長短経 / 知人
〔桓範曰、「夫賢愚之異、使若葵之與莧、何得不知其然?若其莠之似禾、類是而非是、類賢而非賢。」楊子《法言》曰、「或問難知曰、『太山之與蟻垤、河海之與行潦、非難也。大聖與大佞、難也!於呼唯能别似者、為無難矣!』」〕
新字:〔桓範曰、「夫賢愚之異、使若葵之与莧、何得不知其然?若其莠之似禾、類是而非是、類賢而非賢。」楊子《法言》曰、「或問難知曰、『太山之与蟻垤、河海之与行潦、非難也。大聖与大佞、難也!於呼唯能別似者、為無難矣!』」〕
書き下し
〔桓範曰く「夫れ賢愚の異なること、若し葵と莧との若くならしめば、何ぞ其の然るを知らざるを得んや。若し其れ莠の禾に似たるは、是に類して是に非ず、賢に類して賢に非ず」と。楊子の法言に曰く「或るひと知り難きを問う。曰く『太山と蟻垤と、河海と行潦とは、難きに非ざるなり。大聖と大佞とは難し。於呼、唯だ能く似たる者を別かつは、難き無しと為すのみ』」と。〕
現代語訳
〔桓範はこう言った。「賢者と愚者の違いが、もし葵と莧のようにはっきり違っていたら、どうして見分けられないことがあろうか。ところが莠という雑草が稲の苗に似ているように、似ていながら本物でなく、賢者に似ていながら賢者でない」。楊雄の法言にこうある。「ある人が、何を見分けるのが難しいかと問うた。答えて言う。『泰山と蟻塚、大河大海と道端の水たまり、これらは難しくない。大聖と大佞こそが難しい。ああ、似たものを見分けられる者にとってだけ、難しさはなくなるのだ』」。〕
解説
泰山と蟻塚を見分けるのは誰にでもできる。難しいのは大聖と大佞だ、という一句が痛烈です。極端に優れた人と極端に悪辣な人は、どちらも並外れていて、常識を破る点でよく似ている。だから見分けがつかない。逆に言えば、はっきり見分けられる相手というのは、大した差のない相手なのです。判断が簡単だと感じているときほど、重要な違いを見ていない可能性があります。
この章句が説くこと
人物鑑識似て非なる大聖大佞桓範楊雄見分け
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