長短経 / 臣行
是謂六正。〔桓範《世要論》曰、“臣有辭拙而意工、言逆而事順、可不恕之以直乎?臣有樸騃而辭訥、外疎而内敏、可不恕之以質乎?臣有犯難以為上、離謗以為國、可不恕之以忠乎?臣有守正以逆衆意、執法而違私欲、可不恕之以公乎?臣有不屈己以求合、不禍世以取名、可不恕之以直乎?臣有從仄陋而進顯言、由卑職而陳國事、可不恕之以難乎?臣有孤特而執節、介立而見毁、可不恕之以勁乎?此七恕者、皆所以進善也。”〕
新字:是謂六正。〔桓範《世要論》曰、“臣有辞拙而意工、言逆而事順、可不恕之以直乎?臣有樸騃而辞訥、外疎而内敏、可不恕之以質乎?臣有犯難以為上、離謗以為国、可不恕之以忠乎?臣有守正以逆衆意、執法而違私欲、可不恕之以公乎?臣有不屈己以求合、不禍世以取名、可不恕之以直乎?臣有従仄陋而進顕言、由卑職而陳国事、可不恕之以難乎?臣有孤特而執節、介立而見毀、可不恕之以勁乎?此七恕者、皆所以進善也。”〕
書き下し
是れを六正と謂う。〔桓範の世要論に曰く「臣に辞は拙くして意は工なる有り、言は逆らいて事は順なる有り、之を恕するに直を以てせざる可けんや。臣に樸騃にして辞訥なる有り、外は疎にして内は敏なる有り、之を恕するに質を以てせざる可けんや。臣に難を犯して以て上の為にする有り、謗を離りて以て国の為にする有り、之を恕するに忠を以てせざる可けんや。臣に正を守りて以て衆意に逆らう有り、法を執りて私欲に違う有り、之を恕するに公を以てせざる可けんや。臣に己を屈して以て合するを求めず、世を禍いして以て名を取らざる有り、之を恕するに直を以てせざる可けんや。臣に仄陋より顕言を進め、卑職に由りて国事を陳ぶる有り、之を恕するに難を以てせざる可けんや。臣に孤特にして節を執り、介立して毀らるる有り、之を恕するに勁を以てせざる可けんや。此の七恕なる者は、皆な善を進むる所以なり」と。〕
現代語訳
これを六正という。〔桓範の世要論にこうある。「臣下には、言葉は拙いが意図は的確な者がいる。言い方は逆らっていても事としては筋が通っている者がいる。まっすぐさという点で大目に見なくてよいだろうか。臣下には、朴訥で口下手な者がいる。外はぼんやりしていて内は鋭い者がいる。素質という点で大目に見なくてよいだろうか。臣下には、危険を冒して上のために働く者がいる。そしりを受けて国のために働く者がいる。忠という点で大目に見なくてよいだろうか。臣下には、正しさを守って皆の意見に逆らう者がいる。法を執って私欲に背く者がいる。公という点で大目に見なくてよいだろうか。臣下には、自分を曲げて迎合を求めず、世を騒がせて名を取ろうとしない者がいる。まっすぐさという点で大目に見なくてよいだろうか。臣下には、身分の低いところから堂々と発言し、卑しい職から国事を述べる者がいる。困難さという点で大目に見なくてよいだろうか。臣下には、孤立しながら節を守り、独り立って謗られる者がいる。強さという点で大目に見なくてよいだろうか。この七つの恕は、みな善を進めるためのものである」。〕
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『学問のすゝめ』十六編・心事と働きと相当すべきの論・みだりに人を軽蔑する者はまた心事高尚にして働きに乏しき者は、人に厭われて孤立することあり。己が働きと他人の働きとを比較すればもとより及ぶべきにあらざれども、己が心事をもって他の働きを見れば、これに満足すべからずして、おのずから私に軽蔑の念なきを得ず。みだりに人を軽蔑する者は、必ずまた人の軽蔑を免るべからず。互いに相不平をいだき、互いに相蔑視して、ついには変人奇物の嘲りを取り、世間に歯すべからざるに至るものなり。今日世の有様を見るにあるいは傲慢不遜にして人に厭わるる者あり、あるいは人に勝つことを欲して人に厭わるる者あり、あるいは人に多を求めて人に厭わるる者あり、あるいは人を誹謗して人に厭わるる者あり。いずれもみな人に対して比較するところを失い、己が高尚なる心事をもって標的となし、これに照らすに他の働きをもってして、その際に恍惚たる想像を造り、もって人に厭わるるの端を開き、ついにみずから人を避けて独歩孤立の苦界に陥る者なり。
-
『呻吟語』内篇・問學・根腳站立し住まらず道學の行はれざるは、只だ自家の根腳站立し住まらざるが為なり。或いは倡へて和せざれば、則ち勢孤なり。或いは守りて眾撓せば、則ち志惑ふ。或いは為して成らざれば、則ち氣沮む。或いは風俗に奪はるれば、則ち念雜なり。挺身自ら拔かんと要せば、須らく是れ萬夫も當たる莫きの勇、死して後已むの心有るべし。然らずんば、終日三五聚談し、唇を焦がし舌を敝らすも、甚の事をか成し得ん。
-
史記 項羽本紀美人有り名は虞、常に幸せられて従ふ。駿馬名は騅、常に之に騎る。是に於て項王乃ち悲歌忼慨し、自ら詩を為りて曰く、「力は山を抜き気は世を蓋ふ、時利あらず騅逝かず。騅の逝かざる可奈何(いかん)すべき、虞や虞や若を奈何せん。」と。歌ふこと数闋、美人之に和す。項王泣数行下る、左右皆泣き、能く仰ぎ視る莫し。是に於て項王乃ち馬に上りて騎す、麾下の壮士騎して従ふ者八百余人、直ちに夜囲みを潰して南に出で、馳走す。平明、漢の軍乃ち之を覚り、騎将灌嬰をして五千騎を以て之を追はしむ。項王淮を渡る、騎の能く属する者百余人のみ。項王陰陵に至り、迷ひて道を失ひ、一田父に問ふ、田父紿(あざむ)きて曰く「左」と。左すれば、乃ち大沢の中に陥る。故を以て漢之に追ひ及ぶ。項王乃ち復た兵を引きて東し、東城に至る、乃ち二十八騎有り。漢の騎の追ふ者数千人。
-
易経・蒙卦用て人を刑するに利ろしとは、以て法を正すなり。子家を克くすとは、剛柔接わるなり。用て女を取る勿かれとは、行い順ならざるなり。蒙に困しむの吝は、独り実に遠ざかればなり。童蒙の吉は、順にして以て巽なればなり。寇を禦ぐに利ろしとは、上下順なるなり。
-
易経・豐卦旬しと雖も咎无しとは、旬を過ぐれば災あるなり。孚有りて発若たりとは、信以て志を発するなり。其の沛を豊いにすとは、大事に可ならざるなり。其の右の肱を折るとは、終に用ゐるべからざるなり。其の蔀を豊いにすとは、位当らざればなり。日中に斗を見るとは、幽にして明らかならざるなり。其の夷主に遇ふ、吉とは、行くなり。六五の吉は、慶び有るなり。其の屋を豊いにすとは、天際に翔るなり。其の戸を窺へば、闃として其れ人无しとは、自ら蔵(かく)るるなり。
-
史記 田敬仲完世家十四年、秦我が剛寿を撃つ。十九年、襄王卒し、子建立つ。王建立ちて六年、秦趙を攻む。斉・楚之を救ふ。秦計りて曰く、「斉・楚趙を救ふ。親しまば則ち兵を退け、親しまずんば遂に之を攻めん」と。趙食無く、粟を斉に請ふ。斉聴かず。周子曰く、「之を聴きて以て秦の兵を退くるに如かず。聴かずんば則ち秦の兵卻かず。是れ秦の計中りて斉・楚の計過つなり。且つ趙の斉・楚に於けるや、捍蔽なり。猶ほ歯の脣有るがごとし。脣亡ぶれば則ち歯寒し。今日趙を亡ぼさば、明日患ひ斉・楚に及ばん。且つ趙を救ふの務めは、宜しく漏甕を奉じて焦釜に沃ぐが若くすべし。夫れ趙を救ふは、高義なり。秦の兵を卻くるは、顕名なり。義もて亡国を救ひ、威もて彊秦の兵を卻く。此を為すを務めずして粟を愛しむを務むるは、国の為に計る者過てり」と。斉王聴かず。秦趙を長平に破ること四十余万、遂に邯鄲を囲む。十六年、秦周を滅ぼす。君王后卒す。二十三年、秦東郡を置く。二十八年、王入りて秦に朝す。秦王政酒を咸陽に置く。三十五年、秦韓を滅ぼす。三十七年、秦趙を滅ぼす。三十八年、燕荊軻をして秦王を刺さしむ。秦王覚り、軻を殺す。明年、秦燕を破る。燕王亡げて遼東に走る。明年、秦魏を滅ぼす。秦の兵歴下に次る。四十二年、秦楚を滅ぼす。明年、代王嘉を虜にし、燕王喜を滅ぼす。四十四年、秦の兵斉を撃つ。斉王相后勝の計を聴き、戦はずして、兵を以て秦に降る。秦王建を虜にし、之を共に遷す。遂に斉を滅ぼして郡と為す。天下壱に秦に并せられ、秦王政号を立てて皇帝と為る。始め、君王后賢にして、秦に事ふること謹み、諸侯と信あり。斉も亦東のかた海上に辺す。秦日夜三晋・燕・楚を攻め、五国各々自ら秦より救ふ。故を以て王建立ちて四十余年兵を受けず。