云、「巧匠為宫室、為圓必以規、為方必以矩、為平直必以凖繩。功已就矣、而不知規矩凖繩、而賞巧匠。宫室已成、不知巧匠、而皆曰某君某王之宫室也。」孫卿曰、「夫人主欲得善射中微、則莫若使羿、欲得善御致遠、則莫若使王良、欲得調一天下、則莫若聰明君子矣。其用智甚簡、其為事不勞、而功名甚大。」此能用非其有、如己有者也。〕
新字:故曰、知人者、王道也、知事者、臣道也。無形者、物之君也、無端者、事之本也。鼓不預五音、而為五音主、有道者、不為五官之事、而為理事之主。君守其道、官知其事、有自来矣。先王知其如此也、故用非其有、如己有之、通乎君道者也。〔議曰、《淮南子》云、「巧匠為宮室、為円必以規、為方必以矩、為平直必以凖縄。功已就矣、而不知規矩凖縄、而賞巧匠。宮室已成、不知巧匠、而皆曰某君某王之宮室也。」孫卿曰、「夫人主欲得善射中微、則莫若使羿、欲得善御致遠、則莫若使王良、欲得調一天下、則莫若聰明君子矣。其用智甚簡、其為事不労、而功名甚大。」此能用非其有、如己有者也。〕
書き下し
故に曰く、人を知る者は王道なり、事を知る者は臣道なり。形無き者は物の君なり、端無き者は事の本なり。鼓は五音に予らずして五音の主と為り、有道者は五官の事を為さずして事を理むるの主と為る。君は其の道を守り、官は其の事を知る、自ら来る有り。先王は其の此くの如きを知るなり。故に其の有に非ざるを用うること己が有の如くす。君道に通ずる者なり。〔議に曰く、淮南子に云う「巧匠の宮室を為るや、円を為すには必ず規を以てし、方を為すには必ず矩を以てし、平直を為すには必ず準縄を以てす。功已に就れば、而も規矩準縄を知らずして巧匠を賞す。宮室已に成れば、巧匠を知らずして皆某君某王の宮室なりと曰う」と。孫卿曰く「夫れ人主、善く射て微に中つるを得んと欲せば、則ち羿を使うに若くは莫し。善く御して遠きを致すを得んと欲せば、則ち王良を使うに若くは莫し。天下を調一するを得んと欲せば、則ち聡明の君子に若くは莫し。其の智を用うること甚だ簡にして、其の事を為すこと労せずして、功名甚だ大なり」と。此れ能く其の有に非ざるを用うること、己が有の如くする者なり。〕
現代語訳
だから言うのだ。人を見抜くのが王の道であり、仕事の中身を知るのが臣下の道である、と。形を持たないものこそ物の主であり、端のないものこそ事の根本である。太鼓は五つの音階のどれにも属さないが、五音の主となる。道を体した者は五つの官職の実務をしないが、事を治める主となる。君主は自分の道を守り、役人はそれぞれの仕事を知る。そうすれば成果はおのずとやって来る。昔の王はこれを知っていた。だから自分の持ち物でないものを自分の持ち物のように使った。これが君主の道に通じた者である。〔議していう。淮南子にこうある。「腕のよい大工が宮殿を造るとき、円を描くには必ずコンパスを使い、四角を出すには必ず定規を使い、水平と垂直を出すには必ず水準器と墨縄を使う。しかし出来上がると、人は道具のことは知らずに大工を褒める。宮殿が完成すると、大工のことは知らずに、みな『これは某君・某王の宮殿だ』と言う」。孫子(荀子)はこう言う。「君主が、うまく射て的の中心を射抜きたいと思うなら、羿を使うに越したことはない。うまく御して遠くまで行きたいと思うなら、王良を使うに越したことはない。天下を一つに調えたいと思うなら、聡明な君子に越したことはない。その知恵の使い方はきわめて簡素で、仕事ぶりは骨を折らず、それでいて功名は非常に大きい」。これが、自分の持ち物でないものを自分の持ち物のように使える者である。〕
解説

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史記 楽毅列伝臣聞く、賢聖の君は禄を以て親に私せず、その功多き者はこれを賞し、その能当たる者はこれに処らしむ。故に能を察して官を授くる者は、成功の君なり。行ひを論じて交はりを結ぶ者は、立名の士なり。臣竊かに先王の挙を観るに、世主より高きの心有るを見る、故に節を魏に仮りて、身を以て燕に察せらるるを得たり。先王過りて挙げ、これを賓客の中に廁へ、これを群臣の上に立て、父兄に謀らずして、以て亜卿と為す。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく令を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、故に令を受けて辞せず。先王これに命じて曰く、「我に斉に積怨深怒有り、軽弱を量らずして、斉を以て事と為さんと欲す」と。臣曰く、「夫れ斉は霸国の余業にして最勝の遺事なり。兵甲に練れ、戦攻に習ふ。王若しこれを伐たんと欲せば、必ず天下と与にこれを図れ。天下と与にこれを図らば、趙に結ぶに若くは莫し。且つまた淮北・宋の地は、楚・魏の欲する所なり、趙若し許して四国に約してこれを攻めば、斉大いに破るべきなり」と。先王以て然りと為し、符節を具へて南のかた臣を趙に使はす。顧みて反命し、兵を起こして斉を撃つ。天の道、先王の霊を以て、河北の地先王に随ひてこれを済上に挙ぐ。済上の軍命を受けて斉を撃ち、大いに斉人を敗る。軽卒鋭兵、長駆して国に至る。斉王遁れて莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉財宝車甲珍器、尽く収めて燕に入る。斉の器は寧台に設けられ、大呂は元英に陳ねられ、故鼎は磿室に反り、薊丘の植は汶篁に植う。五伯より已来、功の未だ先王に及ぶ者有らざるなり。先王以て志に慊しと為し、故に地を裂きてこれを封じ、小国の諸侯に比するを得しむ。臣竊かに自ら知らず、自ら以為へらく命を奉じ教へを承けば、幸ひに罪無かるべしと、是を以て命を受けて辞せず。臣聞く、賢聖の君は、
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