長短経 / 覇図
〔劉元海為匈奴質子、在洛陽、晉武帝與語、説之。謂王渾曰、「元海容儀機鑒、由余日磾、無以加也。」渾對曰、「元海容儀實如聖㫖然其文武才幹賢於二子逺。陛下若任之以東南之事、呉㑹不足平也。」帝稱善。孔恂、楊珧曰、「臣觀元海之才、當今無比、陛下若輕其衆、不足以成事、若假之威權、平呉之後、恐其不復北渡也。非吾族類、其心必異、任之本部、臣竊為陛下寒心。若舉天阻之固以資之、無乃不可乎?」帝黙然。
新字:〔劉元海為匈奴質子、在洛陽、晋武帝与語、説之。謂王渾曰、「元海容儀機鑒、由余日磾、無以加也。」渾対曰、「元海容儀実如聖旨然其文武才幹賢於二子遠。陛下若任之以東南之事、呉会不足平也。」帝称善。孔恂、楊珧曰、「臣観元海之才、当今無比、陛下若軽其衆、不足以成事、若仮之威権、平呉之後、恐其不復北渡也。非吾族類、其心必異、任之本部、臣窃為陛下寒心。若舉天阻之固以資之、無乃不可乎?」帝黙然。
書き下し
〈劉元海、匈奴の質子と為り、洛陽に在り。晋の武帝、与に語り、之を説ぶ。王渾に謂いて曰く「元海の容儀機鑒は、由余・日磾も、以て加うる無きなり」と。渾対えて曰く「元海の容儀は実に聖旨の如し。然れども其の文武の才幹は二子より賢ること遠し。陛下、若し之に任ずるに東南の事を以てせば、呉会も平らぐるに足らざるなり」と。帝、善しと称す。孔恂・楊珧曰く「臣、元海の才を観るに、当今比無し。陛下、若し其の衆を軽くせば、以て事を成すに足らず。若し之に威権を仮さば、呉を平らぐるの後、恐らくは其れ復た北のかた渡らざらん。吾が族類に非ざれば、其の心必ず異なる。之を本部に任ずるは、臣、竊かに陛下の為に寒心す。若し天阻の固きを挙げて以て之に資さば、乃ち不可ならざらんや」と。帝、黙然たり。
現代語訳
〈劉淵は匈奴の人質として洛陽にいた。晋の武帝は語り合って気に入った。王渾に言った。「劉淵の容儀と見識は、由余や金日磾でもこれに加えるものがない」。王渾は答えた。「劉淵の容儀は仰せのとおりです。その文武の才幹は二人よりはるかに優れている。陛下がもし東南のことを任せれば、呉も平らげるに足りません」。帝は結構だと言った。孔恂と楊珧が言った。「臣が劉淵の才を見るに、いまの世に比べる者がない。陛下がもしその兵を少なくすれば事を成せず、もし威権を与えれば、呉を平らげた後、二度と北へ渡って帰らないでしょう。我が族類でなければ、その心は必ず異なる。本国の部族を任せるのは、私はひそかに陛下のために寒気がします。もし天険の堅さを挙げてこれに与えれば、まずいのではありませんか」。帝は黙った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『長短経』覇図後、秦・涼覆没す。帝、将帥を疇咨す。李憙曰く「陛下、誠に能く匈奴五部の衆を発し、元海に一将の号を仮し、鼓行して西せば、期を指して定む可きなり」と。孔恂曰く「李公の言、未だ患いを殄くすの理を尽くさず。元海、若し能く涼州を平らげ、樹機能を斬らば、恐らくは涼州、方に難有らんのみ。蛟龍、雲雨を得れば、復た池中の物に非ざるなり」と。帝、乃ち止む。恵帝、馭を失い、寇賊蜂起す。成都王穎、鄴に鎮す。元海を表して寧朔将軍を行わしめ、五部の軍事を監せしむ。王浚等の穎を討つに及び、元海、穎に説きて曰く「今、二鎮跋扈し、衆は十余万。恐らくは宿衛及び近都の士衆の能く之を禦ぐ所に非ず。請う、殿下の為に還りて五部の衆に説き、以て国難に赴かん」と。穎、之に従う。元海、国に至る。左賢王劉宣等、大単于の号を上る。二旬の間に、衆は五万を以てす。遂に平陽を寇して、之を陥れ、蒲に入る。時に於て五湖、中原を乱すなり。
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『長短経』覇図子春曰く「石将軍は英才俊抜、士馬盛強なること、実に聖旨の如し。仰いで惟うに明公は、州郡の貴望、累葉重光、出でて藩岳に鎮し、威声は八表に播る。固より以て胡越も風を欽い、華夷も徳を歌う。豈に唯だ区区たる小府のみならんや。而るに敢えて神闕に衽を斂めざる者ならんや。昔、陳嬰は豈に其れ王を鄙しみて王たらず、韓信は帝を薄しとして帝たらざらんや。但だ帝王は勇を以て致し力もて争う可からざるを以ての故なり。石将軍の明公に擬するは、猶お陰精の太陽に比し、江河の洪海に比するがごときのみ。項籍・子陽、覆車遠からず。是れ石将軍の明鑒なり。明公も亦た何ぞ怪しまんや。古自り誠に胡人にして名臣と為る者は、実に之有り。帝王は則ち未だ之有らざるなり。石将軍は帝王を悪みて明公に譲るに非ざるなり。顧うに之を取るも天下の許す所と為らざればなり。願わくは公、疑う勿かれ」と。浚、大いに悦び、使いを遣わして勒に報ず。勒、復た使いを遣わして表を浚に奉じ、親しく幽州に詣りて尊号を上らんことを期す。亦た牋を棗嵩に修め、并州牧広平公を乞い、以て必信の誠を見す。
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『長短経』覇図石勒なる者は、上党の羯胡なり。趙に拠る。幽州牧王浚、百官を署置す。勒、并呑の意有り、先ず使いを発して以て之を観んと欲す。議する者僉な曰く「宜しく羊祜・陸抗の事の如く、亢書して相い聞ゆべし」と。時に張賓、疾有り。勒、就きて之を謀る。賓曰く「王浚は三部の力を仮り、南面を称せんと図る。晋の藩と曰うと雖も、実は僭逆の志を懐く。必ず英雄と協し、事業を図り済さんことを思わん。将軍は威、海内に振るう。去就は存亡と為り、所在は軽重と為る。浚の将軍を欲するは、猶お楚の韓信を招くがごとし。今、権譎して使いを遣わすも、誠款の形無くんば、脱り猜疑を生じ、之を図るの兆露れなば、後に奇略有りと雖も、設くる所無からん。夫れ大事を立つるは、必ず先ず之が為に卑くす。当に藩と称して推奉すべし。尚お信ぜられざるを恐る。羊・祜の事は、臣、未だ其の可なるを見ざるなり」と。勒曰く「君侯の計、是なり」と。
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『長短経』覇図乃ち其の舎人王子春を遣わし、珍宝を賫して表を奉じて浚を推崇せしむ。浚、子春に謂いて曰く「石公は一時の英武なり。旧趙に拠有し、鼎峙の勢いを成す。何為れぞ孤に藩と称するや。其れ信ず可きか」と。
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『長短経』覇図張淹、迷昧にして、本朝を顧みず。爰に南区より、志は東夏を図る。潜軍にして間に入り、竊かに不虞を覬う。時に於て江服未だ夷らかならず、皇途薦りに阻まる。公、忠義奮発し、険に在りて弥々亮らかなり。寡を以て衆を制し、向かう所風のごとく偃す。朝廷に東顧の憂い無く、閩越に来蘇の望み有り。此れ又た公の功なり。匈奴、野心あり、疆場を侵掠す。醜羯、侜張し、勢いは彭泗に振るう。公、辞を奉じて罪を伐ち、旦を戒めて晨に征す。兵車始めて交わり、氛祲時に蕩う。死を弔い傷を扶け、皇沢を弘宣す。我が淮淝をして、復た盛化に沾わしむ。此れ又た公の功なり。
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『長短経』覇図高祖武皇帝、姓は劉、名は裕、字は徳輿、彭城の人なり。桓玄、晋を簒う。〈偽楚の桓玄、字は敬徳、譙国龍亢の人なり。形貌瓌特なり。江州刺史と為り、荊州刺史殷仲堪を襲い殺す。会稽王の世子元顕、政を専らにす。玄の跋扈するを以て、軍を遣わして之を征す。玄、討たるるを聞き見て、即ち衆を率いて下りて京師に至り、元顕を殺す。詔して玄を以て丞相と為し、楚王に封ず。遂に位を禅る。〉高祖、劉毅・何無忌等と潜かに匡復を謀り、兵を起こして玄を平らぐ。〈時に桓玄、桓弘をして広陵に鎮せしむ。劉道規、弘の中兵参軍と為る。道規をして弘を襲わしむ。桓修、丹徒に鎮す。高祖、修の中兵参軍と為り、自ら修を襲う。期を克して同に発す。劉毅・道規等、既に広陵を襲い、桓弘を斬り、其の衆を以て南のかた渡る。高祖・何無忌、京師を襲い、桓修を斬る。二州の衆千二百人を率いて、進みて竹里に舎り、檄を京師に移す。曰く、