長短経 / 君徳
〔議曰、漢髙祖欲以趙王如意易太子、叔孫通諫曰、「昔晉獻公以驪姬故、廢太子、立奚齊、晉國亂者數十年、為天下笑。秦以不早定扶蘇、令趙髙得以詐立胡亥、自使滅祀。此陛下所親見。今陛下必欲廢嫡而立少、臣願先伏誅、以頸血汚地。」帝曰、「吾直戲耳。」通曰、「太子乃天下本、本之一揺、大下震動。奈何以天下戲?」乃聽之。袁紹愛少子尚、乃以太子譚繼兄後。沮授諫曰、「世稱萬人逐兎一人獲之、貪者悉止、分定故也。且年均以賢、徳均以長、上古之制也。願上惟先代成敗之誡、下思逐兎分定之義。若其不改、禍始此矣。」紹不從、後果搆隙。故曰、立嫡子者、不使庶孽疑焉。疑則動、兩則争。子兩位者、家必亂、子兩位、而家不亂者、親猶在也。恃親不亂、失親必亂。有㫖哉。〕
新字:〔議曰、漢高祖欲以趙王如意易太子、叔孫通諫曰、「昔晋献公以驪姫故、廃太子、立奚斉、晋国乱者数十年、為天下笑。秦以不早定扶蘇、令趙高得以詐立胡亥、自使滅祀。此陛下所親見。今陛下必欲廃嫡而立少、臣願先伏誅、以頸血汚地。」帝曰、「吾直戯耳。」通曰、「太子乃天下本、本之一揺、大下震動。奈何以天下戯?」乃聴之。袁紹愛少子尚、乃以太子譚継兄後。沮授諫曰、「世称万人逐兎一人獲之、貪者悉止、分定故也。且年均以賢、徳均以長、上古之制也。願上惟先代成敗之誡、下思逐兎分定之義。若其不改、禍始此矣。」紹不従、後果搆隙。故曰、立嫡子者、不使庶孽疑焉。疑則動、両則争。子両位者、家必乱、子両位、而家不乱者、親猶在也。恃親不乱、失親必乱。有旨哉。〕
書き下し
〔議に曰く、漢の高祖、趙王如意を以て太子に易えんと欲す。叔孫通諫めて曰く「昔、晋の献公は驪姫の故を以て、太子を廃し奚斉を立つ。晋国乱るること数十年、天下の笑いと為る。秦は早く扶蘇を定めざるを以て、趙高をして詐りて胡亥を立つるを得しめ、自ら祀を滅せしむ。此れ陛下の親しく見る所なり。今、陛下必ず嫡を廃して少を立てんと欲せば、臣願わくは先ず誅に伏し、頸血を以て地を汚さん」と。帝曰く「吾れ直だ戯るるのみ」と。通曰く「太子は乃ち天下の本なり。本一たび揺らげば、天下震動す。奈何ぞ天下を以て戯るるや」と。乃ち之を聴く。袁紹は少子尚を愛す。乃ち太子譚を以て兄の後を継がしむ。沮授諫めて曰く「世に称す、万人兎を逐い、一人之を獲れば、貪る者悉く止む、分定まればなり。且つ年均しければ賢を以てし、徳均しければ長を以てするは、上古の制なり。願わくは上は先代成敗の誡を惟い、下は兎を逐い分定まるの義を思わんことを。若し其れ改めずんば、禍は此に始まらん」と。紹従わず。後に果たして隙を構う。故に曰く、嫡子を立つる者は、庶孽をして疑わしめず。疑えば則ち動き、両つなれば則ち争う。子に両位ある者は、家必ず乱る。子に両位ありて家乱れざる者は、親猶お在ればなり。親を恃みて乱れず、親を失えば必ず乱る。旨有るかな。〕
現代語訳
〔議していう。漢の高祖が趙王如意を太子に代えようとした。叔孫通が諌めて言った。「昔、晋の献公は驪姫のために太子を廃して奚斉を立てました。晋の国は数十年乱れ、天下の笑いものとなりました。秦は早く扶蘇を定めなかったために、趙高が偽って胡亥を立てることができ、自ら祭祀を絶やしました。これは陛下が親しくご覧になったことです。いま陛下がどうしても嫡子を廃して幼い子を立てようとされるなら、私はまず誅に服し、首の血で地を汚したく存じます」。帝は言った。「私はただ戯れただけだ」。叔孫通は言った。「太子は天下の本です。本が一度揺らげば、天下が震動します。どうして天下をもって戯れるのですか」。そこで高祖は聞き入れた。袁紹は末子の尚を愛していた。そこで長子の譚を兄の家の後継ぎにした。沮授が諌めて言った。「世に言われます、万人が兎を追い、一人がこれを獲れば、貪る者はみな止まる、と。分が定まるからです。しかも年が同じなら賢によって、徳が同じなら年長によって決めるのが、上古の制度です。どうか上は先代の成敗の戒めを思い、下は兎を追って分が定まる意味をお考えください。もし改めなければ、禍はここから始まります」。袁紹は従わなかった。のちに果たして不和を生じた。だからこう言う。嫡子を立てる者は、庶子に疑いを抱かせない。疑えば動き、二つあれば争う。子に二つの位がある家は必ず乱れる。子に二つの位があって家が乱れないのは、親がまだ生きているからである。親を頼りにして乱れないのだから、親を失えば必ず乱れる。深い意味がある。〕
解説

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史記 劉敬叔孫通列伝秦は蚤く扶蘇を定めざるを以て、趙高をして詐りて胡亥を立つるを得しめ、自ら祀を滅ぼさしむ。此れ陛下の親しく見る所なり。今太子は仁孝にして、天下皆之を聞く。呂后は陛下と苦を攻め啖(たん)を食らふ。其れ背くべけんや。陛下必ず適を廢して少を立てんと欲せば、臣願はくは先づ誅に伏し、頸血を以て地を汙さん」と。高帝曰く、「公罷めよ。吾直だ戲るるのみ」と。叔孫通曰く、「太子は天下の本なり。本一たび搖らげば天下振動す。柰何ぞ天下を以て戲と為さん」と。高帝曰く、「吾公の言を聽かん」と。上酒を置くに及び、留侯の招く所の客の太子に從ひて入り見ゆるを見て、上乃ち遂に太子を易ふるの志無し。高帝崩じ、孝惠位に即く。乃ち叔孫生に謂ひて曰く、「先帝の園陵寢廟、群臣習ふ莫し」と。徙して太常と為し、宗廟の儀法を定めしむ。稍く漢の諸儀法を定むるに及び、皆叔孫生の太常為りて論箸する所なり。孝惠帝東のかた長樂宮に朝するを為し、及び閒に往くに、數々蹕(ひつ)して人を煩はす。乃ち複道を作り、方に武庫の南に筑く。叔孫生事を奏し、因りて閒を請ひて曰く、「陛下何ぞ自ら複道を高寢に筑きたまふ。衣冠月ごとに出でて高廟に游ぶ。高廟は漢の太祖なり。柰何ぞ後世の子孫をして宗廟の道の上に乘りて行かしめん」と。孝惠帝大いに懼れて曰く、「急ぎ之を壞て」と。叔孫生曰く、「人主に過舉無し。今已に作り、百姓皆之を知る。今此を壞たば、則ち過舉有るを示す。願はくは陛下、原廟を渭北に為り、衣冠月ごとに出でて之に游ばしめよ。益々宗廟を廣め多くするは、大孝の本なり」と。上乃ち有司に詔して原廟を立てしむ。原廟の起こるは、複道の故を以てなり。孝惠帝曾て春に離宮に出游す。叔孫生曰く、「古は春に果を嘗むる有り。方今櫻桃孰す。獻ずべし。願はくは陛下出でて、因りて櫻桃を取りて宗廟に獻ぜよ」と。上乃ち之を許す。諸果の獻は此に由りて興る。
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