長短経 / 五間
鄭武公欲伐胡、先以其子妻胡。因問羣臣曰、“我欲用兵、誰可伐者?”大夫關期思曰、“胡可伐。”武公怒而戮之曰、“胡、兄弟之國。子言伐之、何也?”胡君聞之、以鄭為親已而不備鄭。鄭襲胡、取之〔漢使酈生説齊王田廣、廣罷兵、與酈生縱酒。漢將韓信因齊無備、襲齊、破之。田廣烹酈生、酈生偶成韓信死間。唐李靖伐匈奴、以唐儉先和親、而已以兵乘其不備、破之。此李靖以唐儉為死間也。〕此用死間之勢也。
新字:鄭武公欲伐胡、先以其子妻胡。因問羣臣曰、“我欲用兵、誰可伐者?”大夫関期思曰、“胡可伐。”武公怒而戮之曰、“胡、兄弟之国。子言伐之、何也?”胡君聞之、以鄭為親已而不備鄭。鄭襲胡、取之〔漢使酈生説斉王田広、広罷兵、与酈生縦酒。漢将韓信因斉無備、襲斉、破之。田広烹酈生、酈生偶成韓信死間。唐李靖伐匈奴、以唐倹先和親、而已以兵乗其不備、破之。此李靖以唐倹為死間也。〕此用死間之勢也。
書き下し
鄭の武公、胡を伐たんと欲し、先ず其の子を以て胡に妻わす。因りて群臣に問いて曰く「我兵を用いんと欲す。誰か伐つべき者ぞ」と。大夫関期思曰く「胡伐つべし」と。武公怒りて之を戮して曰く「胡は兄弟の国なり。子の之を伐てと言うは、何ぞや」と。胡の君之を聞き、鄭を以て己に親しむと為して鄭に備えず。鄭、胡を襲いて之を取る〔漢は酈生をして斉王田広に説かしむ。広兵を罷め、酈生と酒を縦にす。漢の将韓信、斉の備え無きに因りて、斉を襲いて之を破る。田広は酈生を烹る。酈生は偶々韓信の死間と成る。唐の李靖、匈奴を伐つに、唐倹を以て先ず和親せしめ、而して己は兵を以て其の備えざるに乗じて、之を破る。此れ李靖の唐倹を以て死間と為すなり〕。此れ死間を用うるの勢いなり。
現代語訳
鄭の武公は胡を伐とうとして、まず娘を胡の君に嫁がせた。そのうえで群臣に「兵を用いたいが、どこを伐つべきか」と問うた。大夫の関期思が「胡を伐つべきです」と言うと、武公は怒って彼を殺し、「胡は兄弟の国だ。それを伐てとは何事か」と言った。胡の君はこれを聞いて、鄭は自分に親しんでいると思い、鄭に備えなかった。鄭は胡を襲って取った〔漢は酈食其に斉王田広を説得させた。田広は兵を解き、酈食其と酒を飲み明かした。漢の将韓信は斉に備えがないのに乗じて斉を襲って破った。田広は酈食其を煮殺した。酈食其はたまたま韓信の死間になったのである。唐の李靖が突厥を伐ったとき、唐倹にまず和睦を結ばせ、自分は兵を率いて相手の備えのなさに乗じて破った。これは李靖が唐倹を死間にしたのである〕。これが死間を用いた形勢である。
解説

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