長短経 / 覇図
景子湘東王即位於江陵〔是為孝元皇帝。武帝第七子也。、〕魏使萬紐于謹來攻、梁王蕭詧率衆㑹之、帝見執、魏人戕帝〔初、武陵之平、議者欲因其舟艦遷都建鄴、宗懍、黄羅漢皆楚人、不願移。曰、「建鄴王氣已盡、渚宫洲已滿百。」於是乃留、尋而嵗星在井、熒惑守心。帝觀之、慨然謂朝臣曰、「吾觀𤣥象、將恐有賦但吉凶在吾運數由天、避之何益?」
新字:景子湘東王即位於江陵〔是為孝元皇帝。武帝第七子也。、〕魏使万紐于謹来攻、梁王蕭詧率衆会之、帝見執、魏人戕帝〔初、武陵之平、議者欲因其舟艦遷都建鄴、宗懍、黄羅漢皆楚人、不願移。曰、「建鄴王気已尽、渚宮洲已満百。」於是乃留、尋而歳星在井、熒惑守心。帝観之、慨然謂朝臣曰、「吾観玄象、将恐有賦但吉凶在吾運数由天、避之何益?」
書き下し
景を平らげ、湘東王、江陵に於て即位す。〈是を孝元皇帝と為す。武帝の第七子なり。〉魏、万紐于謹をして来たり攻めしむ。梁王蕭詧、衆を率いて之に会す。帝、執えられ、魏人、帝を戕う。〈初め、武陵の平らぐや、議する者、其の舟艦に因りて都を建鄴に遷さんと欲す。宗懍・黄羅漢は皆な楚人なり。移るを願わず。曰く「建鄴の王気は已に尽く。渚宮の洲は已に百に満つ」と。是に於て乃ち留まる。尋いで歳星は井に在り、熒惑は心を守る。帝、之を観て、慨然として朝臣に謂いて曰く「吾、玄象を観るに、将に恐らくは賦有らん。但だ吉凶は吾に在り、運数は天に由る。之を避けて何の益あらん」と。
現代語訳
侯景を平らげ、湘東王は江陵で即位した。〈これが孝元皇帝である。武帝の七男である。〉魏が万紐于謹を派遣して攻めてきた。梁王蕭詧が兵を率いて合流した。帝は捕らえられ、魏の人に殺された。〈はじめ、武陵が平定されたとき、議論する者はその船を使って都を建鄴へ遷そうとした。宗懍と黄羅漢はともに楚の人で、移りたくなかった。「建鄴の王気はすでに尽きた。渚宮の中洲はもう百に満ちた」と言った。そこで留まった。まもなく木星が井宿にあり、火星が心宿を守った。帝はこれを見て、嘆じて朝臣に言った。「私が天象を見るに、おそらく災いがある。しかし吉凶は自分にあり、運数は天による。避けて何の益があろう」。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』覇図壬午、帝、石頭に鎮し、衆軍に命じて六門を囲ましむ。衛尉張稷、東昏を斬り、黄油もて首を裏みて軍に送る。〈帝、呂僧珍に命じて兵を勒して府庫を封ぜしむ。及び図籍もて潘妃を収め、之を誅す。宮女二千人を以て分かちて将士に賚うなり。〉京邑を平らげ、斉の和帝、位を以て梁に禅る。帝、即位す。斉の司徒侯景、十三州を以て内属す。侯景、反す。京師に至り、帝を幽して崩ず。〈天監中、釈宝誌、詩を為りて曰く「昔年三十八、今年八十三、四中復た四有り、城北の火酣酣たり」と。帝、封じて之を記す。帝、三十八にして建業に克ち、八十三にして火災に遇う。元年四月十四日、同泰寺の火災なり。皆な其の言の如し。此れ之を謂うなり。〉
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