長短経 / 品目
若夫不刻意而高、無仁義而脩、無功名而治、無江海而閒、不導引而壽、無不亡也、無不有也。淡然無極而衆美從之、此天地之道、聖人之徳者也。」〕
新字:若夫不刻意而高、無仁義而脩、無功名而治、無江海而閒、不導引而寿、無不亡也、無不有也。淡然無極而衆美従之、此天地之道、聖人之徳者也。」〕
書き下し
若し夫れ意を刻まずして高く、仁義無くして修まり、功名無くして治まり、江海無くして間に、導引せずして寿からば、亡ぶること無く、有らざること無し。淡然として極まり無くして衆美之に従う。此れ天地の道、聖人の徳なる者なり」と。〕
現代語訳
しかし、志を刻みつけなくても高く、仁義を掲げなくても修まり、功名を求めなくても治まり、江海に去らなくても静かで、導引をしなくても長寿である。そうであれば、失うものもなく、持たないものもない。淡々として際限がなく、あらゆる美しさがおのずと従ってくる。これが天地の道であり、聖人の徳というものである」。〕
解説
前段で五つの型を並べたうえで、そのどれでもないあり方を置くのが荘子の構えです。掲げないのに備わっている。求めないのに手に入っている。五つの型は、足りないものを補うために掲げられた看板でした。看板が要らない人には、看板が示していたものがすでにある。淡然として極まりなし、という言い方は、何も足していないから減るものもない状態を指します。肩書や方法論を一つずつ外していったときに、何が残るかという問いです。
この章句が説くこと
荘子無為自然聖人淡然型
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