長短経 / 懼戒
我先君文公、狐季姬之子也、有寵于獻公、好學不貳生十七年、有士五人〔狐偃趙衰、顛頡、魏武子、司空季子、五士從出者也。〕有先大夫子餘、子犯以為腹心〔子餘、趙衰。子犯、狐偃。、〕有魏犨、賈佗以為股肱、有齊、宋、秦、楚以為外主〔齊妻以女、宋贈以馬、楚王饗之、秦伯納之。、〕有欒、卻狐、先以為内主〔謂欒枝、郤縠、狐突、先軫也。、〕亡十九年、守志彌篤。惠、懐棄民、從而與之。獻無異親、民無異望〔獻公之子九人、惟文公在。〕天方相晉、將何以代之。此二君者、異于子干共有寵子、國有奥主〔謂棄疾也。〕子干無施於民、無援於外、去晉、晉不送、歸楚、楚不迎、何以冀國?」子干果不終、卒立棄疾、如叔向言。
新字:我先君文公、狐季姫之子也、有寵于献公、好学不貳生十七年、有士五人〔狐偃趙衰、顛頡、魏武子、司空季子、五士従出者也。〕有先大夫子余、子犯以為腹心〔子余、趙衰。子犯、狐偃。、〕有魏犨、賈佗以為股肱、有斉、宋、秦、楚以為外主〔斉妻以女、宋贈以馬、楚王饗之、秦伯納之。、〕有欒、却狐、先以為内主〔謂欒枝、郤縠、狐突、先軫也。、〕亡十九年、守志弥篤。恵、懐棄民、従而与之。献無異親、民無異望〔献公之子九人、惟文公在。〕天方相晋、将何以代之。此二君者、異于子干共有寵子、国有奥主〔謂棄疾也。〕子干無施於民、無援於外、去晋、晋不送、帰楚、楚不迎、何以冀国?」子干果不終、卒立棄疾、如叔向言。
書き下し
我が先君文公は、狐季姫の子なり。献公に寵有り。学を好みて弐ならず、生まれて十七年にして、士五人有り〔狐偃・趙衰・顛頡・魏武子・司空季子、五士の従い出づる者なり〕。先大夫子餘・子犯有りて以て腹心と為し〔子餘は趙衰、子犯は狐偃〕、魏犨・賈佗有りて以て股肱と為し、斉・宋・秦・楚有りて以て外主と為し〔斉は妻わすに女を以てし、宋は贈るに馬を以てし、楚王は之を饗し、秦伯は之を納る〕、欒・郤・狐・先有りて以て内主と為す〔欒枝・郤縠・狐突・先軫を謂うなり〕。亡ぶること十九年、志を守ること弥々篤し。恵・懐は民を棄て、従いて之に与す。献に異親無く、民に異望無し〔献公の子九人、惟だ文公のみ在り〕。天方に晋を相く。将に何を以て之に代わらん。此の二君は、子干に異なり。共に寵子有り、国に奥主有り〔棄疾を謂うなり〕。子干は民に施す無く、外に援無し。晋を去るも晋送らず、楚に帰るも楚迎えず。何を以て国を冀わん」と。子干果たして終えず、卒に棄疾を立つること、叔向の言の如し。
現代語訳
わが先君の文公は狐季姫の子で、献公に寵愛されていました。学問を好んで心がぶれず、十七歳で五人の士がいました〔狐偃・趙衰・顛頡・魏武子・司空季子、亡命に従った五人〕。先の大夫子餘・子犯を腹心とし〔子餘は趙衰、子犯は狐偃〕、魏犨・賈佗を手足とし、斉・宋・秦・楚を外の後ろ盾とし〔斉は娘を妻とし、宋は馬を贈り、楚王はもてなし、秦伯は晋に送り込んだ〕、欒・郤・狐・先の氏族を国内の後ろ盾としました〔欒枝・郤縠・狐突・先軫〕。十九年亡命しても、志を守ることはますます固くなりました。恵公・懐公が民を捨てたので、民は文公についてきました。献公には他に親しい子がなく、民にも他の望みがありませんでした〔献公の子九人のうち文公だけが残っていた〕。天はまさに晋を助けていたのです。誰が代われましょう。この二人の君は子干とは違います。楚にはもう一人寵愛された子がいて、国内には奥深い主がいます〔棄疾のこと〕。子干は民に施したこともなく、外に援助もありません。晋を去っても晋は送らず、楚に帰っても楚は迎えない。どうして国を望めましょう」。子干は果たして最後まで保てず、結局棄疾が立った。叔向の言葉どおりであった。
解説
この章句が説くこと
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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荀子・大略篇公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。